高知県須崎市の安和と浦ノ内に石鎚神社がある。
2ヵ所ともヤフーの地図で確認できる神社だがどんな所かは行ってみないと分か
らない所、要するにググってもヤフっても何も情報が無いと言う事
今日訪問した2ヶ所の石鎚神社も同様で安和の石鎚神社は拝殿が倒壊し石製の
祠だけがぽつん~とたたずんでいるだけだった。
中には石板に刻まれた石鎚大神の姿が残っていたがおそらく今は誰もここへは
来ていないであろう感じであった。
車で30分ほど走ったとこにある浦ノ内の石鎚神社は以外にも山の上にあった。
登山口はすぐに分かったが入り口付近は雑草に覆われ普通の人は入り込んで
いかないだろう光景である、小山の中腹に石鎚神社を発見したがここも平成に
入ってからは誰も来ていない感じで中には石鎚大神が3セット残っていた。
また2つの石鎚神社が消えようとしている、無念な限りである。
安和の石鎚神社はここにある
56号線のローソンから見える
しかし標識には何も書かれていないが
道はザレて崩れた感じ
以外にもすぐに普通の道になる
丸太の階段登場
途中にあった社にはお地蔵さんがたたずんでいた
ずっと階段でけっこう登っている
山頂はすぐ
石鎚神社
入口の手水舎には何も記されていない
山の上のようだが登山道は写っていない
56号線のローソンから見える
正面の山が石鎚山
以外にもローソンから少し入り橋を渡ると
登山口らしき標識がある
しかし標識には何も書かれていないが
まず間違いないだろう
道はザレて崩れた感じ
以外にもすぐに普通の道になる
丸太の階段登場
途中にあった社にはお地蔵さんがたたずんでいた
ずっと階段でけっこう登っている
頂上手前に右側に折り返して入っていく道がある
ここが石鎚神社の正面入口
山頂はすぐ
鎖でもあればいい感じのとこだが
石鎚神社
入口の手水舎には何も記されていない
石製の祠だけが残っている
祠の扉は開いている
祠の扉は開いている
神社につきものの一升瓶もごろごろしている
月次祭や直会などの祭礼も行われていた様子
間違いない石鎚神社
コンクリの台座の上に石製の祠
扉も開けっぱなし
横に鍵が置かれてあるので元々は閉められていたのだろう
最後の最後に誰かが開けたのかな?
奥の壁には石鎚大神が彫られてある
右側の扉には「石鎚神社」
「石」の印はなかなか繊細でいい彫り出しをしている
この祠は西北西を向いていて正面に展望は無い
元々は祠前に拝殿があったようだ
続いて浦ノ内の石鎚神社へ
以外にも小山の上のようでこれが石鎚山
こりゃなかなか冒険心をあおる登山口
もはや道はない
うっすらと石鎚神社と読めるが
なかなか荒れた道
少し辛抱すると開けた
石鎚神社
左側の扉には「昭和九年十月吉日」
もう80年経つ計算になる
後ろと側面には何も彫られていない
この祠は西北西を向いていて正面に展望は無い
この方向に何がある訳でもなく石鎚山が北北西なので
無理やり石鎚山のほうともいえない事は無い
おそらく石鎚山の方に向けて設置されていると思う
元々は祠前に拝殿があったようだ
ここで神事も行われていた様子だが今は誰も来てない
信者さんが来ていればこんなに荒れる事は無い
次のピークに三角点があるだけだった
三角点のピークから太平洋
続いて浦ノ内の石鎚神社へ
以外にも小山の上のようでこれが石鎚山
左に鳥居が見える
こりゃなかなか冒険心をあおる登山口
もはや道はない
うっすらと石鎚神社と読めるが
分かってなかったら読めないだろう
なかなか荒れた道
少し辛抱すると開けた
石鎚神社
「石」の印で石鎚神社と判断できるのだが
廃墟となっている様子
GPSの位置は間違いなくここなのだが
小屋の奥に道が続いている
一段上がるとお墓しかないのだが
何と先達のお墓
ぐじゅぐじゅの山頂に出ると
やっぱりさっきの建物が石鎚神社のよう
石鎚山の魔除けサル
小屋の奥に道が続いている
一段上がるとお墓しかないのだが
何と先達のお墓
神社境内にあるとはなかなかの大先達のよう
山頂に向かって道がある
この上に何かあるのかな?
ぐじゅぐじゅの山頂に出ると
やっぱりさっきの建物が石鎚神社のよう
もどってみると屋根瓦には「水」
ドアはひずんでいるがパワーで開ける事ができる
石鎚山の魔除けサル
立派な祭壇の中央に大日如来が祀られてある
平成の時代に人が来た気配はない