大切な人に逢いに行ってきました。

それは私の実の父です。

ずっとお父さんだと思っていた人が亡くなり、手続きをしているときに、戸籍抄本をみて偶然知った。


私の父の欄のところに 知らない名前が書いてある。

頭が真っ白になった。

私は22年間、その事実を知らずに過ごしてきた。

ただただ、育ててくれた父に感謝した。

自分の子を作ればどうしても愛情が偏ってしまうと、自らの子を作らず、私を愛して育ててくれたのです。

確かに父は、深い愛情で私を守ってくれていた。

今でも、父が一番大好きだし、尊敬しています。

あまりにも衝撃すぎて、実の父に逢いたいとも思わなかった。


月日は流れ、私が愛知県から鳥取に引っ越しをする数日前、高校の時の友達が会いたいと連絡をしてきた。

その友達とは3年間ずっと部活を一緒にしてきた仲間だったのに、彼女の結婚式に、私一人呼ばれず、寂しさと裏切りを覚えた。

だから、今さら何?

と思ったが、鳥取に骨を埋めるつもりでいた私は、最初で最後だと思い会うことにした。

そして、彼女が発した言葉に耳を疑った。

『みっちゃんのお父さんが、倒れて入院しているから、最後にあってあげて。』

何を言っているの?

何で私の実父を知っているの?

実は、彼女は実父の妹の子どもだったの。

つまり、イトコだった。

彼女は高校入学当初から知っていて、ずっと黙って私と接してきたのです。

彼女の結婚式には、実父が親族として出席するから、私を呼べなかったんだと その時知った。


朝倉家から、私とは一切会うなと約束して離婚したらしい。

原因は、朝倉家の考え(方針)と合わなかったから…。

わかる気がする。

祖母が母にしたことを、母が私にしたのだ。

『離婚させた』のです。

高校からの友達も苦しんでいたのです。 ずっと…。

私はその足で 実父に逢いに行きました。

点滴や酸素マスクをしていたけれど 確かに父だとすぐにわかった。

ひたすら謝る父に ただただ涙がとまらなかった。

憎しみなんてあるはずがない。

30年以上 我が子に会えず辛い思いをしてきたであろう父に、ようやく逢えた。

私はこの人が居てくれたから、ここに存在するのだ。

その父に、久しぶりに逢いに行ってきました。

私が小学校や中学校の時は、ローカル新聞に名前が載るのがうれしくて、(陸上競技等で載ったことがあるの)

今でも茶色くなってしまった新聞の切りぬきを大切にしてくれていた。

高校の時は、イトコである友達から情報を知らされ喜んでいたり…

離れて暮らす我が子の情報を 何とか手に入れようとする父の思いに涙が溢れた。

今日も、自分からは会いに行けない。約束だから…。

と悲しそうに言う父。

大丈夫。私が逢いに行くから。

今でも一人で暮らしている父に 私は一緒にお茶する時間のプレゼントをしていきたい。

そして、父が居てくれたから 私が存在することに 感謝していると 伝え続けたい。

30年以上の月日を経て、今こうして ゆっくり語り合う事ができることに感謝します。

今、素直に感じていることは、

今のこの深い幸せのため、過去の全てが必要であったんだ。

過去の全てを受け入れてこそ、本当の幸せを実感できる。

あぁ、私はなんて幸せなんだろう。

支えてくれるたくさんの人がいて、全てを受け入れてくれる大切な人がいて、私を必要としてくれる人がいる。

今日も将はそっと笑いかけてくれ、そしてそっと頭を撫でてくれている気がする。

今日の日差しのように あたたかな、将のような温もりを感じて、また今から、前を向いて歩いて行きます。

***みつえ***