大阪都構想の「責任者」って誰だろう? | 空き地のブログ

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大阪都構想(正確に言えば、現在の大阪市を5つの特別区+αに変更すること)の是非を問う住民投票があと10日ほどで行われる。このGWの間にも推進派・反対派それぞれが熱い広報戦を繰り広げていたことだろう。

※「+α」と書いたのは、協定書に「全ての特別区(=今の大阪市)の範囲で執り行うべき事柄について扱う機関」なるものが設置されることが書いてあるのを少し前に知ったから。5人の特別区長に大阪府知事を加えた面々がこの機関の主なメンバーになるそうだ。この機関の取り扱う業務が多いのか少ないかは行政の素人である私ではよく分からなかった。また、これが暫定的な措置なのか、恒久的に置かれるのかも協定書を読む限りだと分からなかった。

拙ブログの大阪都構想へのスタンスは「やや反対」といったところだろうか。「政治(大阪)」カテゴリの記事を参照していただければ、私がこれまでに都構想についてどのように取り上げてきたかが分かるだろう。ただ、都構想が謳う「二重行政の見直し、行政の効率化」といったお題目にはそれほど反対するつもりはない。行政に無駄があるのなら削減・効率化していくことは当然のことだと考える。この点では「大阪がバラバラにされる!」だのと大げさに騒ぐ反対派に与するつもりは全くない。

しかしながら、推進派も推進派で都構想による効果をバラ色に脚色しすぎだと言えよう。都構想と直接関係ないモノまで「都構想による効果」として計上されている、という話はよく聞く。また、街頭演説で掲げられた図表の数々にインチキが指摘されるなど、姑息なマネもいただけない。

両者とも、なぜ率直に「等身大の都構想」を有権者(この場合は大阪市民)に向けて発信できないのか。推進派にも反対派にもそれぞれに後ろ暗い“何か”の存在を勘ぐらずにはいられない。

橋下市長は常々、都構想反対派について「既得権、既得権益、既得権者」というキラーワードで以て攻撃を加えるが、「攻撃は最大の防御」という言葉があるように、強気に誰かを責め立てる人間ほど自分の内にやましいモノを抱えていたりするものである。というか、大阪維新の会は設立から早5年が経過しており、府知事選1回、市長選2回(うち1回は出直し選)、府議選市議選それぞれ2回、国政政党の一員としても衆院選を2回、参院選を1回こなしている。もはや名実ともに立派な「既存政党」の一員である。

先日、「本会議決議を病欠しておきながら実は温泉旅行に出かけていた」との報道により党から除名処分を受けた女性国会議員がいたが、果たして彼女は「橋下徹」というネームバリューなしに国会議員になれただろうか?そもそも、維新の党や前身の日本維新の会にしても、「橋下人気、維新人気」に乗っかろうと政治塾に参加したり、他党から流れてきたりした人間が何人いただろうか?そう考えると、「橋下」「維新」という枠組みはもはや既得権益のひとつと言っても過言ではない。

話がやや都構想から逸れたので元に戻す。

最近ふと思ったのだが、仮に今度の住民投票で都構想の実施が決定したとすると、然るべき期間の後に「大阪市」という枠組みは無くなり、新たに5つの特別区(+α)と5人の公選区長が誕生する。「大阪市」という自治体は無くなるのだから、当然「大阪市長」という存在も無くなるわけだ。

さて、この5つの特別区(+α)、推進派が言うように全てがうまく行けば何の問題無いのだが、もし推進派の宣伝の通りの効果が出なかった、なんてことになった場合に一体誰に責任を問えばいいのだろうか?

というのも、さっき述べたように、今まで大阪都構想を推し進めてきた大阪市長は特別区に移行した段階でいなくなるわけだ。特別区移行によって何かマズいことになっても、橋下氏が常々言ってきた「何か問題があれば次の選挙でボクを落としてくれたらいい」がそもそも不可能なのである。

今のところ橋下市長が5つの特別区のいずれかの区長に立候補する予定であるという話は聞かない。国政に転身するのか、はたまた大阪都構想をさらに発展させるために元々の構想で特別区に入るはずだった近隣自治体の首長の座を狙いにいくのか。とにかく、特別区移行後の大阪市民(実際には各特別区区民)は「特別区への移行」がもたらした問題の責任を大阪市長に問うことはできないのだ。

推進派の言うようなバラ色の将来が実現するなら何の問題もないのだろうが、そうならなかった時に人生幸朗師匠よろしく「責任者出てこい!」とならなければいいのだが・・・。