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2014年07月22日

ヴィブラートの話をあれこれ。

テーマ:ブログ
 以下は先日twitterに連続投稿したものを改稿・増補したものです。

1)
 フランスのホルンはヴィブラートをかけるのが伝統のように言われてますが、あれは1930年代から30年ほどの間の一時的な流行でした。以前ドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》の録音をあれこれ聴く、という記事を書いたことがあるのですが、そのときフランスのオーケストラでは以下の録音を聴きました。

(1)アルベール・ヴォルフ指揮ラムルー管(29) Timpani, 4C4024(海外盤)
(2)ヴァルテール・ストララム指揮コンセール・ストララム(30) Andante, AN1200(海外盤)
(3)ピエロ・コッポラ指揮交響楽団(30) Lys, LYS295-297(海外盤)
(4)ガブリエル・ピエルネ指揮コロンヌ管(30) Malibran, CDRG140(海外盤)

 この中でホルンが積極的にヴィブラートをかけているのは、29年のラムルー管の録音のみ。まだ流行が始まっていなかったことが分かります。
 パリ音楽院管が解消され、パリ管に作り直されたときには、これを悪習ととらえたか、それともオーケストラの国際化を目指したのか、ヴィブラートをかけるホルン奏者を全員追い出してしまった。これは創設に寄与したマルセル・ランドウスキとシャルル・ミュンシュの意向です。(Christian Merlin, Au Coeur de l’orchestre, Fayard, 2012による。)
 この、ホルンのヴィブラートを嫌ってやめさせようとする運動というのは、同じ60年代から70年代にかけてフランスのあちこちのオーケストラであったようで、例えばフランス国立放送管(今のフランス国立管)も、録音を聴く限りほぼこの時期にホルンのヴィブラートがなくなっています。当時の音楽監督はジャン・マルティノン。彼はマーラーやウィーン楽派を手がけていたから、ホルンのヴィブラートを邪魔に感じて、率先して排斥を進めた可能性もあります。誰かこのへんを研究してくれないかなあ。

2)
 20世紀初頭から第二次大戦までの管弦楽録音は膨大な数が残っていて、それを綿密に調査すれば、ノン・ヴィブラート奏法とヴィブラート奏法のせめぎ合いの歴史みたいなものがちゃんと跡付けられるはずです。そうした研究は既に行われているのでしょうか。
 例えばフランスの弦楽四重奏団では、20年代のうちに解散したカペーSQがノン・ヴィブラートで演奏していたのに対し、30年前後からヴィブラート奏法を大きく採用した団体が活躍するようになる。
 私自身が直接音源にあたって調べた訳ではありませんが、モザイク弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者であるエーリヒ・ヘバルトが90年代に仏音楽雑誌のインタビューで語ったところに拠れば、弦楽四重奏の世界にヴィブラートを持ち込んだのはブッシュ四重奏団なんだそうです。
 さて、フランスの弦楽四重奏団がヴィブラートを積極的に採用するようになった1930年前後というのは、奇しくもフィラデルフィア管がヴィブラート奏法を全面採用するようになった時代と符合します。(注!:オーケストラにおけるノン・ヴィブラート奏法とは、SP録音に聴く限り完全なヴィブラート排除ではなく、「ノン・ヴィブラートを基本に、要所で効果的にヴィブラートを入れる」奏法のことといっていいでしょう。以下そのつもりでこの用語を使います。)
 フィラデルフィア管の場合は、世界恐慌を機に録音に参加する弦の人数が半数に減らされたといいますから、そのことと関係するのかもしれません。興味深いことに、1910年代のケテルビーの録音を聴いてると、弦楽器(たいがいはソロが多いけど)は積極的にヴィブラートをかけてます。人数の少なさを補う手段の一つとして、軽音楽で採用されていた奏法が、世界恐慌で人数を減らされたフィラデルフィア管にヒントを与えた、ということはないでしょうか。
 ヨーロッパの名門オケでヴィブラートの全面採用が30年代末ぐらい、というのはロジャー・ノリントンが積極的に主張している説です。ワルター&ウィーン・フィルによるマーラーの交響曲第9番のライヴ録音(1938年)をもって「ノン・ヴィブラート奏法の最後の例」としているのは有名ですね。
 面白いのはコンセルトヘボウ管で、1940年録音でまとめられたベートーヴェン交響曲全集のうち、フィリップス原盤のものは第3番が1940年11月のセッション録音、それ以外が40年春のライヴ録音からとられていてるのですが、40年夏をはさむと、とたんにヴィブラートの量が増えているように感じられます。(ライヴとセッションの違いもあるでしょうか。)とくに速いテンポの楽章で、主旋律に細かくヴィブラートをかけるというのは、この夏以後のことのように思います。
 今回メンゲルベルクの全録音を聞けた訳ではありませんし、コンセルトヘボウ管のライヴ録音を1935年までさかのぼって収録した同管の自主制作ボックスを聞くと、客演で訪れた指揮者たちの中には、それ以前からたっぷりとしたヴィブラートを要求していた者もいます。ですが、おおよそ1940年前後のどこかを境に、このオーケストラの弦セクションは全面的にヴィブラートを採用した奏法へと改宗したのでしょう。
 この手の研究に興味がある人に、是非聴いて欲しいのがメンゲルベルクの『悲愴』。37 年盤と41年盤でテンポ・ルバートとか、旋律の歌い方とかがすごく違うんだけれど、それらはノン・ヴィブラート奏法からヴィブラート奏法に改宗した結果として表現方法を作り直したように思えます。メンゲルベルク&コンセルトヘボウ管の録音を年代順に聞くことで、ヴィブラートのあるなしが引き起こす表現方法の変遷というのが、すごく明快に分かるようになるのではないでしょうか。誰か専門の方、研究してみて下さい。

