よくあじゃのままってどんな人?と言われる
別に同情されたくないから自然に『自営業やっててお姉ちゃんと顔が似ていて綺麗だよ』と答える
今生きていたらどんな姿なんだろう
☆☆☆☆☆☆
今日ままは誕生日だね(^O^)亡くなった人には誕生日はない。なぜなら命日がその日になるから。
こぉやって言える日がくるなんて(^O^)大人になったにゃぁ(^O^)
私には母がいません。
反抗期の頃に母をガンで亡くした。
ままとの思いでは、、、ままを罵倒したりケンカしたりしたこと。
その当時私は中学生だった。反抗期の真っ只中。
ガンといわれ目の前は真っ暗になった
小学生の時に手術をして治った病魔が再び再発という形で襲ってきた
ままの事が大好きで綺麗で人気者、おもしろくて、人に嫌われることのない母だった。
しかし、私は反抗期。
その言葉をきいた時姉は泣きじゃくった。私は、思っていることの逆にそっけなく『そう、、、』と言った。だが体は、正直で震えが止まらなく、涙も止まらなかった。
そんな私をそっと抱き締めてくれた。
『絶対生きて帰ってくるから。まみが二十歳になるまで絶対生きるから』
と耳元で言ってくれた。
ままを振り払い部屋へ行き泣いた私。
『ままが死んじゃうかも』と言う恐怖
が!私の母は強かった。自営業で水商売をしていた母はガンと言う病魔に侵されてもお客さんには笑顔で接した。
店の裏では、うずくまり痛みに耐えながらの接客
ガンが目に転移した頃には眼帯をして店にでた
私は『お前何で病気なのに店でてんだよ!』
と可愛げもない、冷たい言い方をした
本当だったら『早く入院して元気になって。だってアタシままがいなきゃ嫌だもん』といいたかった、、、
母は言った『あたしがアンタ達の幸せを優先して何が悪い?』姉はその時私立に通い、私は私立の高校をめざしていた為お金がかかっていた
家族の為に命を削った母
だけど病魔と言う『悪魔』は待ってくれず、すでに全身にガンが回った
強制入院を余儀なくされた。
副作用で綺麗だったな母は見る見るうちに痩せていき、別人の様になった。
抗癌剤と言うのはここまで人の形をかえるのかと思った。辛かった
一番辛かったのは、母本人だったと思う。でもいつも明るく笑っていた。辛い時こそ笑え。と言う考えだったみたい
入院して何ヵ月かすると夜中に母が叫んだという
『まみぃ!』←私の本名
そう。私は反抗期だったのでお見舞いに行かなかった
『ままは死ぬわけない』と思いつつ心の中では、変わり果ててしまった母を受け入れられなかった。
14才だった
本当はその当時ピアスを開け髪を染めていて、逢ったら心配をかけてしまうと思っていた私。ままが入院してからお小遣いで買ったノートで交換日記をしていた
会えないけど母の字をみているだけでうれしかった
そんなある夏の日病院から電話があり
『意識がなくなりつつある』と
駆け付けた頃にはニッコリと笑ってくれた。恐らく、もう私達を誰か解っていなかったと思う
母の実家の家族がくるまで生きていてくれた
その時は来た、、、
『うそ、、、』
心配停止の機械音だけが頭に鳴り響いた
もっと素直になればよかったとか、お見舞いに行けばよかった、仲良くしたかった、
冷たくなった姿はまるで天使だった。闘病で辛かっただろうけど親戚に看取られて。
『ありがとう。』と言ってるみたいだった
その反面『この子達を残して死にたくない』と言う顔にもみえた
それから残されたウチの家族わバラバラになった。私はあまり家に帰らなくなった
父は思春期の二人の娘と自分の店のストレスを抱えていたと思う
あの当時は、街を歩いている母娘の姿をみると自然に涙がでたり、なんであたしだけ?と思った
父とケンカする度『なんでままが死んでお前生きてんだよ!お前が代わりに死ねばよかったのに!』
と毎回言った、
学校からたまに家に帰ると真っ先に玄関に行き、永遠に帰ってこない母を毎日待っていた。
いつか『ただいま!』と笑顔で帰ってくるんぢゃないかな?って思っていた
学校の友達や先生に『なんでそんなに明るくいられんの?』や『平気なの?』といわれた
だって暗い顔していたらもっと淋しくなるし、孤独感が襲う
笑っているときや楽しくしてる時、みんなの笑い声で悲しみを忘れられた
玄関を入ると淋しくて震えが止まらなくなる
そんな生活がつづいた
なんで私を産んだの?
