五木寛之氏の「風の王国」(新潮文庫)を読んだ。
引き締まった文体とスピード感があふれるストーリーがぐんぐん物語へと引きこんでいき、孤高の作家五木さんの人間観や社会観が凝縮されている傑作である。
これは近代の闇に消えた謎の漂白民「山窩(サンカ)」をめぐる小説だ。オレも日本人のルーツであるアイヌ民族の小説「風の子レラ」を書いたから、歴史と現代を融合させる五木さんの苦労と喜びが痛いほど伝わってきた。
勝手にオレはサンカの末裔だと思っている。
サンカというのは、日本のジプシーである。
五木さんの本にでてくるサンカのモットーは、こうだ。
「一畝不耕(農耕せず)、一所不在(定住せず)、一生無籍(戸籍をつくらず=政治権力に服従しない)、一心無私(他者のためにつくす)」
サンカという呼び名は権力側がつけた名称で、当人たちはショケンシ(世間師)、ケンシ(間師)、ヤコモン(テント生活の小屋者)など、さまざまな呼び名をつかっている。日本の山地を移住し、狩猟採集、河川漁労(マタギ)、山林労働、竹細工などで生計を立てていたノマド(放浪民族)である。
何しろ記録に残すことを極端に嫌っていた人たちなので、サンカのルーツは研究者によってさまざまなのよね。
1、縄文人の流れをくむ原日本人説。
2、朝鮮半島渡来説。
朝鮮半島にも白丁(ペクチョン)と呼ばれる山間漂白民族がいて、同じように竹細工などをつくっては移動をくりかえしていた。ペクチョンのルーツは中国からインドまで遡れるという。もちろんヨーロッパ系ジプシーのルーツもインドだ。
3、古代日本人説。
民俗学のカリスマ柳田国男は、中央集権「ヤマト」によって迫害された民族としている。
4、戦乱の室町時代(南北朝、戦国時代)に山間部に避難した中世難民説。
南北朝時代に破れた阿多隼人(あたはやと。南風「ハヤ=黒潮」に乗って九州南部から移動した民族)の血を引く人たちが山へ逃れたとき、サンカたちが彼らを助けるために箕作りを教えたという伝承が被差別部落に残っている。
5、江戸時代末期の飢饉から明治維新の混乱期に山間部に避難した近世難民説。
サンカは権力に敗れた弱者たちに食物を分け与え、世間から見捨てられたライ病患者たちを薬草治療した。
明治政府は戸籍登録を全国民に課し、非定住民を強制労働にかり出した。戸籍をもたぬものは犯罪者とされ、山賊や山に逃げた罪人を丸ごとサンカと呼んだんで、「サンカ=犯罪集団」という汚名を着せられる。
やがて被差別部落や都市労働者層に「トケコミ」(サンカの隠語)、戦時中は徴兵され、現代ではそのルーツをたどるのは困難だ。
忍者や山伏のルーツはもちろん、ヤクザや裏政治団体、朝鮮系ペクチョンの流れをくむ芸能人のルーツもサンカにあると言われている。
オレは当然アイヌの末裔だと思うね。土蜘蛛、国栖、蝦夷と呼ばれた反逆者たちだ。
はっきり言って家系図ではサンカの血はたどれない。
だけどさ、その人の生き方を見れば「こいつサンカだ」ってわかるのよ。(大風呂敷)
旅の好きなやつ、物作りが好きなやつ、権力や常識に縛られないやつ、金を貯められないやつ、集団行動の苦手なやつ、依存しないやつなどなど、天の邪鬼なやつだな。
人間にも地層がある。
それをオレは「血層」と呼ぶ。
原日本人、縄文、アイヌ、サンカ、部落、革命家……
それは膨大な祖先の時間をCTスキャンで切りとったカルテ名にしかすぎない。
ラスタ、パンク、ラップ、トランス、不登校、ひきこもり、変態、アーティスト……
反逆者という人種は永遠に滅びない。
サンカのスラングに「メンメシノギ」という言葉がある。めいめいのやり方でその場をしのぎながら生きていくという意味だ。英語で言えば「インディペンデント=独立」、いやいやコジキ聖者の哲学「BE HERE NOW」かな。
「国にも群れにも依存せず、支配も干渉も受けつけない。自然や仲間を大切にしながらも、自由奔放に今を生きる!」
これってサンカという過去の遺物じゃなく、オレたちの未来で待ち受けてるいちばん古くていちばん新しい知恵でしょ。
ほうら、こんな文章を喜々として読んでる君も、
サンカにかぶれて酸化して、
サンカといっしょに参加して、
サンカをたたえて讃歌する、
サンカの末裔だ。
ぼくの後をくるな ぼくは導かない
ぼくの前をゆくな ぼくは従わない
ぼくとともに歩め 同じ大地踏みしめ
ぼくたちはひとつだ alone is not lonely(「alone」より)