春の二条城 | 象の夢を見たことはない

春の二条城

日時:4月10日(日)午後
行った場所:二条城
天気:晴れ

午後である。二条城の桜も満開だとのことで、バスで二条城へ。

で、城内見学。廊下を歩くとキュキュと鳴る。なぜか自分の足元からは聞こえず。前の人の足元で聞こえるような気がする。うぐいす張りってどういう仕組みなのだろうとおもったら、こういうことなのね。

しかし、何部屋あるんだろう。ここでどんな権謀術数が。若手のキレキレの奴とか、とぼけたヤリ手のタヌキ親父とか、バリバリの実務派とか、日本のトップレベルのそんな奴らがいて城内や庭を歩いていたのを想像してみる。そして徳川の殿様と。

徳川慶喜は京都・二条城に上洛中の40藩の重臣を招集し、大政奉還を諮問した。

そのときって、やっぱ一番すごかっただろうなあと。なんて思いながら、狩野派のふすま絵やら、すげえ釘隠しやなあとか、欄間って表と裏って彫られてるモノ違うんだぁとか、城内アナウンス(ボタン式)を聞くともなしに聞きながら、薄暗い廊下をひたすら進む。二条城、改めて見るとやっぱスゴイ。この広大さでここまで残っているとそれだけで想像の羽が拡がる。
でも、今調べてみたら、二条城、江戸幕府の始まりと終焉の場所で、その間は使われていなかったらしい。ふーむ、想像空振り 笑

そして、外へ。二条城二の丸庭園。

$ニャンちゅうなブログ-二条城二の丸庭園

昔はよく知らなかったのだけど、もう作庭当初の1602年頃の面影はほとんどないらしく。この京都市情報館のサイトは初めてみたけど、
二条城の庭園 - www.city.kyoto.jp
ここまで図や写真付きでまとめられているのは見たことない。やるなあ。すばらしい。

$ニャンちゅうなブログ-二の丸庭園

この護岸岩組、ここまでおっ立てることになったのは当初からなのかとか。地割は天龍寺の庭と似ているように思えて、たぶん当初からそこまでは変わってないと思うのだが、やっぱり意識してたのだろうか?奥の滝岩組ってイジったのだろうか?そういうのは作る側にならないとわからない。庭師になりてえなあ。前世で。

二条城さくらマップ(クリックで飛びます。pdfファイル)
んー?
なんか見てないところがあるような気がする…

$ニャンちゅうなブログ-二条城 桜

で春の京都、桜の旅しゅうりょー
長らくおつきあいありがとうございました。

おしまい。