「いまここではすべてが」

もう癒されているのかも

そう思えたパートナーの

ふっとした一言。


癒されるべき過去なんて

ほんとはないんだよね。


この言葉が頻繁に

頭の中にリフレインし続けている

山小屋のカウンセリスト

藍色シアンです。


癒されたいって

思うことは自然だし

それを求めて

セラピーとかカウンセリングを

受けるんだと思ます。


僕だって癒されたいと

思ったことがあったから

カウンセリングとかセラピーとか

受けてました。


でもそこでわかることは

癒してもらうことは

絶対にできないってこと。


「してもらおう」という

意識でやっていると

カウンセリングジプシーとか

セラピージプシーとか

ずっと誰かに「癒してもらう」

その場所を探し求めて流浪してしまう

そんなジプシーになってしまいます。


僕もそれを一時は経験してました。


被害者意識もまた一緒かもしれません

加害者が悪いから

被害者だから弱い立場だから

だから「癒してもらえる」権利がある

そう思っていたとしたら

誰かに癒されるために

ずっと被害者意識に囚われて

しまうのかもしれないですよね。


じゃあ、どうすればいいか。

これが難しくもあり

でももしかすると

とってもシンプルで簡単なこと。


「癒すべき過去はない」


確かに傷つき被害者になった

「その時」はあるかもしれない。


でもそれはすでに

「いまここ」から見れば

過去になっているのに

でも「いまここで」まだ

傷つき被害者になっている

その意味ってなんだろう?


今ここで

このブログを読んでいる時

被害者であった過去はあるとして

被害者であったあなたがいたとして

でもいまここで

あなたは被害者なのだろうか?


いやちがいますよね。


あなたは被害者で「あった」のであって

いまここで被害者ではないはず。


だとしたら

あなたはすでに今ここで

過去のあなたは存在していない。


つまり癒されるべきあなたは

過去の記憶でしか

ないということ。


ならばどうして

あなたはわたしは

過去の被害者の自分を

今ここで癒さなきゃ

ならないんだろう?


そうですよね。


今ここで見れば

癒されるべき過去なんて

もうすでに消え去っていて

いまここには存在しないのに。


でも、こう思うかもしれない。

だって身体だって怪我したら

それをちゃんと治療しなくちゃ

ならないでしょう

心だって同じでは?


そこに落とし穴があるんです。


心は、その時傷ついたとしても

それが過去になった瞬間

ほんとは傷ついてなんか

いないんです。


それが傷つき続いていると

思うとしたら

それは過去の記憶を

ただ「自分自身」が

リフレインさせているに

過ぎないということ。


体と心の

治癒過程はまったく

違うんです。



だとしたら心の「癒し」とは

なんなんだろう。


つまりそれは

癒すべき過去はないってことに

気がつくこと

それが本当の「癒し」なのかも。


いまここで傷ついた

それをリフレインさせるのもしかり

それを大したことがないと

無視するのもまた

リフレインさせるのと一緒なんです。


だからリフレインさせなければ

「癒すべき過去」はもう

いまここのあなたには

もうないってこと。


まだ難しいかな?


うん、難しいと思う。


だって僕だって

まだそうならない時の方が

多いのかもしれない。


でもそれでも

頭の中に

今までの被害者意識とは別の

その言語をリフレインさせたいと思う。


もうすでに

癒すべき過去なんて無いんだ。


それがもし自分の中で

リフレインされるようになる

その時って

「癒してほしい」から

「自分を癒す」への変貌に向かう

その決意の時かもしれないなって

思えるんです。


そんなあなたを

僕は応援したいと思っています。


クレーム心理学
藍色シアン