3)
 弦楽四重奏のヴィブラートに話を戻すと、レナー四重奏団なんかは1920年代からかなりはっきりと、大きなヴィブラートをかけてます。レナーSQの演奏が大衆的といわれたのは、そのヴィブラート奏法による甘い音色が理由だったのではないでしょうか。
 今手許にあらえびすの『名曲決定盤』を置いているのですが、前述のカペーSQについて「磨き抜かれた清冽さ」という一方で、レナーSQについて、「魔術的なアンサンブル」「妖艶」といっているのは、実はヴィブラートの有無を言っているのではなかろうか、というのが、ここ数年暖めている私の推測です。(もっとも、あらえびすがそもそもヴィブラートの有無をそれと認識して聞き分けられたほど、ちゃんと音を聴けていたのかは大いに疑問ですけれど。)
 あらえびすの評論は「何か上手いことを言ってやろう」という意識ばかりが先立って、いったいその演奏のどこを聞いているのかが、全く判然としない文章ばかりを羅列したものなのが困りものです。カペーSQとレナーSQの評価の違いの拠って立つところというのも、読み手である私が憶測するしかない。人の感性や評価というものは時代によって必然的に変わるものですが、少なくとも演奏評・ディスク評を書く者として、「自分が何を聞いた結果としてそう思ったのか」については、きちんと書きとめなければならない、と、私も物書きの端くれとして、あらえびすの文章を反面教師とするよう肝に銘じています。そこさえ押さえていれば、単なるレビュー屋の売文も、何十年か先に「時代の感性」の歴史の証言として、ちょっとは価値を遺すことでしょう。
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2014年01月22日

《ボレロ》の雄叫び再び〜クラウディオ・アバド追悼に代えて

テーマ:ブログ
クラウディオ・アバドが亡くなりました。以前書いたように、私はたいがいの場合追悼文めいたものを出さないことにしているのですが、今回はその代わりに、以前書いた記事の続報を掲載しておきたいと思います。

