当ブログはいわゆる「リフレ派」の提言する経済政策に親和的であり、基本的に金融政策を重視する立場を取っています(金融政策の重要性について述べた過去記事:『 検証してみた:「金融なき財政」と「財政なき金融」
』『 一番緊縮しているのはアメリカ?
』『 日欧で金融政策の結果に明暗くっきり
』)。
リフレ派の方々は目下、(私がよく言うところの)「財政派(土建派)」から様々な批判を浴びています。「財政派」の基本スタンスは、『財政政策が主、金融政策は従』であり、この点が最もリフレ派と意見の合わない部分ということになるのでしょう(リフレ派は『金融政策が主、財政政策は従』の立場)。尤も、財政派の「従」が「金融政策には弊害が大きいので、できるだけ使わない方が良い」という意味合いなのに対して、リフレ派の「従」は「経済学的に考えて効果が小さい(効率が悪い)」という意味合いであることに注意が必要です。
IS-LM-BP分析によれば、「資本移動が無いor完全」「固定相場制or変動相場制」の4通りのパターンについて、財政政策・金融政策それぞれの“効く・効かない”の理論的な結論は以下の表のようになります。
| 固定相場制 | 変動相場制
-----------------------
資本移動:なし |財政×金融×|財政○金融○
-----------------------
資本移動:完全 |財政○金融×|財政×金融○
※参照:
『 IS-LM-BPモデル(1)資本移動が完全のケース
』
『 IS-LM-BPモデル(2)資本移動なしのケース
』
今日の日本は『資本移動が(ほぼ)完全、かつ、変動相場制』なので、表の右下(財政×金融○)に該当することになります。リフレ派の言う「金融政策が主、財政政策は従」という主張もこの結論から導かれたモノと思われます。
※マンデルフレミングモデルは資本移動が完全な場合のIS-LM-BP分析と同じであり、為替相場制度によって財政政策か金融政策のどちらかが無効化することをマンデルフレミング効果と言います。
おそらく、財政派はこの「財政×金融○」という“現実”が気に入らないのでしょう。なんとか「財政○」を実現するためにアレコレ考えて辿り着いたのが、「財政政策で発生する不都合(金利上昇や通貨高)を金融政策で補えば良い!」とか「海外との資本のやりとりはけしからん!(反グローバリズム)」という提言なのだと思われます。
上表を見ればこれらの提言の“狙い”は明らかで、ひとつ目は、「金融政策を財政政策に追従させる」という“事実上の固定相場制”を実現することで財政拡大政策を有効化する、というお話(上表の右下から左下への移行)、ふたつ目は、資本移動をストップすると「財政拡大政策を行っても通貨高が発生しないようになる」というのを利用して財政拡大政策を有効化する、というお話(上表の右下から右上への移行)になっていて、どちらも道筋は違えども「財政拡大政策を有効化する」ために考え出された提言であることが分かります。
しかしながら、「変動相場制から事実上の固定相場制への移行」は昭和恐慌時に金本位制に無理矢理復帰してデフレを悪化させたのと同じ愚行と言えますし、「資本移動の禁止または制限」というのも、モノの取引よりも資本の取引の方が莫大な現代(参照:http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-897.html
)においては財政政策を有効化させるメリットには到底釣り合わないデメリットを胎んでいると言えるでしょう。
経済には「国際金融のトリレンマ」という何人(人というか、国家?)も逃れられない掟があるのですが(参照:『 固定相場制はおいしいのか?
』)、「3つの内からどれを諦めるのが最も得策か?」と問われれば私には「固定相場を諦める(=変動相場制)」以外の選択肢が思い浮かびません。たかが手段に過ぎない「財政政策」を有効化せんとするがために、現状で最も効率が良いと思われる「資本移動の自由+独立した金融政策」の組み合わせを(部分的であれ)捨て去る、というのはあまりにも短絡的なのではないでしょうか?
財政派の提言は例え経済学の理屈に則ったモノであっても、目的に拘るがあまり“現実”を蔑ろにしてと言わざるを得ませんね。片方で「経済学なんて机上の空論!現実を見ろ!」などと宣いながら、自分たちは『“財政政策を有効化するために”机上の空論で現実を無視した提言を主張する』のですから、一体何が何やら・・・。