個人的にはかなりの「衝撃的事実発覚!」なんですが、みなさんはどうでしょうか。
私が「緊縮財政」と聞いて真っ先に思いつく国はドイツ、およびユーロ圏ですが、この記事によると直近で最も緊縮しているのはアメリカだそうです。
「ゼロ下限制約下における金融政策 ~3つの自然実験(準実験)~」 by David Beckworth
09/25/2013 – 8:44 PM
(本文略)
全部貼ると長いので大胆にも全カットさせてもらいましたが、記事自体はタイトルにあるように、いわゆる「流動性の罠」の中にあっても金融政策は有効か?、という趣旨のもの。
結論だけを先に言えば、「いくつかの実験例を見ると(金融政策は)有効と言わざるを得ない。むしろ財政政策の方が役立たずなケースも。」ということだそうです。
「実験例」として挙げられているのは以下の3つ、
①現在、程度は違えど似たような金融政策を実行中の日米欧
②2010年以降のアメリカの財政緊縮と金融政策の結果
③世界恐慌に対する各国の対応と結果(1930年代)
1つ目は、まさに今現在の我々ですね。
日米欧、それぞれの中央銀行(日銀・FRB・ECB)が量的緩和策を打ち出し、実行している。ただし、それぞれに量的緩和の程度はまちまちであり、最も積極的な金融緩和が実施されているのが日本、次いでアメリカ、最後にユーロ圏となっている(正確には、各中央銀行が発する「お金出しますよ」という“シグナル”の明確さ、であるらしい)。そして、その結果として実質GDP成長率(2013年上半期)を比較すると明らかに、日(3.95%)>米(1.80%)>欧(0.05%)、の関係になっている。特に、アメリカはユーロ圏以上の財政緊縮を行っているにもかかわらずユーロ圏の遙か上を行く経済成長を遂げている。
2つ目は、リーマンショック後のアメリカ。
財政収支の傷みを緊縮財政で改善させようとした一方で、強烈な金融緩和策を採り続けたことにより、緊縮財政のマイナス効果を金融政策がほぼカバーしきった、とのこと。私はアメリカがてっきり量的緩和と財政出動(公共事業)のセットでリーマンショックでの落ち込みをリカバーしたものとばかり思ってましたが、実際はそうではなく、財政は緊縮し、その穴を埋めて余り有るほどの量的緩和を中央銀行にさせていた、というのが実際の姿のようです。
3つ目は、大きく過去に遡って世界恐慌の時代。
記事中の図を見れば一発だと思いますが、金本位制からの離脱(事実上の量的緩和開始)を行った国から順番に景気回復を果たしています(もちろん、一番最初は日本)。加えて、「1930年代当時のアメリカで景気の回復をもたらした主たる要因は金融緩和であり、財政政策はほとんど何の役割も果たしてはいなかった」とまで言われています。
これらの実験例を見る限り、財政政策よりも金融政策の方が効きが良く、また金融政策は、財政政策の失敗をカバーできるだけの力を秘めている、という結論に至るのはまぁ自然なのかなぁ、なんて思えてきます。
そして、記事は次の文章で結ばれています。
「これら3つの自然実験の結果によると、ゼロ下限制約下においても金融政策にできることは多い、ということが示唆されよう。そうだとすると、次にこんな疑問が浮かび上がってくることになる。これまでの3年間にわたって各国の中央銀行は景気のてこ入れに向けてどうしてもっと積極的に行動してこなかったのだろうか?」
この部分、私の主観で勝手にさらなる意訳をすれば、「ほら、ちゃんと「金融政策は効く」って結果出てんじゃん。お前ら(中央銀行)さぁ、「流動性の罠」とか言って金融政策渋ってきたけど、むしろそのせいで景気回復が遅れてるんじゃないの?」といったところでしょうか?
私は必要な公共事業はやるべきだとは思いますが、金融政策の効果を貶めてまで主張することではないと思いますし、別に財政出動は公共事業に限る必要も無い(減税・給付金なども財政出動のひとつ)でしょう。
もっと言えば、必要な公共事業は景気に関係なく継続的に為されるべきことであって、デフレの現在、ことさら景気対策の一面を強調しすぎると、前提(ここでは景気、もしくはインフレデフレ)が変化したときに通用しない、または逆手に取られる言説になりかねません。要はデフレ脱却後に、「ほらほら、もうインフレになってるんだから、公共事業なんてヤメヤメ。インフレ期にデフレ対策はやっちゃダメなんでしょ?」と言われて(論点をずらさずに)反論できますか?というお話。「国民の命が」「安全保障が」というのは、正論(というか、反論しにくいキレイ事?)かもしれませんが、上の指摘に対する直接の反論にはなりません(論点がズレてるから)。
「インフレになっても適当に理由付けて公共事業(国土強靱化)を肯定してやるさ」なんて思ってる人も中にはいるかもしれませんが、あまりそういう(前言を翻すような)ことをやると、論者としての信用に関わると思うので、やめておいた方がいいんじゃないかなぁ、と私は忠告しておきたいと思います。
言論の場では良くも悪くも「メンツ」が大事。だからこそレッテル貼りや人格攻撃、過去の発言や他所での発言を晒す、なんていう行為が横行するわけで。常に「“将来の自分”の足を引っ張らない」ような言動を心がけるのが肝要だと思いますね。