- 血みどろの西洋史―狂気の一〇〇〇年 (KAWADE夢新書)/池上 英洋
- ¥756
- Amazon.co.jp
昨日は台風大変でしたね・・・・・。
特に関東在住のブロガーさん、無事帰宅できましたか??
東京に単身赴任中の父から、地下鉄が止まってしまって今1時間半缶詰になってる、というメールが届きました。
結局何時間閉じ込められたのか謎です。
そもそもちゃんと帰ってこられたんだろうか・・・・(´・ω・`)
札幌も酷いだろうと覚悟していたけれど
朝起きた段階では雨も降ってない、という状態です。もう大丈夫そう。
なんだ、今日友達と遊び行っても大丈夫だったんじゃ。
雨や風より、酷いのは寒さ。
最高気温が15度。今10度ちょっとしかないんじゃない・・・・?
衣替えをし、足温器出してきました。寒すぎる。
北海道のどこかでは初雪だそうです。
さてさて、著者の『恋する西洋美術史』が面白かったので、こちらも読んでみました。
どう考えても内容全く違うけど。
タイトルからして血生臭~~い感じがしますし
このブログ記事開くのも躊躇された方いたりするのかな(´∀`)
思いっきり血みどろ、の魔女狩りや拷問等については第1章のみ。
耐えられなかったら飛ばすのもありかな。
読んだ方がいいとは思いますが・・・・
この著者文章上手いし、博学だし、勘違いしそうな類をまとめてくれているところが良いです。
では、そこからほんの一部ご紹介。
魔女かどうかを判断する方法として、川に放り込んで
浮かんだら→魔女確定→火あぶり決定
沈んだら→魔女ではない ※しかし、沈む=溺れる→溺死
・・・・・・というのは知っていましたが、
これって、水は洗礼に用いる神聖なものだから
もしその女が魔女なら、水が受け付けないに違いない! という考えから来ているのだそう。
つまり、神に判断を委ねようとしているようです。
また、魔女の身体には悪魔との契約のしるしがあるとされていました。
特に、太ももに。
あざやほくろが疑われて、そこに針を突き刺すのだそうです。
それが契約の穴ならば、痛みも感じず、血も感じない。
それだけでも恐ろしいのに、詐欺的な方法が存在したという事がなお恐ろしい・・・・。
押しつけると先が引っ込む仕掛けになっている針まで開発されています。
魔女をひとり検挙するといくら、という報酬があったから。
魔女狩りはこれくらいにしておきましょう。
それ以外にも、ペストや異常性愛など様々な中世の「闇の時代」について載っています。
中世の庶民についても載っていて
貞操帯が出てくるのは定番なんだけども、物乞いについて載っているのがこれまた興味深い。
あまりにも乞食が増えすぎたため、「乞食の登録制度」なんてものが出来て、
許可のしるしを持っている乞食だけが物乞いをすることが出来た・・・・・そうです。
イギリスでは14世紀に五体満足なものが乞食をすることを罰する法律が出されたり、
ヘンリー八世に至っては特に厳しく、乞食がもし健康体だと分かったら、鞭で打たれながら引き回されることが決定されていたそうです。
庶民関係で、初夜権というのがありますが
研究者によれば、中世で初夜権が適用された証拠はほぼないらしくて、
実際にあったとしても処女の肉体よりも、金銭で徴収されたのではないかという研究がされているそうです。
え、そうなの?
更に大きな「え、そうなの?」は、ユダについて。
キリストを売った、ユダ。
ダンテによって真っ先に地獄に落とされたユダ。
(真っ先に、なんて書いてありませんが、真っ先に、だったのは間違いないでしょう)
どうやら『ユダの福音書』というものが存在していたらしいですね。
なんだそれ、ユダのなんて、聞いたことないよ、と思ったら
ほぼ完全に歴史上から姿を消していて、そもそも本当に存在していたのかと疑問視する人もいたそうです。
しかし、1987年にナイル川東岸地域の洞窟で発見されます。
修復に時間がかかり、その後英訳が出たのが2006年。(この本出たの2007年)
どうやらそれを読んでみると、ユダが本当に裏切り者だったのか・・・・分からないそうなんです。
そんな、根本的なことなのに。
イエスが地上に現れる際にしようがなく必要とした「肉体」から、「精神的存在」としてのイエス本来の姿を解放してあげる行為、なんだと。
確かに、これだと何故イエスはユダが裏切ることを見抜けず、阻止しなかったのか?
という疑問は解決するわけです。
・・・・・・・ダンブルドアみたい・・・・・・・・・・・・。
もちろん原爆や戦争についての知識、学ぼうとすることも重要だけど・・・・
こういった歴史について学ぶことも大事なんじゃないかなと思います。
どうしても「日本人としての戦争」になっちゃいますしね。
歴史って知っているから良い、点数取れるからよいってものじゃないと思います。
著者も「ローマにはカタコンベ(地下墓所)というものがあった、ということは知識として持っていても、ではなぜ初期のキリスト教徒たちはわざわざ地下に住まねばならなかったのかを、生徒たちははたして理解できるのだろうか。あるいは、コロセウムで剣闘士の試合があったことは知っていても、彼らが帝国辺縁の属州から連れてこられた奴隷たちであって、自由がないからこそ日々殺し合いをさせられていたことを理解しないのならば、単に剣闘士という知識を増やしただけで、そこに何の意味があるのだろう」
と指摘しています。
「コロセウムってとこで、日々殺し合いしてた野蛮な時代」
という単なる認識だと、意味ないですもんね・・・・・。
色々考えさせられて、残酷だけども興味深い本でした。