2015年7月 高知市 烏帽子山の石土神社 五月大祭 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

高知市神田に石土神社がありこの神社の本社が烏帽子山にある

そして神田の石土神社に由緒書きがあり年に3回の大祭の日が記されていて

このように記されている。

「正月(旧暦)廿四~廿五」・「五月(仝)廿四~月末迄」・「九月(仝)廿四~廿五」

いずれも旧暦で記され、これらを今年の暦に置き換えると

3月14~15日・7月9日~15日・11月5~6日となる。

由緒書きもかなり古い事から3月の大祭の時は半信半疑で行ってみると、現在も

大祭がなされずっと昔からの伝統的行事が続けられている事を確認した。

この時の感動は今もはっきり覚えているのだが、3月と11月は2日間だが本日か

の大祭だけはどういう訳か1週間続けられる、石鎚山のお山開きとも重なって

るし何かイベントがあるのかも知れない、と言う事で行って見た('-^*)/

お昼過ぎに烏帽子山到着、まず人が来るような所でもないが鉄塔下の駐車場

には数台の車が止まっている。

そして石土神社のほうへ入っていくといつもは閉められている小屋が接待場とな

数人の信者さんが食事をしていた、軽く挨拶をしてまずは頂上の石鎚大神が

祭られている祠へ行ってみると前回同様扉が開けられ3体の石鎚大神を拝する

事ができた、2回目ともあって今回はじっくり拝む事ができ細かい所まで見渡す

事ができた、そして一段下にある石土大権現の祠へ行ってみるとここも前回と

変わりなく「石土大悲蔵王権現」と記された箱が備えられていた。

間違いなく中は石土蔵王大権現が1体納められているのだろうが今回も実物を

拝するはできなかった。

結局、前回お参りに来た時となんら変わりは無かったがいつから続けられて

いるのか分からないが由緒通り今も年3回の大祭(御開帳)がされていると言う

事である ! !



3月14日の石土神社大祭 → こちら





この旅はこの一枚の由緒書きから始まった ! !

烏帽子山山頂の鉄塔


タクシーで来ている人もいるようだ

鉄塔の両端どちらからでも入れるが
神社正面の左側から入る


石土神社へ続く階段


階段の上には古い鳥がありすぐ先の小屋が開けられていた


この鳥居は明治から立っているよう
この頃は鉄塔もないだろうしここまでの道もなかなかだろう


小屋の方に軽く挨拶をして先に進む
この鳥居から先が境内といった感じだが
まだ上にも鳥居はある


あれが山頂にある2つの鳥居


山頂はちょっとした広場であるが
なぜこれほどの鳥居があるのか?

反対側には手すりが鎖の階段がある
駐車場から右側へはいればここから上がってくる
おそらく昔はこの鎖をこいで登ったのだろう


南側だけ展望があり太平洋が望める


鳥居には「石土神社 ! !」
しかしこの石土神社はこの前行った南国市十市の
石土神社とはまったく別物である


山頂の大きな社は開けられ
石鎚大神3体が御開帳されているエリザベス


すぐ横が山頂で三角点
石土神社はよいよ山頂にある

そして一段下に石土大権現の社がある

形の違う2種類の鳥居があり
手前の鳥居は神明鳥居で奥は稲荷鳥居という形

「石土大権現 ! !」

おぉぉぉ~~っ ! !
ここには石土蔵王大権現


この中途半端な御開帳は前回同様
す~っと板を上に上げたいところだがそっとしておこう

そして今回もお接待でお餅をいただいた
まだぷにょぷにょで柔らかい
これで2日は生き延びる事ができる ! !
まさに権現様の恵みだ~(^_^)。
「やはり石鎚山はすばらしい」

11月5日の大祭も行ってみた → こちら

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追記 ! ! まぁこんな事に興味のある人は居ないだろうが
とりあえず参考に記しておこう(^_^)。
こうやって訪問していると最近になって分かった事であるが
今日訪問した高知市の烏帽子山の石土神社と南国市十市にある
石土神社は漢字こそ同じであるがまったく別の神社であり
どちちらの神社も御神体とするものは愛媛県の石鎚山である。
どちらの神社も神仏混淆(しんぶつこんこう)であり
神様仏様両方と言う事である、明治より以前は蔵王権現(仏様)
だけだったのだろうが明治より神様の石鎚大神へ姿を変えた。
そして今は両方の神様の石鎚大神・仏様の蔵王大権現をお祭り
していると言う事である、ただこの両神社では現石鎚山を石土山と
記し「土」の字を使っている、現在の「鎚」の漢字に統一されたのは
昭和27年であり、それ以前は地域や年代によって漢字が
違うのである、僕の知っている限りこの「土」を使って
石鎚山を表記したものは少ないが今でも石鎚山土小屋
登山道に紛れもなく石鎚山を「石土山」と表した看板残されて
いるのでここで紹介しておこう、鉄製のくりぬき文字なので
いたみもなく現在も残っているのだろうがこんな看板は誰も
気にしていないが第4ベンチ横にある ! !