フラッシュバック | ボクのツクシタ ~ 自閉症スペクトラム子育てと私の毎日 ~

ボクのツクシタ ~ 自閉症スペクトラム子育てと私の毎日 ~

5人の子供達と私の日常。発達障害 自閉症スペクトラムの長男がメインのブログです。ADHD ASD 高機能自閉症 など色んな診断名がついて ADHD/自閉症スペクトラム で落ち着いたところです。コンサータと抑肝散使用中
 
どうぞ宜しくお願いします

この時期は、封印していた記憶がよみがえることがあります。

両親の離婚成立、その為の宮城での実父との生活、そしてその間通っていた学校での私と弟が受けたいじめ……

アイツらはみんな幼馴染みや親戚
地獄がよみがえります。

祖父母も父も助けてくれなかった事
父の悪口を毎日言ってきた同級生であり親戚たち

毎日祖父母達に弟が殴られたこと引きずり回されたこと青アザ、ケガ、擦り傷を見てわかるのに
私が訴えてもなにもしてくれなかったこと。

今、この年になってなのか
年月がたったせいなのかはわからないけれど
父の兄嫁の甥っ子がいじめていたから助けてくれなかったのだと思いました。

父の兄嫁はあの集落でも評判が悪くて
母も兄嫁の嫌がらせに耐えられなくて離婚を決めたようです。

なぜ祖父母も父も助けてくれなかったのだろうと色々考えてしまいます。

結局は、一度あの集落を出ていった人間だからかな?
両親の離婚成立の為に期間限定みたいな感じで戻ったからかな?

だけど、いじめがなかったら弟は分家の家督として父に引き取られる事になってたし。
そう考えれば、いじめてくれたお陰で弟も一緒に北海道に来ることができた。

父は二男なのに母より祖父母を取って離婚して。

大好きだけどきらいな父でした

宮城は自分が生まれた所だから嫌いじゃないけれど
あの集落も全部がイヤな思い出ばかりじゃないから嫌いじゃないけれど

生まれ故郷に戻って住みたい所ではない。
あそこに住んでる人間が許せない

人を信用出来なくて疑い深くなったのはあの頃からだと思う

母と私と弟は余所者だから
理由はどうあれ、あの集落を出ていった余所者だから
父の葬儀の1週間、あの時も地獄だったし。
思い出すとやっぱり無理

今はいい。
北海道に移り住んで三十数年
あそこに居たときのような息の詰まる苦しい思いはしていない
イヤなこともあるけれど楽しいことも沢山ある
今はとてもしあわせ


またいつか忘れた頃に思い出すんだろうな。