こうして、わたしの旅費は知恩院から出るものの、ファーストクラスを逃してしまい、エコノミーで行くことになった。


出発は3月の下旬だった。3月といえば日本はようやく暖かくなる頃だが、ブラジルは暑いに決まっている。服も衣も夏用を準備し、鞄に詰め込む。一番大変なのはお土産だ。

向こうのお寺にお土産、檀家さんにお土産、お寺が経営している老人ホームにお土産、他宗派のお寺へのお土産、市長さんらへのお土産などなど、ダンボール箱をいくつも用意し準備する。もうどれがどこ用のお土産かなんて関係ない。


出発の日。わたしたちは一路成田空港へ。成田へは初めて行った。成田へ向かう電車の中で、非常にとっても喧しい子どもに出逢った。彼らは車内を走り回っている。

誰も注意しないのか?わたしはだんだんとイライラ状態になってくる。こともあろうに若い女性車掌でさえ、その子どもたちを注意せず、それどころかお相手までしているのだ。なんてことだ。

子どもたちよ。羨ましいではないか。わたしもその綺麗なお姉さんたちと遊びたい。代わってくれ。

とは言えずに、不愉快感を残したまま成田空港に到着した。


一応、VIP扱いになるのでそれ用のラウンジで時間まで待機する。するとそこにも、さっきの子どもたちが!

お前たち、一体何者なんだ。ここはお前たちが入れるような場所ではないんだぞ。貴公子のわたしでさえ、執事長がいなかったら、このラウンジには入れないのだ。

お前たちがわたしより格が上だとは信じ難い。ははーん。お前たち、お坊ちゃまお嬢ちゃまくんたちだな。親は金はあるが相当バカなんだろう。どれどれ親の顔を拝見させてもらおうか。


\(゜□゜)/


森進一&森昌子(当時は離婚していない)夫婦だった。あ、実名を出してしまった。このブログを読んでいる皆さん、どこかで聞いたことのある名前だと思うが気のせいだ。これは仮名だ。戒名だ。


どうりで、周りの大人連中も何も言わないはずだ。わたしも呆れて何も言えなかったくらいだ。どうやらご家族でハワイへ行かれるとのことだった。


そんなことはどうでもいい。ブラジルだ。わたしたちが搭乗する便は、日本航空だ。いよいよ出発。ここで、わたしは執事長とA師とは別行動になる。彼らはファーストクラス。わたしはエコノミークラスだ。


明日へ続けていいですか?