記憶っておもしろいですよね。
特に昔の記憶。
ある出来事を思い出すときに全部思い出せますか?
そのストーリーの最初から最後まで。
どこかで終わっていると思うんですが、
「その後はどうなった?どうだった??」
って考えたことがありますか?
なぜそこで終わっているのか。。。
それは、自分にとって都合がいいからです。
今朝 あらためて考えてみたのです。
それは、わたしの前提や未来を紐解くのに
何度も何度も思い出している風景。
小学生のとき
住んでいたマンションの敷地内で
自分が計画(企画)した演芸会的なものを
友達をあつめて進行し、
終わったら、自分の家(部屋)で
お菓子を出したりして
打ち上げ(懇親会)的なものをやっていた。
これって、今も同じようなことをやっているので
『未来のわたしを思い出していたんだなー』という記憶でもあるんだけど、
この続きがあって
自分の部屋でみんながわいわい盛り上がって
なんだか自分だけ取り残された感じになって
わたしは拗ねて他の部屋に逃げちゃった。
そこに母がなだめに(やや怒り気味)きて
みんなのところにもどるよう促すけど、
わたしは言うことをきかなかった。
そうしたら
母がみんなのところへ行って「いれてあげて」と言ってくれた。
というところで終わっている。
この場面をシャワーを浴びながら思い出しながら
なぜここで終わっているのか、何が都合がいいのか考えて……
大爆笑してしまいました。
わたし
無意識で
おかあさんに
助けてもらおうとしていたんだ!(◎_◎;)
実生活では
母を助けなきゃいけないことの方が起きてきたから
「助けなきゃ!!」「役に立たなきゃ!!」があることはわかっていた。
母に「助けてもらいたい」なんて思ったことがなかったというか、
「助けなきゃ」「役に立たなきゃ」と思っていたくらいだから
母が人を助けられるなんて微塵も思ったことはなかった。
……と思っていた。
なのに……
「助けてもらいたい」と「助けてあげなきゃ」の共存。
目の前に現れるのは助けなきゃいけないと「思う」出来事の方が
若干優勢だった。
でも、「助けてもらいたい」もあるから
それを叶えるために
助けてもらわないといけないような出来事が起きていた。
いや起こしていた。そういう結末になるようにもっていってた。
だから
父が亡くなったときも
「おかあさんは 助けてあげなかった」と思った。
わたしが「おかあさん助けて」と思っていたからだ。
はぁーーー。
おつかれわたし。
またひとつ絵が描き変わりそうだ。
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