シュタイナー教育のルーツ | New 天の邪鬼日記

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小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。

 この一週間は来客の嵐だった。ONSENSのタケちゃん、リュウ、梅ヶ丘で鍼灸師をやっている相川先生、東照宮で結婚式を挙げるヒトシとフジコ、おみやげ品の木彫りフォークに弦を張り「フォークギター」に改造した池澤ゆきっぺ、竹炭をつくるカッチャンとランナーのケイ、旧友でヨガの先生加納さん、アキラマニアの管理人半蔵、神戸からCDを買いにきたネアリカンのアキなど、人の来ない日はなかった。
 来週の中禅寺湖畔キャンプは40人くらいくるっていうし、おまけに天気予報は降水確率50%だし、またおもしろいことになりそうだあ。

「AKIRAさんのブログ読みながら、『哲学全書』益々さえてきてるなあというか、あらゆるものがAKIRAさんの中で熟成して、自由自在に引き出しから出てくるなあ・・・なんて思ってます。
ホントにただで読ませてもらっていいの?って感じ。」(以上Yさんからのメール)

 まだまだ開けてない引き出しはいっぱいあります。アキラマニアは勉強になるでしょ。今日も好奇心全開でいってみるよ。

 コリン・ウイルソンも「ルドルフ・シュタイナー」(河出文庫)で書いていたけど、64歳の若さで亡くなったシュタイナーの死因も過労だという。
 生涯何万回にもおよぶ講演のあと、シュタイナーのまえにはたくさんの人が「身の上相談」の列をなした。講演旅行から帰ると自宅のまえにも相談者が群がっている。シュタイナーは時間の許す限りひとりひとりの話しに耳を傾け、真剣にアドバイスしたという。
 さてさて今日は、世界60カ国に広まったシュタイナー教育のルーツを探ってみよう。
 シュタイナーは1861年、ハンガリーのクラリエヴェック(旧ユーゴスラビア)に生まれた。シュタイナーは山と草原に囲まれた田舎町で牧歌的な幼少時代を過ごす。
 8歳でウイーン郊外のノイデルフルに移ったが、ここにも美しい森があった。シュタイナー教育を知る上で重要なのは、シュタイナーが育った環境にある。
 自然自体が大きな学校であり、花や木や虫や鳥や自然そのものが先生だということなんだ。
 もちろん人間からも好奇心の塊だったシュタイナーはたくさんのことを学ぶ。父は鉄道の電信技師という当時最先端のテクノロジーを操っていたし、学校の先生からはピアノとヴァイオリン、村の司祭からは政治や天文学、その他市井の人からさまざまなことを学ぶ。
 今のシュタイナー教育が教師という専門職だけじゃなく、外部からいろんな人たちを招いておこなわれるのもこのような影響があるのだろう。
 シュタイナーは子どものころから独学であらゆるものを吸収した。小学校時代に幾何学を愛し、中学生でカント哲学を読み、20代でゲーテに関する本を書いている。
 父親はのちに駅長となるが、少年シュタイナーにとって雑多な人が行き来する駅はなわばりである。人間の多様性を観察するにはもってこいの場所だった。
 ある日シュタイナーは「見えない世界」の多様性にもふれる体験をする。
 駅の待合室に座っていると、見知らぬ女の人がはいってきて、こう言った。
「今できるだけ力を貸してちょうだい。それからもちろんこれからもね。」
 なんと女の人はストーブの中にはいり消えてしまったのである。あとで父親から話を聞くと、シュタイナーが不思議な女性を見かけた時刻に親戚の女性が駅の近くで自殺したという。
 シュタイナーは「それ以来……外界の木や山だけでなく、それらの背後に住む存在者どもが人間の魂に語りかけてきた」、「物体の背後にある創造的存在者とともに生きた」と語っている。
 青年シュタイナーは小柄でやせていて、ぼさぼさの長髪に金縁メガネをかけていた。引っ込み思案で感情を表現するのが苦手だったという。
 23歳になったシュタイナーは家庭教師としてシュペヒト家にはいった。4人の子供を教えるが、末っ子の10歳になる男の子オットーは水頭症で知恵遅れと言われていた。
 シュタイナーは根気強い愛情をもってオットーに接し、オットーの自信を回復させていった。オットーは2年で小学校の授業に追いつき、のちに医師となる。
 当時の障害者に対する偏見は今から想像もできないほどひどかった。現在では障害をもった子どもたちの療養所がシュタイナー教育によって世界中につくられている。ここでもシュタイナーの先見性は100年以上も進んでいたことになる。
 生前シュタイナーは「ヴァルドルフ自由学校」をつくり、子どもの自発的な好奇心と創造力をもっとも大切にした。
 教科書も試験もないドイツのシュタイナースクールに娘を入れた母親の体験記「ミュンヘンの小学生」(子安 美知子)は子どもにもわかりやすい文章でシュタイナー教育にふれた驚きがつづられている。

 オレは幼稚園のころから問題児だったし、三流高校にビレから三番くらいで入学したくらい勉強が大嫌いだったのに、作家をやっている。
 好奇心は歳とともにふくれあがり、知りたいことが日増しに増えてくる。こうして何時間も本や資料をあさり、みんなに知識をシェアしてもらうのが生きがいですらある。
 この歳になって「オレって勉強大好き人間なのね」と気づいた。
 上からムダな知識を強制される教育は嫌いだが、自分で興味のあることを学ぶのは果てしなく楽しい。
 いくつになってもおそくはない。つーか誰からも強制されなくなった大人のほうが自由に学べるんじゃねえの。
 一刻も早く好奇心を押しつぶす環境から逃げ出したほうがいい。
 できるだけたくさんの人と会って、自分の好きなことを見つけたほうがいい。
 毎日が「独学学校」、
 生徒はオレひとり、
 先生は世界。
 スケールでっけー!