真の教養はなんらかの目的のための教養ではない。それは、完全なものへのすべての努力と同じ様に、その意味をそれ自身のうちに持っている。


 直訳すると世界文学文庫だという、この本。

 既に絶版になっており、手に入れるのは大変です。私が読んだのは、約60年前に出版された新潮文庫のものです。

 大学図書館の書庫にありました。想像より、非常に薄く・・120ページくらいしかありません。

 70円ですって。70円。

 ただ・・・古すぎて。黄ばんでる本とかは慣れていますが、訳が。何ていうの?繰り返し記号(って言うの?)が沢山で読みにくかったですね。


 ヘッセと言えば・・・『車輪の下。中学生の頃に読みました。ヘッセって、ノーベル文学賞受賞してたんですね。

 ふと、思ったんです。ドイツ文学って何がある?・・・と。ゲーテ、グリム兄弟・・・あれ、それくらいしか思いつかないぞショック!

 ウィキで調べてみるとカフカが入っていました。でも、カフカってどうやら現在のチェコの生まれで、ユダヤ人らしいのです。作品は全てドイツ語で執筆したそうですが・・・それでドイツ文学の括りにするのおかしくないはてなマーク

 どちらにしても、私ドイツは全然分からないよ~あせる


 ウィキによるとですね、ヘッセの作品は難解であるともされ「誰もがミッキーマウスを理解する。ヘルマン・ヘッセをわずかの人が理解する。ほんのひとにぎりの人がアインシュタインを理解する。そしてノートン1世を理解する者は一人もいない。」というジョークが存在するそうです。聞いたことないけど。

 そうかなぁ、ヘッセはそんな難解ではないと思います。(1作品しか読んでませんけども・・)そう言うならば、ゲーテの『ファウスト』とか方がよっぽど難解といえる気がしますが・・・



 フランス、中国、ロシア、ギリシャ、イタリア、オランダ、イギリス、スペイン、そして、ドイツ。

短いながらも、簡潔にそれらの国々の文学史がまとめられています。

 どうやらヘッセは中国の書も結構読んでいたようですね。

 どうせ出てこないだろう、と思っていたのに・・・・ちらっと登場する、我が、日本。大抵こういった系統の本には日本が出てこないのです。殆ど日本のものを読まない私が言えたことじゃありませんが、海外から見た日本文学とはどういう位置にあるのでしょうか。

 以下、本書より抜粋。

 日本人もまた私は忘れてはならない。もっとも中国人ほどには到底私を熱中させず、私に「かて」も与えてくれもしなかったけれど。

 日本といえば、我々はドイツと同様好戦的な国としてのみ知っている。(以下略)


 日独伊三国同盟とか、あったしね・・・・。日本ってこの当時「好戦的」なんだ・・・。

また、ヘッセは日本のをとても評価していたようです。

 



 訳者あとがきより

 ヘルマン・ヘッセは優れた作家であると同時に、優れた読書家でもある。

 彼の随筆集に「読書について」というのを初めとし、読書一般についての感想や、ドストエフスキーやゲーテなど多くの作家についての小論が幾つもあるのは、彼が熱心な読書家であることを裏づけしている。


 うん、その通りだと思います。やはり、自ら書き、自ら読む人が書いたこういった本は面白い。

 モームの『世界の十大小説』とはまた違った感じですね。これを読んでも「一体、モームはどれだけの本を読んだのだろう・・・?」という疑問が浮上しましたが、ヘッセはこの著書の中で「数万冊を読んだ」と言っています。

 数万冊?数万冊・・・。あぁ、私も死ぬまでにそれくらい読みたいものです。



 だからこそ、ヘッセは幾度となく「何の本が一番好きですか」と聞かれ、迷っていたのでしょう。彼のように海外文学に親しみ、愛し続けた人の方が選べないですよね。

 私だってよく「シェイクスピアで一番何が好き?」と聞かれるけれど、一番なんて決められませんからニコニコ