三門の楼上には、お釈迦さまと十六羅漢、そして五味金右衛門夫婦のお像がある。実はそれ以外にも須達長者(すだつちょうじゃ)、善財童子(ぜんざいどうじ)の像が建っている。

須達長者は、長者というくらいだからお金持ちだ。実在の人物でお釈迦さまに修行するための土地を寄進なさった方である。詳しく触れてしまうと長くなるので割愛するが、寄進された土地の名前を「祇樹給孤獨園(ぎじゅぎこどくおん)」という。

浄土宗で読誦する『阿弥陀経』が説かれた場所である。この長い地名の一番最初の文字と一番最後の文字だけとって、「祇園」という言葉が出来ている。つまり祇園精舎のことだ。

知恩院のすぐ側にも祇園という花街がある。わたしがたまに、本当にたまに、ごくごくたまにお世話になる場所だ。『阿弥陀経』が説かれたその真意をさぐるために、祇園に行くのだ。夜回りともいう。


善財童子は『華厳経』というお経に出てくる登場人物で、悟りを開くために修行の旅に出られる。その旅の途中、53人もの先生に出会い教えを頂き、最後に悟りを開かれたと説かれている。

この旅の話が日本に伝わり、『東海道五十三次』の話が成立したともいわれている。


また楼上の天井や壁画には、狩野探幽作と伝える画がある。中央にはおおきな龍が描かれている。非常に力強い龍であるが、よくみると老いぼれて鱗も剥がれて角も折れている。なぜにこのような姿となったのか。疑問である。ある職員がこの謎を解明すべく参拝に来られた禅宗のお坊さまに訊いてみた。禅宗のお坊さまなら答えられるかもしれないと思ったのだろう。

そのお坊さま曰く、


「おそらく、この龍は仏教を守護するために戦ってきたのでしょう。それで痛々しいお姿となられたのではないでしょうか。そして終焉の地は、法然上人のいらっしゃるここ知恩院、つまり阿弥陀様のお浄土に辿りつかれたのではないでしょうか」


わたしはこの話を聞いたとき身震いした。このブログではその感動を上手に伝えきれない。実際にご覧いただくしかない。料金は800円。


そして天女や様々な生きものが舞っている。仏の教えを喜び尊んでおられる姿だ。だから楼上は浄土そのものが描かれているといってもよい。


梁には馬のような、獅子のような動物が描かれている。これは麒麟だ。動物園のキリンではない。樹希きりんでもない。

この麒麟の絵が、キリンビールのロゴマークのモデルである。ビールを飲まれるときラベルに注目してもらいたい。そこにある絵の元は知恩院の三門にあるのだ。

そしてマカラといわれる動物も描かれている。これも伝説上の動物で、顔は獅子のようで、牙がはえている。しかし胴体には鱗があり、まわりには水が描かれている。つまり水中の生きものなのだ。実はこの絵も、あの有名な名古屋城のシャチホコのモデルとなったものである。

本当に文字では伝わらないかもしれない。興味のある方は知恩院に来てほしい。拝観料は800円。


お寺の門には、阿吽の像が立っているところがある。東大寺の南大門などが有名だろう。しかし浄土宗の寺には立っていないお寺のほうが多い。

この阿吽の像は、憤怒の形相でわれわれを睨みつけている。邪悪なものを寄せつけないための見張り番だ。しかし浄土の教えはたとえ邪悪であったり、悪人であっても、小さな小さな仏心をもっているならば、必ず平等に救われる教えである。

法然上人は自身を罪悪生死の凡夫とおっしゃった。罪深いわたしたちだからこそ、阿弥陀仏は救おうと手をさしのべてくださっているのだ。


知恩院の三門。木造としては世界最大の三門。ドッシリとした構えで、わたしたちを迎えてくれる。


思い出した。うちの課長は、この三門の屋根の上に登り跨いだ人間だ。課長だけではない。その奥さんもだ。わたしも一緒に登ったが、わたしは高所が苦手なのと、天井裏の入り組んだ梁に挟まって屋根の上まで出られなかった。

わたしが変な体制で梁に絡まっているのを誰も助けることなく、上へ上がってしまった。

わたしはあの時の屈辱を忘れない。といいつつ、今思い出しただけだが。


おわり。