私、ままがいないなんて嫌だ、、、死にたい、、、
ままとやっていた日記を握り締め何度もさけんだ
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今、夢にでてくるままは、あの時のまんま~(^O^)
あの時できなかった買い物をしたり笑って話したりいろんな事をしている。苦しんでいる姿もみる
自分の泣き叫ぶ声で起きる
何度も何度も『夢なら覚めないで』って『だって夢のなかでしか大好きなまま逢えないんだもん』って思うけど起きると母は、、、
いない
涙だけが流れている
今でもままにあいたいです
だって14年間しか一緒にいれなかったんだもん(;_;)もっと一緒にいたかったよ(;_;)
ままは、、、私に逢いたいですか?ままの49日の日にある人からいわれた一言があります
『あんたが心配ばっかりかけるからストレスでガンが再発して死んだんだよ』
家族にもその一言を言われたこと言えなかった
本当にそうなのかもね
ごめんね。なにも親孝行できなくて
でもねアタシ、ままの子で本当によかったよ
ままのお陰で知り合えた人たぁぁくさんいるもん
今でもままを知る多くの人は笑い泣きをしてままの事を話してくれます
こんなに愛されたままの子でよかった
まだまだ胸をはって何か言えることは無いけどいつか成功した時に堂々とままに胸を張って何か言える日がくるといいな
悲しいとき、壊れそうになる時があるけど私にはかけがえのない家族と仲間がいます(^O^)
どぉしても無理な時、ままとやっていた日記をみます。私の書いた一言で終わってしまっているけど
『私ままの子でよかった。産んでくれてありがとう。』
見てくれたかは分からないけど。
実際今、仕事をしてありえない不安感や、父に相談できないことがあると、泣きながら『こんな精神的に弱い私。。。苦しい思いをして、産んだこと、後悔してない?』
と思う。
でも楽しい事も悲しい事もこの世に産まれなければ味わえない
まま!本当産んでくれてありがとう。
みんなも親が嫌いでも、たくさんケンカをしても世界に一人の父と母。
親孝行してあげてください
親孝行したい時に親はなし。と言うことわざがあります。
本当にその通りだと思います。
私は幸い大好きな父がいます
ままに出来なかった分孝行したいです。可愛げの無い娘だけど父はやさしいです
ぱぱと結婚してくれてありがとう。
私は今も、ままが亡くなってから女性と話すことが恐いです。
そんな人間関係や人見知りが治った訳ではないけどこれからも頑張って、色んな人と素直な自分で接したい。
明るい、活発な優しい人間になりたいです
ままが天国から安心して見届けられるまでオイラ頑張るから!
2月22日ままが産まれてきてくれてよかったです
別に同情されたいから書いたのではない。
みんなに『生きている』事のありがたみを感じてほしい
死んでからでは遅い。こんな私に出来ること。
それは当たり前な事が欠けたときに起きた自分の胸の中を見せることでみんなに当たり前の事はいつかなくなってしまう
だから一所懸命に生きてほしい。
と思う
生きたいのに無くなってしまう命もある事。だから命を大切にしてもらいたい
だから一日を満喫してほしい
だから人を愛してほしい
だからみんな!素直に生きよう(^O^)
あ(^O^)ちなみにオイラのラッキーナンバーわ『2』!ままの誕生日も2月22日!
