C.シュミット『政治的なものの概念』(旦那ken) | のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

のん気夫婦の中国・天津・大連生活ブログ

ご訪問、ありがとうございます!!夫&嫁で更新♪
ken(夫)は、中国でのビジネスは中国での出産(天津ローカル病院にて出産)・育児話をメインに♪

仕事で、アモイと上海を往復する日々の中
中国で暮らし始めて9年もたつ、私や私達家族に
とって、今の日中の政治的問題は、深刻で身近な
また今後の人生を左右する問題にもなりかねない

photo:01

新聞を見れば、日本の右傾化への批判ばかりで

photo:02

その右傾化を批判なのか、抑制なのか、次々と中国国内で
いろんな動きがでてきている。上記は第二次大戦中の日本企業の
強制労働を訴えるなど。。

とはいっても、今のところそれほど私たち一般の中国在住の日本人に
とっては、まだそれほど、おおきな影響があるわけではない。

今のこの状況を、どのように自分自身で俯瞰し理解し
振舞うべきなのか?

酒を飲みながら、どんちゃんさわぎをしながらも
合間合間で、少しは考えてみなければと、思う今日この頃でありました。

そんななか、少し小難しい、いやかなり私にとっては難しかった
一冊の本を手に取り読んでみました。

カール、シュミットの
『政治的なものの概念』
という本です。 100ページくらいですが、だいたい同じページを3回
くらい読みながらも、頭にはいってくることと、はいってこないことが
ありましたが、日中問題を深刻にすえる自分にとっては、
ときどきそれらのフレーズが、フィットすることがありました。
photo:03

カール、シュミットは戦前の日本ではナチスの御用理論家として
宣伝された政治学者だそうです。自由主義や民主主義気への批判
作業は挑戦的、論争的であったのこと。

私が生身でこの、日中の政治的状況をどのようにすえるべきかという問題提起に
この本の、冒頭の1,2ページ目で、いきなり腹におちたような気がする答えを
みるけることができた。

その冒頭は、こうである。

『国家という概念は、政治的なものという概念を前提としている。
国家は、こんにち的用語法によれば、あるまとまった地域内に組織
された国民の政治的状態である。。。中略。。。

国家とは、その語義および歴史発生からするならば、国民の
特別な状態であり、しかも決定的な場合に決定力をもつ状態
であって、したがって多くの考えうる個人的および集合的状態に
比べて絶対の状態なのである。』

政治的なものについての、明確な定義はないなかで
ただいえるのは、一般に国家的と、政治的が同一視されるなか
とにかく、特別な状態である。

というふうなフレーズに、私が感じたこと。

こんなに日中間の問題が荒れてくる中で、でもなぜか普通に
生活ができ、普通に中国の人たちと接している。。

それは、当り前なのだとこの文章から感じた。

だって政治は特別な状態であるから、
個人的で、私生活からは絶対的な状態なのだから

本来は、このような政治問題に、私が考えるべきではない。
考えてもいいが、自分の私生活とは一線を画して、影響を
受けるべきではない。

だって国家と政治は特別なのだから。

そのように、私くはあっているか、まちがっているかわかりませんが
勝手に理解してしまいました。

よく政冷経熱という言葉をききますが、
政治とはそうあるべきだし、経熱であっても経冷であっても
それが政治に影響をうけないようにすべきだということを
一般庶民までもが理解すれば、
それが理想の状態なのではと、考えるにいたりました。

とはいっても、そのように理解できないのが、人間というものなのですが

または市民というか国民というものなのでしょうが、

そこは市民的成熟というか国民的成熟に自身がなれるように
努力しなければならないものなのでしょうか。

と時々は、このようなことも考えてみなければと。

週末はアモイの社員たちと、飲みに行く予定です!!