書き散らしの日々 -3ページ目

フルネのショーソンがヨカッタ

ども、ずいぶんとお久しぶりになりました。

最近は雑誌『レコード芸術』での連載記事との関連もあって、CD屋でディスクを漁る時間よりもネットであちこちの音楽ファイルをダウンロードする頻度の方が圧倒的に多くなってます。まあこれは、最近はどこも不景気でショップの規模を縮小していて、クラシック音楽だとちょっとでも珍しいものは全然手に入らない、ということもあるので、「とうとうディスク派からダウンロード派に鞍替えしたか」と思われるのは心外なのですけれど。実際、いまだにディスクに使ってるお金のほうがダウンロード・ファイルに使ってるお金より圧倒的に多いですからね。

で、今回は貴重な昔の音源を無料で提供してくれるHPの話。ただし雑誌では採り上げないことにしました。なぜなら、フランス語のサイトだからです。英語のサイトならまだしも、一般誌の読者に「フランス語のサイトを読んでね」とは言いにくいですもんね。

アーカイヴ横丁 Quartier des Archivesと題されたそのサイトは、パブリック・ドメインに落ちた古い音源で、かつメジャー・レーベルからも、独立系の復刻専門レーベルからもなかなか出されないような音源を板起こしで提供する、というものです。なかにはヨーロッパで入手困難な新星堂のCDからの吸い上げもあるようですが(^_^;)、基本SP,LPから直接起こしてるようですね。確かに謳い文句通り、滅多にお目にかかれないような音源がたくさんあります。イゴール・マルケヴィッチがフィルハーモニ管を50年代始めに振ったヘンデルの合奏協奏曲作品6-5&ブラームスのハイドン変奏曲とか、有名なシャルルの兄にあたるフリッツ・ミュンシュ(ストラスブールで合唱指揮者として活躍した)によるバッハのクリスマス・オラトリオの第2番とか、そんなのがあったの?とビックリさせられるような音源が多数みつかります。しかも、リリース・データも非常に詳細で、データ・ベースとしてもたいへんな充実ぶり。フランス語の記述に挑戦してでも、という方はぜひご覧下さい。

このサイトでの私のイチオシは、なぜか復刻が遅れていて幻の存在になりつつあるレーヴェングート四重奏団(1983年まで半世紀にわたって活躍したフランス室内楽界の名問中の名門)の一連の音源。このサイトでも最も力を入れているアーティストのようで、既に10ほどもエントリーがあり、ベートーヴェン、ハイドンはいうに及ばず、ピエール・ヴァションPierre Vachonやニコラ・ダレラックNicolas d'Alayracといった18世紀のマイナーな作曲家(実は私は全く知らないのですが(^_^;))まで復刻するという力の入れようには、頭が下がります。近代ものではこの団体の代表盤として知られるフランクの弦楽四重奏曲(モノラル盤)もアップロードされてますし、ドビュッシーの弦楽四重奏曲も聴けます。(ラヴェルの弦楽四重奏曲は「著作権が切れていないため復刻できない」としていますが、それはたぶんサイトの作者が著作権と著作隣接権を混同してるんだろうと思うんだがなあ。)

さて、私が今聴いてるのは、ジャン・フルネ指揮によるショーソンの交響曲。といっても、もちろん後年の録音ではなくて、1953年にパドルー管を振って入れたモノラル録音の方です。(併録にフランクの『贖罪』から交響的間奏曲。)50年代のフランスのオケらしいローカルな音色も魅力的ですが、ここでのフルネの、かなり端正にビートを刻んでいるのに全体の肌触りがふわっとまとまっているという、魔法のような指揮にはうならされます。どうやらLP時代にフィリップスとエピックでそれぞれ1度出たきりのディスクのようですが、こんなのが埋もれてしまうんだからレコード業界って不思議だなあ。


言い遅れました。ダウンロードは各エントリの末尾から。FLAC, MP3それぞれにリンクが張ってありまして、そこからダウンロード・サイトにリダイレクトされます。FLACの方はファイルがいくつかに分割してたりもしますので注意。MP3もけっこう高音質ですので、十分に楽しめるかと。

今月のレコ芸について(2011年4月号)

まずは、震災で被害に遭われたみなさまに。たとえどれだけクラシック音楽を愛してらっしゃる方でも、日頃クラシック音楽によって心癒されてきた方でも、今はとてもそんな気になれない、音楽を聴いても気が晴れない、自分にとって音楽がもう必要ないように感じられる、そういう方もおられると思います。ささやかな私事が発端ながら、私にもそういう心境になったことが、これまでに何度かありました。でも、いつかはまた(前と同じ気持ちではないにしても)音楽を聴き直したいと思われる時が来ることと思います。その時がなるべく早くみなさまに訪れることを、心から願っております。

