2019年4月 山口市 小郡下郷元橋の石鎚山 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

@82

 

山口県山口市小郡下郷元橋に石鎚山があ

今回の山口県防府市周辺の石鎚山の旅、最終日を締めくくるに相応しい探索となった

この石鎚山の情報は無いに等しいが「百谷遺跡から山へ入り、赤い印に導かれ石

印の祠が岩の上にあった」という情報だけを頼りに探してみた(>_<) ! !

場所からして藪漕ぎ覚悟の探検であったがなかなか厳しい展開となり、極まる事数回

夕方の時間に追われる厳しい内容であった

結果、無事に発見はできたので、この日記にはスムーズに行けるよう結果だけを記し

後世への情報として残してみる。

場所は山口市小郡下郷元橋でここに百谷遺跡がある、石鎚山への入口は百谷遺跡

への入口と同じであり、百谷遺跡入口すぐの所を右へ入ると奥に「石鎚社」と記された

鳥居がある、この鳥居から比較的はっきりとした道を登りきると30分ほどで石鎚山山

であるが展望は無く「石鎚山」と記された手作りの山頂票があるのみ。

そして石鎚山への登山道の中間付近に登山道左側に赤で顔の絵が記された大岩が

ありここが石鎚神社の祠への入り口である、ここから先は踏み跡は無く自然林の隙間

をシダ藪を避けながら左寄りに登っていくと大岩に突き当たる、この上がテラスになっ

ていて灯篭のような物があり、灯篭の右上に石鎚神社の祠がある

これ以上の説明も難しいが灯篭の置かれてある大岩の手前に黄色いテープを巻いて

あるので目印にしてほしい。

この石鎚神社の祠には「石」の文字以外何も記されていなかったが、百谷遺跡入口の

少し手前に広場があり、ここに石鎚神社があったようであり、この祠はこの石鎚神社

方向を向いて置かれているようであった。

そしてこの祠の扉を開けてみると中は空っぽであった、しかし道は消え雑木林に埋まり忘れられたこの地もかつては信仰の地であり、先人のいろいろな思いが伝わってくる様である。

ここへ来て最後に思う事は「やはり石鎚山はすばらしい~」という事であり、この言葉

にこの旅すべての想いが詰まっているという事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小郡下郷元橋の石鎚山

 

石鎚社の祠はなかなか見つけにくい所

 

林道にある百谷遺跡の入口

ここを入って10mほどの所を右へ入ると鳥居がある

 

鳥居を潜れば石鎚山まで道がある

柱には「明治廿八年」とある

 

そして中央には「石鎚社」

ここから先は石鎚山への参道である ! !

 

迷うような所もなくはっきりしているがゴリゴリで歩きにくい道

 

青いペンキに導かれていくと

 

道上に大岩が現れ顔の絵が記されてある

ここから山側 (矢印の方向) が石鎚社の祠への入口

 

まずは道なりに進み石鎚山へ

山頂には何もなく展望もまったくなし

 

そしてさっきの大岩へ戻り山側へ入って行くと

天然雑木林で全く道はない

 

直登りすると笹薮が現れるので左へ巻きながら進むと

 

斜面に岩が現われ更に左斜め上へ登っていくと

大岩に突き当たる(手前に3本テープ巻いてます)

正面の雑木林の中は大岩で右の方は石垣もある

 

ここは左へ巻きながらこの大岩の上へ登ると

 

石の上に灯篭?が建ってある

 

正面には「奉燈」と彫られてある

 

そして後ろの山側右へ進むと ! !

 

立ち上がった岩の上に祠がある

この時の感動は今も忘れない(>_<) ! !

 

「石」の印が見える、石鎚山である ! !

 

祠がある岩の周囲はシダ藪とイバラの急斜面であるが

根性の限り進むと裏側へ上れる

 

石鎚山の祠である ! !

扉を開けてみると中は空っぽだった

 

扉は稼働して閉めると模様があった

しかし屋根の「石」の印以外は何も文字はなかった

 

祠は南西向きに置かれ前方は開けている

おそらく鳥居手前の林道横にあった石鎚神社を向いていると思う

しかしいつからここに鎮座しているのか?

 

「石」たったこの一文字かすべてを語っているm( _  _ )m

「やはり石鎚信仰はすばらしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

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