犬とダンスを踊るまで

愛知県、半田市にてドッグトレーニングとオーナートレーニングを行っています。
ひとりと一匹の間に愛のダンスを♡

犬達へ教えることよりも教わることの方が多い。

私の行うトレーニングは犬の心や考える力を引き出し、伸ばすことを軸に置いています。

愛犬が持つ個性には、その犬だから生まれ持った力があります。
人が望む型にはめていくような作る賢さではなく、
犬達自身が自分を信頼して自立した上で人と生きる楽しみを知ること、
感じることを目的にしています。

飼い主さまへはトレーニングを入り口に、
愛犬と協力し合う生き方にはどんな感覚があるのか?を伝えています。
一番自分を知っている愛犬が教えてくれることから、自分がどんな表現や想いをもって
コミュニケーションしているのか?
どうしたら伝えたいことを表現できるのか?
感じて頂ける時間としてサポートさせて頂いています。


トレーニングとは?
そのイメージもボンガーで変わる人も多いはずです。

変わってOKです!!!
だって犬道は一本道にあらず。
飼い主さんと犬のペアの数だけ幸せの形は違うのだから。

大切なのはお互いにわかり合えることだったり、日々作られていく愛犬との時間が満たされること。そして、それぞれが誰と比べる必要もない唯一無二のペア。

だから輝くことを制限していること全部手放してしまえたら良いなと思います。
私が犬達から教わってきたたくさんの智慧を皆さんとシェアできたらハッピーです♡

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テーマ:
映画、ダイバージェントNEOの中で...

「平和」は「許すこと」

と自責の念から自分も相手も責める主人公が諭されるシーンが印象的だった。

主人公が最後の試練で許した相手が、自分自身だったことも。



私が仕事を通じて自分と向き合うことが多かった気持ちも「許すこと」。

「愛すること」の数、

「愛すること」の表現の深さ、

「愛すること」の幅の広さ、


愛することの意味を知るのは、

許す数に比例している気がして止みません。



わたしのもとに訪れる飼い主さまの多くが、

愛犬を許せないように見えて、

自分を許せないことからの解放にトレーニングがある感じもしています。



愛犬を許せないなんて湧いたこともない!!!

許すことがテーマじゃないと思う飼い主さまもいるかもしれないですが、

実は「許すこと」が大半です。


人によっては

許すことが妥協することに感じ、

許すことが諦めに感じ、

許すことが癖を見直すことに感じ、


さまざまな印象で体験するのですが、

根っこの根元にあるのは、許せるかです。


トレーニングで人の方に変化が起きる理由が、
愛犬を通じて見える今の自分自身を許せるか?だから。


自分を許せた数だけ、

相手(犬)の行為を許せるようになる。


許してみたとき見える愛犬こそが、

自分を投影していない愛犬自身の姿。



仔犬を預かるとほぼ預かり期間中に絶賛お漏らし祭りって時があるのです。

これはトイレのしつけ問題ではなくって、

心理的なところから起こるんです。


そんなとき、怒ってもきりがない。

怒ることで犬達の学習がこんがらがる方が多い。


お漏らしはいち表現だけど、

犬達に感情的になっても解決することはほとんど無いのが事実。


意外とね「あ~そっか~」って何事にも立ち止まらないで流しちゃうぐらいの
おおらかな飼い主さまの方が勝手に愛犬との関係が上手くいったりする。

無関心だと話は別だけど....。

その違いは間違っちゃいけないけどね



自分に厳しくて許せない数が多いほど、

おおらかではいられない。


自分に許すことができないことは相手にもできないものなんです。


かといって自分を許すって一番難しい。

一番自分がよく知る相手だからこそ。


だからね、


愛犬をまず許してください。

愛犬を許した自分を許す。





しつけも、

トレーニングも、

許した後からで充分間に合う。


許せないままで始めてしまうことの方が
愛犬との間で上手くいかないシーンを作ってしまうこともあるぐらいだから。


焦らなくていいから。

許せたなら、必ず関係は良い方向へ進みます。



私は伝えるだけが仕事じゃない。

飼い主さまを許す。

犬達を許す。



許されるってどんな感触か体験することもボンガーでのトレーニングに体験することのひとつです。


体験したことは、

あなた自身にも同じ体験を作り、起こせるということに続く。


許してみると、そのスペース分だけ平和な気持ちになるのです。

やっと最初と繋がった!!!

そうそう、それで映画での台詞は核心を突いてるな~と思ったわけなんです。


犬との具体的な解決要因は残れど、

まずはあなたが平和の中にいることが大事。


ひとりひとりの心が平和じゃないことで
全ての争いが起こってきたって言う人もいるぐらいなのだから。




私も多くの人に許してもらい、知ったこと。

多くの犬に許され、学んだことなのです



許すってことは、愛することと繋がっていると書きました。

許された数だけ、許すカタチで愛されたのです。


過ちがあるから許すんじゃなく、

許すことは愛することだと知る道がある。




小屋のなかでうんちをして全身泥んこに耕したあとの末路です(笑)

これが私にとって許せなかった時代もありました。

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どんなわがままをも押し通す自己中と、

自己中心であることは雲泥の差があります。


飼い主さまよ、

おおいに自己中心であれ!!!

