2014年11月 高知県 須崎市 安和・浦ノ内の石鎚神社 | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

高知県須崎市の安和と浦ノ内に石鎚神社がある。

2ヵ所ともヤフーの地図で確認できる神社だがどんな所かは行ってみないと分か

らない所、要するにググってもヤフっても何も情報が無いと言う事

今日訪問した2ヶ所の石鎚神社も同様で安和の石鎚神社は拝殿が倒壊し石製の

祠だけがぽつん~とたたずんでいるだけだった。

中には石板に刻まれた石鎚大神の姿が残っていたがおそらく今は誰もここへは

来ていないであろう感じであった。

車で30分ほど走ったとこにある浦ノ内の石鎚神社は以外にも山の上にあった。

登山口はすぐに分かったが入り口付近は雑草に覆われ普通の人は入り込んで

いかないだろう光景である、小山の中腹に石鎚神社を発見したがここも平成に

入ってからは誰も来ていない感じで中には石鎚大神が3セット残っていた。
また2つの石鎚神社が消えようとしている、無念な限りである。




 

 

安和の石鎚神社はここにある

山の上のようだが登山道は写っていない


56号線のローソンから見える
正面の山が石鎚山
 
以外にもローソンから少し入り橋を渡ると
登山口らしき標識がある

しかし標識には何も書かれていないが
まず間違いないだろう

道はザレて崩れた感じ

以外にもすぐに普通の道になる

丸太の階段登場

途中にあった社にはお地蔵さんがたたずんでいた

ずっと階段でけっこう登っている
 
頂上手前に右側に折り返して入っていく道がある
ここが石鎚神社の正面入口

山頂はすぐ
鎖でもあればいい感じのとこだが

石鎚神社

入口の手水舎には何も記されていない
 
石製の祠だけが残っている
祠の扉は開いている
 
神社につきものの一升瓶もごろごろしている
月次祭や直会などの祭礼行われていた様子
 
間違いない石鎚神社
 
コンクリの台座の上に石製の祠
扉も開けっぱなし
横に鍵が置かれてあるので元々は閉められていたのだろう
最後の最後に誰かが開けたのかな?
 
奥の壁には石鎚大神が彫られてある
 
右側の扉には「石鎚神社」
「石」の印はなかなか繊細でいい彫り出しをしている
 
左側の扉には「昭和九年十月吉日」
もう80年経つ計算になる
 
後ろと側面には何も彫られていない

この祠は西北西を向いていて正面に展望は無い
この方向に何がある訳でもなく石鎚山が北北西なので
無理やり石鎚山のほうともいえない事は無い
おそらく石鎚山の方に向けて設置されていると思う

元々は祠前に拝殿があったようだ
ここで神事も行われていた様子だが今は誰も来てない
信者さんが来ていればこんなに荒れる事は無い


この神社から更に道が続いている
 
次のピークに三角点があるだけだった
 
三角点のピークから太平洋

続いて浦ノ内の石鎚神社へ

以外にも小山の上のようでこれが石鎚山
左に鳥居が見える

こりゃなかなか冒険心をあおる登山口

もはや道はない

うっすらと石鎚神社と読めるが
分かってなかったら読めないだろう

なかなか荒れた道

少し辛抱すると開けた

石鎚神社


すぱ ! !っと割れた手水舎
「石」の印で石鎚神社と判断できるのだが
 
廃墟となっている様子
GPSの位置は間違いなくここなのだが

小屋の奥に道が続いている

一段上がるとお墓しかないのだが

何と先達のお墓
神社境内にあるとはなかなかの大先達のよう
 
山頂に向かって道がある
この上に何かあるのかな?

ぐじゅぐじゅの山頂に出ると


すぐ裏にまで開発の手が

やっぱりさっきの建物が石鎚神社のよう
もどってみると屋根瓦には「水」
 
ドアはひずんでいるがパワーで開ける事ができる

石鎚山の魔除けサル
 
立派な祭壇の中央に大日如来が祀られてある
平成の時代に人が来た気配はない

右側には三寸の石鎚大神が


左側には二寸の石鎚大神


三つの木箱があり正面は石の印に本尊と記されてある
右側には「土佐高岡郡浦ノ内」左側には「聖心教会」と記されている
中には木製手彫りで銀色に塗られた石鎚大神が入っていた

上のお墓の人に送られた感謝状のよう
ここは「聖心教会」と言う所でお墓の人が教会長のようだ
間違いなくここにはもう誰も来ていないし
この建物もそう長くは持たないだろう
ここの御神像はどうなるのだろうか?
 
 
 
 
 
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