オイラの背番号も『2』
やっぱ『2』好きだわぁ~
別に同情されたくないから自然に『自営業やっててお姉ちゃんと顔が似ていて綺麗だよ』と答える
今生きていたらどんな姿なんだろう
☆☆☆☆☆☆
今日ままは誕生日だね(^O^)亡くなった人には誕生日はない。なぜなら命日がその日になるから。
こぉやって言える日がくるなんて(^O^)大人になったにゃぁ(^O^)
私には母がいません。
反抗期の頃に母をガンで亡くした。
ままとの思いでは、、、ままを罵倒したりケンカしたりしたこと。
その当時私は中学生だった。反抗期の真っ只中。
ガンといわれ目の前は真っ暗になった
小学生の時に手術をして治った病魔が再び再発という形で襲ってきた
ままの事が大好きで綺麗で人気者、おもしろくて、人に嫌われることのない母だった。
しかし、私は反抗期。
その言葉をきいた時姉は泣きじゃくった。私は、思っていることの逆にそっけなく『そう、、、』と言った。だが体は、正直で震えが止まらなく、涙も止まらなかった。
そんな私をそっと抱き締めてくれた。
『絶対生きて帰ってくるから。まみが二十歳になるまで絶対生きるから』
と耳元で言ってくれた。
ままを振り払い部屋へ行き泣いた私。
『ままが死んじゃうかも』と言う恐怖
が!私の母は強かった。自営業で水商売をしていた母はガンと言う病魔に侵されてもお客さんには笑顔で接した。
店の裏では、うずくまり痛みに耐えながらの接客
ガンが目に転移した頃には眼帯をして店にでた
私は『お前何で病気なのに店でてんだよ!』
と可愛げもない、冷たい言い方をした
本当だったら『早く入院して元気になって。だってアタシままがいなきゃ嫌だもん』といいたかった、、、
母は言った『あたしがアンタ達の幸せを優先して何が悪い?』姉はその時私立に通い、私は私立の高校をめざしていた為お金がかかっていた
家族の為に命を削った母
だけど病魔と言う『悪魔』は待ってくれず、すでに全身にガンが回った
強制入院を余儀なくされた。
副作用で綺麗だったな母は見る見るうちに痩せていき、別人の様になった。
抗癌剤と言うのはここまで人の形をかえるのかと思った。辛かった
一番辛かったのは、母本人だったと思う。でもいつも明るく笑っていた。辛い時こそ笑え。と言う考えだったみたい
入院して何ヵ月かすると夜中に母が叫んだという
『まみぃ!』←私の本名
そう。私は反抗期だったのでお見舞いに行かなかった
『ままは死ぬわけない』と思いつつ心の中では、変わり果ててしまった母を受け入れられなかった。
14才だった
本当はその当時ピアスを開け髪を染めていて、逢ったら心配をかけてしまうと思っていた私。ままが入院してからお小遣いで買ったノートで交換日記をしていた
会えないけど母の字をみているだけでうれしかった
そんなある夏の日病院から電話があり
『意識がなくなりつつある』と
駆け付けた頃にはニッコリと笑ってくれた。恐らく、もう私達を誰か解っていなかったと思う
母の実家の家族がくるまで生きていてくれた
その時は来た、、、
『うそ、、、』
心配停止の機械音だけが頭に鳴り響いた
もっと素直になればよかったとか、お見舞いに行けばよかった、仲良くしたかった、
冷たくなった姿はまるで天使だった。闘病で辛かっただろうけど親戚に看取られて。
『ありがとう。』と言ってるみたいだった
その反面『この子達を残して死にたくない』と言う顔にもみえた
それから残されたウチの家族わバラバラになった。私はあまり家に帰らなくなった
父は思春期の二人の娘と自分の店のストレスを抱えていたと思う
あの当時は、街を歩いている母娘の姿をみると自然に涙がでたり、なんであたしだけ?と思った
父とケンカする度『なんでままが死んでお前生きてんだよ!お前が代わりに死ねばよかったのに!』
と毎回言った、
学校からたまに家に帰ると真っ先に玄関に行き、永遠に帰ってこない母を毎日待っていた。
いつか『ただいま!』と笑顔で帰ってくるんぢゃないかな?って思っていた
学校の友達や先生に『なんでそんなに明るくいられんの?』や『平気なの?』といわれた
だって暗い顔していたらもっと淋しくなるし、孤独感が襲う
笑っているときや楽しくしてる時、みんなの笑い声で悲しみを忘れられた
玄関を入ると淋しくて震えが止まらなくなる
そんな生活がつづいた
なんで私を産んだの?