アバドがロンドン響を指揮して録音したラヴェルの《ボレロ》は、コーダ直前に時ならぬ雄叫びが入っていることで有名です。これがイタリアの名指揮者ヴィクトール・デ・サバタのアイデアを借用したものであることは以前このブログで紹介しました。そこで孫引きながら典拠として挙げたリッカルド・シャイーのインタビューが掲載されている、James BadelのRecording the Classics (Kent State University Press, 1996)を入手してありますので、関連するシャイーの発言を訳載します。《ボレロ》転調部での歌声が、アバドのCDに注記されていたような自然発生的なものではなく、演出として全く意図されていたものであったことを間接的に証明する文章と言えます。(原文の英語は、ネイティヴでない人のしゃべりゆえなのか、口語としては全く明快なのですが、冗語も多くそのまま訳すとたいへん読みにくくなります。ですので、以下は意訳です。)

 ヴィクトール・デ・サバタはミラノ・スカラ座で何度も《ボレロ》を演奏しました。そして、終結部直前の転調のところ、トロンボーンがラアア、ラアアとグリッサンドする箇所で、彼がスカラ座のオーケストラの弦楽器陣に、トロンボーンの演奏とともにグリッサンドで歌わせたのです。私は若いときにこれを聴いて育ちました。ご存じのように私の父は作曲家でデ・サバタとも近しかった。彼が父の書いたオペラを全部勉強してましたからね。また、私は70年代初頭にクラウディオ・アバドのもとで副指揮者を務めていましたから、スカラ座の楽団員を全員知っています。さらに、実際に他の指揮者がこの伝統に従ってスカラ座で《ボレロ》を演奏するのも聴きました。だから私は、子供の頃からずっとスカラ座では、《ボレロ》をこの特殊な色彩つきで聴いてきたことになるのです。これはホール全体が揺れるような効果を上げて、身も凍るような、鳥肌の立つような思いを味わわせます。どこから来るのかも分からぬままに、文字通り揺さぶってくるのです。60人も歌うんですから、ものすごい効果を出すんです。私には、この伝統を受け継がずに《ボレロ》を演奏することなど考えられません。私は世界中で《ボレロ》を演奏しました。初日にこれをやるようにとオーケストラにお願いすると、オーケストラは決まってショックを受けるんです。でもたいへん感動的で、しかもすばらしい効果を上げるのでちっとも安っぽくならない。《ボレロ》はこの箇所が来るまでには、すでに騒然とした状態になっています。そこにこの伝統が何かすごいものを、比類のない、言い表しようのないものを付け加えるのです。
(前掲書P.121)

シャイーの言に従えば、スカラ座の監督を務めたアバドがこの伝統を知らないはずはなく、あくまで伝統の延長線上にあの録音があったと言えそうです。
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2013年10月21日

ルポフォンとコントラフォルテ

テーマ:雑誌に書いたこと
このところまったく更新ができてませんでした。久しぶりの投稿です。

先日発売されました『レコード芸術』誌13年11月号の「海外盤レビュー」で、スイスの作曲家たちの年間優秀作品集であるGrammont Selection 5を採り上げました。わずかな字数ゆえにその内容も満足に紹介できませんでしたけれど、あれこれとさまざまな流儀の作品をギュウ詰めにした、なかなか楽しい2枚組アルバムですので、ご興味のある方はぜひ!

さて、そのなかで触れたクリスチャン・ヘンキングChristian Henking(1961年生)の《郷愁に浸るとき、時の流れは必ず遅い》はメゾ=ソプラノとバリトンのための26分もある大作歌曲(テクストはハインツ・ホリガーのファンにはお馴染み、ローベルト・ヴァルザーによる)、伴奏を担う室内合奏団、アンサンブル・プロトン・ベルンは、ルポフォンとコントラフォルテという、特殊な新楽器を使っていて、その響きがとても面白い効果を出しています。今日は記事で書ききれなかった、それらの楽器の紹介を。

