て・・・テーマはなんだ?そもそもタイトルは何だ??

と迷いました。


こちらは『トルストイ全集 17 芸術論・教育論』 河出書房です。

で、「芸術とは何か」 「国民教育について」 「ゴーゴリについて」等26編が収録されています。


 私のお目当ては、タイトルの「シェイクスピア論および演劇論」

 阿刀田さんの本にですね、2回ほど登場しておりました。「トルストイ全集に載ってる」とのことでしたが、どこの出版の何巻に載ってるのか分からなくてあせあせ


 簡単に言いますと、ロシアの文豪トルストイ。『アンナ・カレーニナ』 『戦争と平和』などなど、著名な作品は数知れず。

 彼は、かの有名なシェイクスピアを理路整然と・・・・なんというか、叩いてしまってるんですね。神格化されているシェイクスピア。


 でも、確かに・・・・著名で誰もが認める偉人である作家の著書を理解できなかったとき。世間では絶賛され評価されているのだから「合わない」というより単に「読解力がなかった」や「器が小さすぎて理解できなかった」と思ってしまいます。

 自分が、おかしいのだろうと。

 トルストイも最初はそう思ったらしく、自分が変なんだと思い相当読み込んだようです。


 私だったら「合わないーきらいー」で終わってしまうだろうに、わざわざ自分の好きでない人の書いた作品をここまで読もうと思えません。

 ”ここが好き”を説明するのも難しいけれど、”ここが嫌い”を説明するのもかなり難しい。ニガテです。

 ここまで理路整然と延々とシェイクスピア批判・・・。読み応えあります。


 是非、一読を。


 もともと『戦争と平和』なんて語りすぎ!という部分もありますし、語るの好きよねーとか思ってました。

 そういやまだ未読なんですが、↓のよう『人生論』だなんて著書もありますから。


 でもね、私好きなんです、トルストイ。

 ドストエフスキーやチェーホフとかもいいけど、やっぱトルストイ。


 そんなトルストイさんがシェイクスピアを延々と批評・・・・。

 えぇぇ、私どっちも好きなんだけど!?


・・・とか思っちゃいますが。もともとシェイクスピアは戯曲です。”読むもの”では本来ないのです。

私からしてみれば死ぬ時は「死ぬ」とはっきり書かれているので、小説のよう婉曲的に「これは・・・死んだの?死んだのよね??」とならず、分かりやすくて良いのですけれど。


 文章で表現できないし、戯曲って言っちゃえば台本ですし台詞だけで話を進めるのって小説より難しい気がするんですよね。

 しかも、トルストイは上記のように論じるの大好きなタイプ。シェイクスピアは洒落とか好きなタイプ。

 ・・・・・確かに、この時点で合わない気がする・・。

 トルストイはちょっとね、私個人の意見ですが・・・自分の意見を押し付けすぎに感じるところがあります。


 そこで新たな疑問が浮上です。

どっちも好きな私っておかしいのでしょうか。


 ひたすら特に『リア王』について延々と語るトルストイ。シェイクスピアでも有名どころがいいだろうし、4大悲劇の中でもっとも突っ込みどころ満載に感じたのかな。


 ここまで猛反論するのって凄い。恐れ多くて出来ないと思います。

私はやはりシェイクスピア・サイドの人間ですが・・・・かなり説得力があるのでしばしば「確かにね」と頷いてしまうところもあったり。

 この論文に反論する論文とか書いたら面白そう。

 

でもね、何より反論したいところが一つ。たくさんあるけれど、1つだけとなると・・・

 偉大なリア王がいくら年をとっていたにせよ、これまでずっと一緒に暮らしてきた悪い娘たち(ゴネリルとリーガン)の言葉を信じて末の愛娘(勿論コーディリア)を信じないで、呪って追い出すようなまねができるわけがない。

 だからそもそも、感情に共鳴できるわけがない・・・


 と主張しているのですが、そもそも、ココ突っ込んじゃだめだと思うんです。

 だから、リアの悲劇なんでしょ。一国を治めた偉大なる王が、表面的な言葉に騙されて本当の愛情を見抜けなかった。

 目が見えなくなって初めて見えるようになった男の悲劇なんじゃ・・・・・。


 ま、確かにコーディリアも言ってることは正しいけれど普通に

 「お父様を愛しています。でも、言葉では表現できないのです。そして、嫁ぎましたらきっとお父様以上にそのお方のことを愛しますわ。」

とか言っとけばいいのに、とは思いますよ?

 確かにある程度はリアが怒るのも無理はないです。

 でも、突っ込んじゃいけないポイントってあるじゃないですか。



 だからこそ、の悲劇なんだから。

 この理論で行くと「オセローってバカだよね」「デズデモーナもハンカチ落としたときに落としたって言っとけばいいものを」になっちゃうって。

 そんなこと言ってしまったら全ての戯曲どころか小説が成り立たなくなる。

 そこで学んで、実生活に生かす。そういう風に捉えたほうがいいと思うんだけれどあせる


 恐らくシェイクスピアの”礼讃者”が言うであろう問いに自分から答えていますが、

そのうちのひとつが「シェイクスピアの登場人物が発する深い意味をもった台詞は格言はどうなんだ?」です。

 これに対してトルストイは、

 「格言などが高く評価されるのは散文や論説などであって、”芸術的劇作”ではない。

 どんなにシェイクスピアの言葉が斬新であっても、芸術的な詩的作品にはならない。」


と言い切ってます。理由になってると思えないー・・・・。戯曲だから良いんじゃないの?逆に論説で格言あったって誰も聞かないと思うんだけど。

 


 また、

シェイクスピアのどこでも好きなところを挙げてみろ!!

10行も言えないだろう、と。


 あぁ、もう。

そもそも「好き」を文章にすること自体が間違ってるよ!理由なんてないものでしょ。

 特にシェイクスピアはこういうの嫌ってるよ。

 だからあなたたち合わないんだって。

価値観違いすぎるんだって。それだけだって。

・・・・・と言いたくなります(苦笑)


勝手にリンク貼っちゃいましたが、このサイト、かなり分かりやすくまとめてありお勧めです。リンクこちら


人生論 (新潮文庫)/トルストイ
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リア王 (岩波文庫)/シェイクスピア
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新リア王 上/高村 薫

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”リア王”でアフィリエイト検索してみたら・・・・こんなのヒットしちゃった!!☆
わぁ、表紙からして良さそう。
こういうの読むと元々のシェイクスピア劇をどうしても違うように見てしまうようになるけれど・・・・
ちょっと探して読んでみたいと思います*さくら*