と日々私は声だかに伝えています。



自分を中心に持ちながら犬と触れ合ったとき、

犬は飼い主さまを知る機会を得て、

人は自分を伝える機会を得るからです。


自ら中心に立ち、状況に左右される側から解放されてみようと意識したとき、

飼い主さまは自分の個性や癖を知り、

犬の個性を癖を知れるのです。



えへへ、

とってもとんちな投げかけ(笑)。


だけどもこれを体で体感したら...

とっても普通のことなんだと知ります。


ちょうど一組のペアが今日これを体験したところです。


犬、まだ一切のトレーニングを身につけておらず、

人、まだ一切のトレーニングを教わっていない。


体験して知るのに技術が必要ない証拠です。


トレーニングは体験してなんぼです。

体験するためにトレーナーがいるのです。



飼い主さまよ、

犬を気遣うがゆえに影響受ける側で右往左往するその気力体力を
全て自己中心にあることに注いでしまってください


あなたを見せ、知らせ、

犬を知り、理解する、

ひとつの道です


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私、犬買う資格がないんです。


こんな言葉をたまに耳にします。

ちょうど先代犬を亡くされた飼い主さまからも。

新しい家族を迎えることを躊躇する理由が共通していたので、
私の考えを書いてみたくなりました。


◯◯になる資格は誰が与えるのだろう?


きっとそれは自分自身以外に与えられる人はいないと思うのです。


ある人は、資格があるかどうかなど考えません。


犬を飼うか?

それとも

飼わないのか?

が根っこにある悩みではないんだと思うのです。


犬にそれを当てはめた方が言いわけができる。


私は飼いたいと思った時、

資格うんぬんで自分を計って飼うことを決意することを止めた方が良いと思っています。


犬達と生きることは時に、

子どもを育てる親になるようなもので、

親友を得るようなもので、


飼う理由によって犬の立ち位置は飼い主さまによって変わるのだと思うのですが、


飼う資格があるかどうかを自分が自分へジャッジ向ける間は飼わないことで自分自身に時間を与えてあげることをチャンスだと感じてほしいなと思っています。


自分をジャッジしてしまうとき、

自分を責めたいことがあるのです。


そんな今の自分にゆとりなんて決してないんだと思うのです。


分かち合うにはゆとりがいる。

必死になっては味わえないこと、感じ得ないことがあるとしたら、

愛犬ライフはゆとりがあるに越したことはないと思うのです。


人によってゆとりとは、

経済的なことかもしれません。

気持ち的なことかもしれません。

時間的なことかもしれません。


どれであっても、

一人分からひとりと1匹分に増えたなら、

1匹分のゆとりが今の自分に持てるかな?だと思います。


病院代、餌代、かかります。

犬達だって気持ちのやり取りを持ちたがります。

トイレや散歩に時間を割くことも。


このゆとりを「資格」のジャッジに当てはめるというなら、
私の答えは「その通りだね」なんですが...


ゆとりは自動的に改善されることはありません。


犬を飼う前に、

自分にとってどんな場合にゆとりがないと感じるのだろう?


自分に聞いて応えてあげる行動を起こせますか?


そこに「犬を飼うなら」はいりません。

ただ、ただ、今の自分だけを見て何がゆとりを損なわしているのだろう?



犬を飼っている飼い主さまがゆとりがないことが犬との問題を引き起こしている場合があります。

でも犬と共に生きながら、改善されてゆきます。


結局は犬がテーマではなく、

自分を犬を介して知る機会が巡っているだけなのです。


外の世界に答えはありません。

愛犬がいる生活であろうとも、いない生活であろうとも。


あなたがあなたに耳を傾けない限り投げかけは続くのです。


犬達は私にとって友人であり、家族です。

時に余裕が無くなる時がありますが、彼らも私をサポートしてくれます。

私が彼らをサポートする時もあります。

そこに、ゆとりが左右する資格によってジャッジは持ち込みません。


私は常に行動することを選んでいます。


行動した先にいつも解決がぽ~んと出現するわけじゃないですが、

私が常に覚えておくことは、

犬達に耳を傾けることと同じだけ、私自身に耳を傾け行動に移すことです。



ゆとりは作るもの。


あなた自身にしかあなたへ与える許可は出せません。


飼う資格....


複雑な難問を突破することじゃなく、

疲れているから休むという行動ひとつが必要なのを見せてくれてるだけかもしれません。


犬問題に転嫁すると複雑に見える。


複雑であってほしい...


複雑にしたい理由、

自分に聞いてみる時かもしれないです




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