これらふたつは、ともにダブル・リード属の楽器で、ルポフォンは音域的にはバス・オーボエやヘッケルフォンの代用となります。(実際にはそれらより低いFまで出るらしい。)動画がありますので、貼っておきます。朝顔のかたちが特徴的ですね。



これはR・シュトラウスの《サロメ》にあるヘッケルフォンのソロでしたが、ルポフォンには既にオリジナルの作品もあります。サミュエル・アンドレイエフSamuel Andreyev (1981年生)の《2台ピアノとルポフォンのための「PLP」》。ピアノの和音がちょっとメシアンぽいですな。



コントラフォルテはコントラバスーンに代わる楽器とのことです。



楽器の胴を見ますと、肉が薄くて非常に太い。おそらく合成樹脂製でしょう。最低音まで非常に楽に出している感じがコントラバスーンと違いますね。また、ヘンキングの曲で聴くとわかるのですが、コントラバスーンよりもはるかに大きい音を出せている感じです。バスーンの仲間というよりは、ダブル・リードのサクソフォンという方が音のイメージに近いかもしれません。(じゃあサリューソフォンとどう違うんだといわれると、なんとも……。)

ついでですから、久々の「大きい楽器」動画貼りを続けましょう。前回以降に集めたものの中で、いちばんのお気に入りをまずひとつ。ドビュッシーの《シランクス》をコントラバス・クラリネットで吹いてます。動きのある絵がないのが残念。



次はフルートの巨匠、ジャン=ピエール・ランパルがバス・フルートを吹いた動画を。曲はボーリングの《ジャズ組曲》から「ヴァーサタイル」。



ウクレレとバス・サクソフォンのデュオというのは絵づら的にいけてるなあ。



キリがないので、今日はこの辺で。
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2013年04月21日

『レコード芸術』13年5月号が出ました。

テーマ:雑誌に書いたこと
なんだか書き込みするのが恥ずかしいくらい久しぶりの投稿となってしまいました。

『レコード芸術』誌5月号が出ましたので、今回はそこに書いた記事の補足情報です。

まず、女性ヴィオラ奏者に関するコラムで、今井信子のアルバム『祈り』を挙げましたが、エプソンからでていたこの国内盤は、現在入手困難だろうと思います。その代わりに、Pan Classicsから出ていた海外盤が、現在iTunes Music Storeで購入可能です。伴奏はガボール・タカーチ=ナジ指揮ティボール・ヴァルガ音楽院管。珍しいディスクかと思いますので、収録内容を書き出しておきます。

$書き散らしの日々-HayashiHikaru&Imai

G.F.ヘンデル(細川俊夫編曲):私を泣かせてください
武満徹(細川俊夫編曲):ヴィオラとピアノのための《ア・ストリング・アラウンド・オータム》
西村朗:ヴィオラ演奏のための《「鳥の歌」による幻想曲》
林光:ヴィオラ協奏曲《悲歌》
野平一郎:ヴィオラ・ソロのための《戸外にて」》
J.S.バッハ(細川俊夫編曲):《人よ、汝の罪の大きさを嘆け》
今井信子 (ヴィオラ)
ローランド・ペンティネン(ピアノ)
ガボール・タカーチ=ナジ指揮ティボール・ヴァルガ高等音楽院
録音:2006年9月

林光のヴィオラ協奏曲には、かつて同じ今井信子独奏で、ペンデレツキが伴奏を振ったN響のライヴ録音がありましたけれど、私はそれは聴いてません。手許にあるのは、上記今井&タカーチ=ナジ盤と、林の音楽を集成した大部のアルバム『林光の音楽』に入っていたやはり今井独奏、作曲者指揮のライヴ録音、それにやはりiTunes Music Storeで購入した、ユーリ・バシュメット&モスクワ・ソロイスツの録音といったところです。後者はPM Classicsレーベルの音源で、タン・ドゥンのピパ協奏曲に加えて、武満の《ノスタルジア》、《三つの映画音楽》、それに林作品が入っているというもの。これはネット上で詳細な録音データを探したのですがちょっと引っかかってこなくて、ストア上の貧弱なデータに頼るしかないのですけれど、どうやら《ノスタルジア》はバシュメットの弾きぶり(ヴァイオリンを!)、林の協奏曲は、クレジットにはバシュメットの名前に加えてロマン・バラショフの名前が挙がっているのですが、バシュメットの弾きぶりじゃないのかなあ。

