おはようございます。

 

今回は私が個人的に忌み嫌う、オーストラリアのメッセージカード文化について書こうと思います。

 

もしかしたら、オーストラリアに限ったことではなく、欧米国では(あるいは欧米国以外でも?)普通なのかもしれませんが、こちらの人たちは頻繁にメッセージカードを送ります。

 

カードを送るきっかけとしては、誕生日、クリスマス、結婚、転職、退職、婚約、妊娠、出産、引っ越し、病気、葬式、結婚や交際記念日などなど、数えるとキリがありません。

この分では、カレーを作った日とかエアコンを修理した日、あるいは生理が終わった日などにも記念にカード送り合う羽目になるんじゃないかと、今からドキドキです。

 

実際この間は「いい友達でいてくれてありがとう!」ってカードをお店で見つけました。

 

直接言えや!まどろっこしい。

 

または、

 

これで十分伝わるっしょ!

しかし、どうしてこの、黄色いシュワシュワした飲み物はこんなにもうまいのか。

 

ええ、ぶっちゃけカードを送るのもカードをもらうのも好きではありません。

その理由としては、カードの値段が高い(←紙切れのくせに)。

 

ちょっと素敵で凝ったカードなどは、余裕で1000円以上します。

 

ピンぼけですみませんね。

これは先日購入した素敵なカード。余裕で12ドルなり。

 

百均で買った(こちらでは日本の百均の商品が280円程で売ってます ※ダーウィン除く)誕生日プレゼントに1000円のカードって釣り合いが悪いですよね?

 

だったらいっそ、合計1280円のプレゼントを買って、カード無の方がよくね?

 

いやいや、1000円をケチっているわけではないのです。

 

でも、一回見て「素敵なメッセージ、ありがとう!」で終わってしまうカードに対して、1000円をつぎ込んでしまうことに、私の中に脈々と流れるMottainaiのDNAが騒ぐのです。

 

また、以前ブログでも取り上げましたが、多くの人が来ては出て行くダーウィン(コチラを参照)。

仕事場でもしょっちゅう送別会が開かれます。

 

そこで、メッセージカードの登場ですよ。

 

トイレやキッチンで会えば、ちょっとしたお喋りをするものの、大して仕事上で関わりのない同僚への送別カードなど、一体何を書いたらいいのか。

 

それまでの私たちの関係を元にカードを書いたとしたら、

 

トイレットペーパーが切れた時、扉越しに渡してくれてありがとう

 

洗面所に落ちてる髪の毛、不快ですよね

 

コーヒーは棚の中にありますよ

 

とかそんなものしかありません(トイレとキッチンなだけに!)。

 

とはいえ、「あなたがいなくなるなんて寂しい!」とか書くのは、いくら何でも白々しい。

そこで、目立たないように、端っこに小さくメッセージを書いた訳ですよ。

 

そしたら

 

しかもびっくりするほど素っ気ないメッセージ!

 

これを悪目立ちと言わず、何を悪目立ちと言おうか。

 

送る方だけではなく、カードを受け取る方も気を使います。

 

これも仕事の送別会などで、仕事を離れる方はこれまでに何度も辞めていく同僚にカードを送っている訳で、当日、自分にカードが渡されることを知っている訳ですよ。

 

だから同僚たちがコソコソ書いているものや、机の上を行ったり来たりしてる、怪しい封筒の中身が何なのか分かっています。

 

知らん振りも辛い。

 

でも、ここで「これ私へのカードだよね!もう書き終わった?」なんて言ったら全てが台無し。

 

送別会で渡されて、初めて「え!カードがあるの?うれしい!」的なお約束リアクションを取らねばなりません。

 

私が以前の職場を退職する時には、通常よりもバカでかい怪しい封筒が同僚の机の上を回ってて、正直心配になりました。

 

「このカードに比べればお前のメッセージの大きさなど、

海原に漂う葉っぱのようだ!」

 

恨むなら、事務のお姉さん(←カードを手配する係)を恨むがよい。

 

予想通り、空白だらけのカードを頂きました。(Mottainai!

 

このスッカスカに開いた空白を何か有効なものに使えないものか。

 

送別会のカードだけではありません。

 

ずっと昔、こちらに来たばかりの頃、私の友達が、一人でクリスマスを過ごす私に同情して、彼女の家族クリスマスパーティに招待してくれたことがありました。

 

パーティも終わりの頃、慌てて私用のプレゼント(多分、チョコレートか何かだったと思う)を用意したのだろう、友人のお母さんがくれたカードには

 

 

名前も間違ってるし (あたしゃ車玩具か)

 

プレゼントもらっといて何ですが、気を使わなくていいのに。

いっそカードくれなくていいのにと思わずにはいられません。

 

あと、もらったカードってやっぱり捨て辛い。

 

だから、あげた本人すらも忘れていると思われる、ホコリだらけのメッセージカードをいつまでもとっていたりします。

 

こんなに苦手ならあげなきゃいいし、もらわなきゃいいのに、やっぱりクリスマスプレゼントや誕生日プレゼントにカードを付けないと失礼な気がして、カードを用意してしまいます。

そして「プレゼントは受け付けるけど、カードはいらないから」などと面と向かって言う勇気はこれっぽっちもないのです。

 

だから送るつもりで様々な状況に合わせたカードは買っているものの、お蔵入りでやっぱりホコリまみれです。

 

気が付くと、うちはホコリまみれのカードだらけ

 

こうなってくるとメッセージカード制作・販売会社の陰謀とすら思える。

 

でっかいカード売り場。隣の売り場もカードが陳列

 

誤解のないように付け加えますと、メッセージカードを送り合う習慣は素敵なことだと思うし、好きな人がいっぱいいるのも理解できるのです。

 

こんな自分でも感動的なメッセージカードを頂いたことも何度もあるし、喜んでカードを送ったこともあります。

 

例えば、友達のBaby Showerのパーティで大きな鶴を折って、くちばしにこれも折った小さな籠をつけ(←コウノトリと赤ちゃんのつもり)、鶴の翼に一言だけメッセージを入れて、カードの代わりにし、プレゼントと一緒に送りました。

 

メッセージカード会社に儲けさせることなく、すごく喜んで貰えました。

 

折り紙文化、ばんざい!日本人で良かった。

 

ま、鶴は赤ちゃん運ばないけど

 

それでは、皆さん、よい週をお過ごしください。

 

T

 

※このブログはAJANTの一会員が個人的な意見を書いているのものであり、必ずしもAJANTの団体としての意見を反映するものではありません。

 

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