JAL退職直後のことを聞かれるときがあります
そういえばブログに書いたことがないなあ、と思いました(^^)
結婚を機に飛行機を降りることを決めましたが
(体力に自信がない私には、CAの仕事と主婦の仕事の両立は無理とすぐにわかりました)
空ではなく地上での仕事に変えようと思っていた矢先
結婚してすぐに夫の海外駐在が決まりました
次の仕事はこれだ
と思いました
(夫は国の仕事で外国に出たため
今までブログに詳細を書いたことはありません
けれど、私がどのような気持ちでその3年間を過ごしたのかを書いてもいいような気がしてきました。一回だけ書かせてくださいね)
それぞれの組織によって違いがあるとは思いますが
私の場合は、しっかりとした任務がありました
まずは、これは妻として共通のことですが、夫が仕事をきちんと行えるよう健康管理をすること(当時は若いからほっといて大丈夫)
日本から出張で来る方々を自宅でもてなすこと(これは本当に頑張りました!今の夕飯が焼きそばのみとは大違い!)
その他に
要人がいらしたときの歓迎レセプションのお手伝い
(私はレセプションで、静かなテーブルを回るよう仰せつかることがありました。大使に気にかけていただいたことは、今思い出してもとても光栄なことでした。今も恩師にあたるその方と文通をさせていただいています。夫ではなく私がです!)
行事は毎月多岐に渡り、いろいろとありましたが
それでもCAだった私には時間がたっぷりあると感じました
3年という限られた貴重な時間をどう使うべきか。。。
日本人とだけ付き合うのではなく
今しかできないことを探したい。。。
半年もしないうちに私は行動を起こしました
すぐに現地の国立大学に付設された語学コースに入学しました
このコースはハードなことで有名で駐在員夫人で通っている人はいませんでした
クラスメート全員が真剣にその国の言語を習得に来ている留学生でした
そして現地の学校法人のお料理学校にも通いました
そこには日本人はいませんでした
私は現地の友人と通い、わからないことは彼女が教えてくれました
そして日曜日にはプロテスタントの教会に通いました
そこで出会ったのは今も温かい交流が続いている、その教会の牧師夫人です
家が近所だったこともあり、毎日のように彼女と話し、毎週聖書の勉強会を二人で行ない、
よく夕飯も一緒に作り、親子のように過ごしたことは今も忘れられません
折に触れ、今でも電話やメールのやり取りをします
昨日のメールでは、お孫さんが誕生されたことが書かれていました
彼女が、私の娘が生まれたときに会いに来てくれたように
私も会いに行きたいと思いました。。。それは今はかないそうにありませんが。。
その後、私は教会で賛美歌の際のオルガン伴奏を担当するようになりました
そして彼女が取り組んでいた慈善活動もともにするようになったのです
それは戦前かの地に渡った日本人妻が年を重ねて未亡人になった後に入る
養護施設での活動でした
そこでは施設の方々と日本料理を作り、日本の歌を一緒に歌い、様々なお話をお聞きし
よい時間をともに過ごしました
入居されている方々は、何もできない私でも、訪れるだけで喜んでくださいました
現在の日本の話しをとても嬉しそうに懐かしそうに聞いてくださるのでした
その時に、私は教科書にはなかった、学校では教えてもらわなかった
日本が昭和の時代にアジアで行なってきたことを実際に見聞きしたのでした
3年
この期間を短いと思うか長いと思うかは人それぞれだと思います
でも、この3年間という期間をどう過ごすかでその時間の密度は変わってくると思います
明確な目標を持って過ごせば、3年という期間でも多くのことを吸収できるでしょう
私は当地の文化にとことん触れ、民族の違いを肌身で感じたいと思い3年間を過ごしました
こうして書いているうちに、小林キャプテンのセミナーでお聞きしたことがよみがえってきました
・時間には長さと密度がある。時間は万人に与えられているがそれは長さであって密度ではない密度はその人の時間の使い方によって決まる
・時間の密度には目的意識と集中力が大きく関与する
これからも時間の密度を大切にして過ごしたいです
時間は無限ではなく有限ですから。。。☆
JAL
ANA
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