私、ままがいないなんて嫌だ、、、死にたい、、、
ままとやっていた日記を握り締め何度もさけんだ
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今、夢にでてくるままは、あの時のまんま~(^O^)
あの時できなかった買い物をしたり笑って話したりいろんな事をしている。苦しんでいる姿もみる
自分の泣き叫ぶ声で起きる
何度も何度も『夢なら覚めないで』って『だって夢のなかでしか大好きなまま逢えないんだもん』って思うけど起きると母は、、、
いない
涙だけが流れている
今でもままにあいたいです
だって14年間しか一緒にいれなかったんだもん(;_;)もっと一緒にいたかったよ(;_;)
ままは、、、私に逢いたいですか?ままの49日の日にある人からいわれた一言があります
『あんたが心配ばっかりかけるからストレスでガンが再発して死んだんだよ』
家族にもその一言を言われたこと言えなかった
本当にそうなのかもね
ごめんね。なにも親孝行できなくて
でもねアタシ、ままの子で本当によかったよ
ままのお陰で知り合えた人たぁぁくさんいるもん
今でもままを知る多くの人は笑い泣きをしてままの事を話してくれます
こんなに愛されたままの子でよかった
まだまだ胸をはって何か言えることは無いけどいつか成功した時に堂々とままに胸を張って何か言える日がくるといいな
悲しいとき、壊れそうになる時があるけど私にはかけがえのない家族と仲間がいます(^O^)
どぉしても無理な時、ままとやっていた日記をみます。私の書いた一言で終わってしまっているけど
『私ままの子でよかった。産んでくれてありがとう。』
見てくれたかは分からないけど。
実際今、仕事をしてありえない不安感や、父に相談できないことがあると、泣きながら『こんな精神的に弱い私。。。苦しい思いをして、産んだこと、後悔してない?』
と思う。
でも楽しい事も悲しい事もこの世に産まれなければ味わえない
まま!本当産んでくれてありがとう。
みんなも親が嫌いでも、たくさんケンカをしても世界に一人の父と母。
親孝行してあげてください
親孝行したい時に親はなし。と言うことわざがあります。
本当にその通りだと思います。
私は幸い大好きな父がいます
ままに出来なかった分孝行したいです。可愛げの無い娘だけど父はやさしいです
ぱぱと結婚してくれてありがとう。
私は今も、ままが亡くなってから女性と話すことが恐いです。
そんな人間関係や人見知りが治った訳ではないけどこれからも頑張って、色んな人と素直な自分で接したい。
明るい、活発な優しい人間になりたいです
ままが天国から安心して見届けられるまでオイラ頑張るから!
2月22日ままが産まれてきてくれてよかったです
別に同情されたいから書いたのではない。
みんなに『生きている』事のありがたみを感じてほしい
死んでからでは遅い。こんな私に出来ること。
それは当たり前な事が欠けたときに起きた自分の胸の中を見せることでみんなに当たり前の事はいつかなくなってしまう
だから一所懸命に生きてほしい。
と思う
生きたいのに無くなってしまう命もある事。だから命を大切にしてもらいたい
だから一日を満喫してほしい
だから人を愛してほしい
だからみんな!素直に生きよう(^O^)
あ(^O^)ちなみにオイラのラッキーナンバーわ『2』!ままの誕生日も2月22日!
オイラの背番号も『2』
やっぱ『2』好きだわぁ~