$書き散らしの日々-bashmet


同じコラムで、第一線で活躍する女性ヴィオラ奏者として、パリ管弦楽団の首席奏者、アナ=ベラ・シャヴェスの名前を出しました。ポルトガル出身で既に長くパリ管のヴィオラ・セクションを率いている彼女については、Christian MerlinのAu Coeur de l'orchestre 『オーケストラのただ中で』(Fayard, 2012)という本でたいへん好意的に扱われていたので、言及してみました。

この『オーケストラのただ中で』でという本は、オーケストラというメディアがどのように機能しているか、個々の演奏家がどのようなかたちで参加しているか、指揮者はそれに対してどう向き合っているのか、といったさまざまな話題を、現役奏者へのインタビューを中心にまとめた本です。たいへんに面白い内容で、私は去年来、ずっと机の近くに置いておいて、折に触れてあちこちを読みふけったりしてます。こういうのの翻訳が出せるといいんだろうけれど、ハードカバーで500ページ近くある本ですから、かんたんには実現しないでしょうなあ。

ちなみに、フランスのオーケストラでは、フランス国立管にもサビーヌ・トゥータンという女性の首席ヴィオラ奏者がいます。同オケには以前にも、ミシュリーヌ・ルモワーヌという女性奏者がいました。←と、これも『オーケストラのただ中で』の受け売りです。

アナ=ベラ・シャヴェスについては、ちゃんとしたソロのアルバムがないかなあと探したのですが、見つかりませんでした。でも、カナ・ド・シジの協奏曲《日の光》は、私がこの作曲家のウォッチャーであることを差し引いても、熱い、よい曲だと思いますよ。

$書き散らしの日々-chaves

あと1点、同じ記事について。フランスのヴィオラ奏者コレット・ルキアンの語る、女性ヴィオラ奏者の草分け的存在マリ=テレーズ・シャイエの話というのは、「ヴィオラの友」les Amis de l'altoというフランス語サイトにあったインタビューから採っています。このサイトには他にマリ=テレーズ・シャイエ自身のインタビューもありますので、フランス語のお分かりになる方にはご参考までに。ちなみにシャイエは、作曲家でもあり音楽学者でもあるジャック・シャイエの妹にあたります。
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2011年10月11日

フレンチ・バスーン vs. ヘッケル・バスーン

テーマ:ブログ
今日も動画貼りです。

意外に思われる方もいるかと思いますが、YouTube上にはバスーン(ファゴット)に関する動画が非常に多くアップロードされています。特に、フレンチ・バスーンとヘッケル・バスーンを両方演奏して、その違いをみせる、という企画に凝っている方が何人かいらっしゃって、そのうちのいくつかはこのブログで紹介したかと思います。

そうした動画作者のひとり、keeppacer氏の最新の動画です。ガブリエル・グロブレスGabriel Glovlezの《シシリエンヌとアレグロ・ジョコーソ》からひとくさり、ということですが(寡聞にして私はこの曲をしりませんでした)、音色の感じやら何やら、二つの楽器の違いがよく出ているのではないでしょうか。

まずはフレンチ・バスーンの方から:



お次がヘッケル式バスーン:



両方とも最後に、左手親指のキー部分がちょっとだけアップで登場するのがお宝かな、と。

追記:グロブレスの《シシリエンヌとアレグロ・ジョコーソ》寡聞にして知らない、などといいながら、手許に1枚ならずCDがあるのを発見しました。赤面。
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