金曜日に、京都国立近代美術館で行なわれた、南アフリカ共和国生まれのアーティスト、ウィリアム・ケントリッジのレクチャー・パフォーマンスを観に行きました。
700人収容のホールでの無料パフォーマンスは、ほぼ満席。
約、1時間にわたる彼のパフォーマンスは、彼一人によるもので、自己の分裂ということをテーマにしたもの。
人間が何を見て、何を考え、何を知っていると思うのか、などと言ったことを、彼のユニークたっぷりのパフォーマンスや、映像、語りで色々な観点から切り込んでいく、その発想、想像力、それを言葉で語りかけてくる、迫力のあるもので、1時間はあっという間でした。
特に、「アーティストは24時間アートのことを考えている。」というところで、早朝に目覚め、思案する自分を、ビデオにおさめるべきか?いや、寝るべきか?などとジレンマするところは、笑ってしまいました。
寝ても覚めても思い続け、まるで何かに取り付かれたように、そして突き動かされるくらいの何かを人生で体験できることって、やはり人生にとって素晴らしいことだと思います。
そんな人とし大切な何かを、ユーモラスに、そして、わかり易く、しかし深く問いかけて見るものに考えさせるという工程を、アートという形で表現できてしまう、ウィリアム・ケントリッジは、やはり本当にアーティストだなぁ、と思います。