● 霊視鑑定のお申し込み先 ●


出来るだけブログを更新したい…、
更新しよう…、
いや更新するぞ!
そう自分自身に誓ったのは、
そう遠い昔ではないとハッキリと記憶しています。

頑張って、頑張って三日に一度更新して、
ごめんなさいと誰にともなく謝りながら、
一週間に一度に変わり、
気にはなっているんだけれどと、
言い訳も虚しく一か月が過ぎてしまいました。

恰好を付ける訳じゃないないけど、
読んでくださる人たちがいるという事実を前にして、
背筋を伸ばしている自分がいます。

ソファでくつろぎながら、
携帯で読んでくれている人もいるでしょうし、
何かのついでに立ち寄ってくれている人、
ネットサーフィンで偶然アクセスした人と、
その切っ掛けは様々であっても、
私の思いや考え、価値観が活字となって、
不特定多数の方々の目に触れる、
その責任や影響というものを、
少なからず自覚しているつもりだからか、
記事を更新する時には、
深呼吸と共に姿勢を正します。

ブログを読んでくださって、
霊視鑑定の依頼をして下さる方も多く、
先日のメールでの鑑定の方もそんなお一人でした。

お写真のその女性は、
一見すると人間関係の悩みなど、
彼女の思い過ごしではないかと疑うくらい、
とても爽やかな笑顔でしたが、
霊視を始めて直ぐに、
爽やかさは自分に対しての自信の現れであり、
白黒をハッキリ付けたがる性格が、
周りの人間達に不快感を与えている様子が視えてきました。

ただ本人には悪意はなく、
思ったことや日頃の考えを、
言動にしているだけの意識なのですが、
そもそもそれだけの意識というところが、
一番の問題だと思うのですが、

私たちには自己があり、
色々な場面で自己を表現しなければならない必然性も、
した方がいい優位性もあります。

ただ、そこには自己を表現することによって、
特定の誰かを批判したりするものであってはならないという、
暗黙のルールがあるはずなのですが、
何故暗黙なのか…、
それが相手を思い遣るという、
人の気持ちに他ならないからです。

思い遣りとは規律や義務の介入しない、
人となりの心の現れです。


自分にとっての正義が、
第三者の不快に繋がらないかを、
思い遣ることが大切ではないかとお伝えしました。



9日の掲載を読んでくださった方は、
以下の文が少々違っていることに、
疑問を持たれるかもしれませんが、
自分のことが公の場にさらされ非難されるのは、
とても辛いとのメールを、
ご本人様から頂戴しました。

個人を特定できない様に配慮させて頂きましたし、
一個人を批判するものでは決してなく、
私を始め誰にとっても起こり得ることの、
気付きとして掲載をさせて頂きましたし、
読んでくださった方々には、
何故、これを掲載させて頂いたのかの意図を、
ご理解頂けるものと確信しておりますので、
公の場での批判と捉えられてしまったことは、
とても残念でございましたが、
その方がお悲しみの中におられるのなら、
それは私の本意ではありませんので、
下記水平線より下を書き換えましたことを、
どうぞご理解ください。




私たちは、何ら特別なこととしてではなく、
いとも簡単に、
そして当たり前に、
思い遣りという言葉を使いますが、
自分を思い遣るように、
果たして私たちは、
目の前の人を思い遣っているのでしょうか…。

大切な人からの思い遣りを欲しがるように、
思い遣りを差し出しているでしょうか。

人間関係の構築は、
特別な人だけの問題ではなく、
家族という身近なものから、
社会という大きな枠組みまで、
何らかの組織に属し生きている限り、
避けては通ることの出来ないものですが、
正義や論理で向かえば、
決して固まることはありません。

人の数だけ正義があり、
人の数だけ価値観があるからです。

他人同士だけじゃなく、
親子だって、兄妹だって、
夫婦だって、みんな違うけれど、
確かに繋ぎ合うものがある。

それが思い遣る気持ちであり、
そのやり取りこそが人間関係の構築の基礎であり、
人となりの姿だと思うのです。


今日も最期まで読んでくださって、
ありがとうございましたおじぎ

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