金環皆既日食 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

去る11月3日に大西洋からアフリカにかけて、金環皆既日食という珍しい日食がありましたね。

https://eclipse.gsfc.nasa.gov/OH/OHfigures/OH2013-Fig05.pdf

中心食帯の両端の、朝や夕方に中心食が起こる地点では金環、正午ごろに中心食が起こる地点では皆既になるというのが、「金環皆既日食」です。

日食のうち、太陽が完全に月におおわれてしまうのが皆既日食、リング状に月のまわりにはみ出した部分が見えるのが金環日食ですが、どちらになるかは、そのときの太陽から地球への距離と、地球から月への距離の二要因によって決まります。前者が比較的遠くて、かつ後者が比較的近い状態のときに見られるのが皆既日食、逆に、前者が比較的近くて、かつ後者が比較的遠い状態のときに見られるのが金環日食です。

もっとも、地球が太陽を回る公転軌道の離心率(楕円がどのくらい真円からはずれているかの率)はさほど大きくなく、月が地球を回る公転軌道の離心率のほうが大きいようですから、皆既か金環かを決める要因としては、月の遠近のほうが主たる役割を果たしているようです。その証拠に、地球が太陽からいちばん遠ざかる7月上旬の前後の季節でも、月の距離しだいで金環食になることは多いし、地球が太陽にいちばん近くなる1月上旬の前後の季節でも、月の距離しだいで皆既食になることは多くあります。

いずれにせよ、太陽の直径が月の約400倍であると同時に、地球から太陽までの距離がこれまた月までの距離の約400倍であるという偶然のおかげで、地球から見た太陽の大きさと月の大きさがほぼ同じになり、その結果、日食が皆既になったり金環になったりするという、まことに珍しい環境が、わが太陽系には生じているのです。

地球と月ができてからの40億年あまりのあいだに、月は地球から徐々に遠ざかり続けており、それにともなって、月の影が地球に落ちるとき、最初はつねに皆既食ばかりという時代があって、数億年前から金環食も起こるという時代となり、今は、この「皆既・金環混在時代」の半ばを少し過ぎたあたりの時期だそうです。そして、あと数億年たつと日食は金環食ばかりという時代になってしまうそうですから、人類が生まれ合わせた時代は、地球史的にみても、まことに稀有な時代ということになります。

その稀有な時代の中の、もっとも稀有な現象として、さっき言った「約400倍」どうしの2つの数値がドンピシャリと一致して、中心食帯の両端では金環、中央付近では皆既というケースが生じるわけです。(地球は月に向かって丸く張り出しているわけですから、日食の本影錐が地球に突き刺さるときには、正午中心食が起こる地点での突き刺さり方がいちばん深くなり、朝や夕方に中心食になる地点での突き刺さり方は浅くなるのです。)

太陽系のような恒星・惑星系が、この宇宙にどれほど存在するのかはわかりませんが、中心になる恒星からほどよい距離のところに地球型惑星が存在して、しかも、生物の進化に必要な数十億年にわたって「生存可能」環境が保たれるのは、かなり珍しいことと思われます。

それに加えて、わが地球の場合には、月というかなり大きな衛星が存在して、潮汐現象を起こしてくれたことが、これまた生物の進化にはきわめて重要な役割を果たしてくれたようです。

地球型惑星に月ぐらいの大きさの衛星ができること自体が、宇宙的にみてかなり珍しい現象ではないかと思われます。

その珍しい存在であるわが月が、潮汐現象を起こす代償として、地球から少しずつ遠ざかるわけですが、これが、人類という知的生命体の生まれる時代において、ちょうど「見かけの大きさが太陽とほぼ同じになる距離にさしかかる」というのも、これまたまことに稀有な話です。

われわれはまことに不思議な星の上に生を享けたのですね。