脂肪のかたまり (岩波文庫)/岩波書店
¥441
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脂肪の塊・テリエ館 (新潮文庫)/新潮社
¥389
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↑のよう、新潮と岩波で出ています。
この2冊、どっちがいいかなぁ、どっちか買いたいし・・・・
いつもアマゾンでしか買わないし(絶版のものが多いというのも大きい)
専門書でもなく、せっかく文庫なんだから
どっちかを買おう♪

と、三省堂に行ったのが数週間前。
結構大きめの店舗なのに、どっちもないんですね!!!!Σ(゚д゚;)
岩波と新潮文庫でない、って。
もうほんと、実店舗で本を買うってなくなりそう・・・・

ということで、結局図書館になりました。。。。

まず、読んだのは岩波文庫。高山鉄男訳です。
読んでみてなかなか気に入り、すぐに新潮文庫の青柳瑞穂訳で再読。
こちらには「テリエ館」も収録されていますが・・・・
訳は、断然岩波の方が良し。


脂肪のかたまり。以下、ネタバレありますのでご注意を。

内容は全く知らず、タイトルだけ知っていたという状態で

勝手に、脂肪ぶよぶよで油ギッシュな三重顎なオジサマを想像しておりました。

タイトルの付け方からして、モーパッサンらしい皮肉がたっぷりつまった話なんだろうなぁとは思っていましたが・・・・

人間の愚かさ、醜さ、戦争の馬鹿らしさなどをめいっぱい描いた傑作でした。
特に、「醜さ」がポイント。

私は文学作品に描かれる人間の醜さや愚かさ、嫉妬などがかなり好きなので
思いっきりストライクゾーンでした。

脂肪の塊っていうのは、
作品中に登場する売春婦のあだ名。

Boule de suif (直訳 脂肪のかたまり) は全体で「売春婦」という意味らしいですね。

舞台は、1870年代。
普仏戦争でプロシア軍に占領されたルアン市を抜け出し、ディエップに向かう10人の人々の6日にわたる旅を描いたもの。

なかなか目的地に着かず、腹が減って仕方ない乗客たちは脂肪の塊、こと娼婦ブール・ド・シュイフに弁当を分けてもらう。
なんとか宿に着くも、プロシャ士官によって足止めを食らい、出発が出来ない。
もしや監禁されるんじゃないのか、ゆるされるんじゃいのか、と脅えているが

実は、プロシャ士官は娼婦ブール・ド・シュイフに目をつけ、
彼女と同衾しないことには一同を出発させないことにする。

一同、言葉巧みに身を任せることを勧め、何とか出発できるようになる。

目的地に向かう途中、昼食の時間となり
娼婦ブール・ド・シュイフのみが弁当を持ってきていない。
誰も彼女に食べ物を分け与えず、嫌悪感をあらわにし、疎んじる、という話です。

この10人の中に、修道女がいるというのが衝撃的。
もう、終わってますよね・・・・・。

ヴァージニア・ウルフは、人生は1日で表現できるとして『ダロウェイ夫人』を書きましたが、
モーパッサンは、6日という時間はあるものの、さまざまな階層の人間を馬車に詰め込み、社会の縮図を表わしきりました。


弁当が前半と後半に2度も出てくるところが、「いかにも」で
だーーれでも気づける仕組みになってるのがちょっと面白くないな・・・直接的過ぎるな・・・
なんてのもあるのですが、
恩を仇で返すというのがよく伝わる結末ではありますね。

この最後の態度は問題だけれど、
娼婦なんだから、お客を選べる立場じゃないんだから、さっさと身を任せればいいじゃないか

と思うのはごく当然の心情だと思います。
それは、誰だってそう思うんじゃない?

それは差別というよりも、それが現実。
ただ、娼婦って必要悪だけどね・・・・。

じゃあ、なぜ彼女は何が何でも嫌だと思ったのか、というと
愛国心ゆえ。
あるエピソードを聞いても、10人中、彼女が最も勇敢で愛国心があって。

娼婦なんだから、相手は誰でも同じじゃないの。
とは、いかないわけです。
・・・・となると、やっぱりこれは差別なんじゃないのか。

こういう話は、『風と共に去りぬ』を思い出しますね。
ベルはスカーレットよりもよっぽど愛国心を持っていたと思うけれど・・・・・。
残念ながら、本作にはメラニーのような人物は登場しません。

本作は反戦ものにもなっていて
侵略戦争と、聖戦の違いについても触れている箇所があります。
これは、おっしゃる通り。

どうも、モーパッサン自身が普仏戦争に参加したそうで・・・・思うことが色々あったのでしょうね。
彼は戦争ものの短編も多く残しているらしいので、それも近々読んでみるつもり。


この作品は、師フローベールも大絶賛したそう。
読書メーター等の評判もすこぶる良いし、
現代の一般読者からの評判も上々なようですね。
(現代の批評家は知らないけど)

私はモーパッサンの方がフローベールよりも好きです。

こういう長さの作品って、中編かなぁと個人的には思っていたのですが
岩波では短編
新潮では中編、ってことになっていて どっち???となりました。

いや、もちろん、明確な基準はないんだろうけど
80ページくらいから中編な感じがして。

本当一体どんな風に決められているんでしょうねー。
中編は「」なのか、『』なのかどっちなのかがいまいちわからなかったのですが
中編小説と見なしている新潮文庫の解説では『』でしたので
おそらく『』なんだと!