本文はいつも通り?雑誌『レコード芸術』に書いた記事についての補足です。11年4月号の連載「インターネット配信音楽ガイド」では、iTunesストアを扱った前回までとは趣を変えて、ウェブサイトからのダウンロード音源について書きました。英語のサイトばかり三つ並べたのでちょっとハードルが高くなったかと思いますが、そこで内容の都合上書けなかったことを少しだけここで。

まずはflacファイルのmp3コンバートについて。私もマランツのNA7004でも所有していれば、高音質のflacファイルをそのまま聴くことができるのですが、とてもそれだけの予算は捻出できず、私の家ではいったんmp3ファイルに変換してiTunesから聴いてます。変換用のソフトウェアには、Switchというのを使っています。英語版ですが、ダウンロード・ページはこちら。Windows版のダウンロード用リンクもありますので、Winユーザの方もご覧ください。

Switchはフリーウェアのはずですが、使ってると「有料版へヴァージョンアップして下さい」という案内が出ることがありました。でも、そのままにしても使えてるなあ、今のところは。

次に、プリスティン・クラシカルで販売されているmp3ファイルについて。記事でも触れていますが、ここで売っているファイルはCD1枚分を1本のファイルにまとめていて、そのままではたいへん使いにくいものになっています。これは、それぞれの音源を紹介してるページから、その音源(つまりここではディスク)用のcue sheetというのをダウンロードして、これを使ってmp3ファイルを切り分けることになります。個別の音源の紹介ページ下方、"CD-writing cuesheet"とタイトルのあるアイコンをクリックしてダウンロードして下さい。(ただし、私の環境(Mac & Safari)では、なぜかダウンロードしたファイルの拡張子が.cue.htmlとなってしまって、そのままでは使えません。拡張子を.cueのみに縮めて書き換える必要がありました。)

これに使用するソフトには、MacではX Lossless Decoderというフリーウェア(使ったことがないのですが、flacから直接切り分け、コンヴァートができるのかな?)、MP3 Trimmerという有料ソフトがあります(英語版;私はこれを使ってます)。Windowsでのソフトには明るくないのですが、Googleで「mp3 切り分け Win cue sheet」で検索をかけるとさまざまなソフトが引っかかりますので、そちらをご覧ください。これらに音楽ファイルとcue sheetを放り込むと、あらあら不思議、楽章ごと、曲ごとのファイルが出来上がります。

さて、連載記事中で紹介した三つのサイトはどれも優秀で、私はすっかりはまってしまい、あれこれとダウンロードし続けています。その他、最近見つけたサイトでは、ブライアン・ビショップ Bryan Bishop という人のThe Shellackophileというサイトがすごいです。この人はSP盤のコレクターなんですが、もう見たことも聞いたこともないようなディスクがてんこ盛り。オーマンディが40年代に録音したベートーヴェン、ブラームスとか、1933年に録音されたおそらく史上初めてのバッハ《ブランデンブルク協奏曲》1パート1人の録音とか。世界初録音というのにやたらつよいのがこのサイトのウリで、私はヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番の初録音を手に入れました。第二次大戦中、チェルニー四重奏団(20世紀前半に活躍したプラハ四重奏団——後年の同名団体とは異なる——の異名:異名の事情も掲載されてます)による演奏です。ここはデータもしっかりしてるのがありがたい限り。

入試不正って……

なんだかカンニング事件は大ごとになってますね。ていうか、ネットであれこれみる論調に、「入試制度がそもそも行き詰まっているのだ」とか、「カンニングした学生を警察に突き出すなんて、大学側からのリンチだ」といった反応があるのにはちょっとびっくりしてます。

曖昧な記憶を確認する手間を惜しんで書いてしまいますが、
私が大学に入った年だったかその次の年だったかに、同じ京大で入試不正事件がありました。医学部を目指して多浪していた受験生が、試験終了後に大学に忍び込んで自分の答案を書き直し、さらに合格者発表直前にもう一度忍び込んだら合格者一覧に自分の名前がなく、思い余って誰かの名前の上に自分の名前を書いた紙を貼り付けて御用になった、という次第であったと記憶してます。
いやあ、嘘みたいな話でしょ?私もこれはひょっとしたら自分の記憶違いか、さもなければどこか打ち所が悪くて妄想がとまらないだけなのか、ちょっと悩んでるのですが(^_^;)、当時話題にして「答案を書き直しても受からなかったなんて」と友人との話のネタにした記憶があるので、なにがしかそれに近い事件はあったのでしょう。

まあとりあえずそういうことがあったと仮定してみて下さい。この事件を聞いて、不正をした学生を大学が警察に突き出すことに違和感のある方はおられるでしょうか?あるいは「入試制度が悪いのであって、学生が悪いのではない」との感想を抱く方はおられるでしょうか?いらっしゃったとしても、その数はおそらく、今回の事件を聞いてそうした意見を抱く方よりはぐっと少ないのではないかと、勝手に想像してます。

何が違うのか?まあ私があれこれ意見をチラ見したのはネットの世界ですから、情報技術の一端を使った不正であるという点に同情的であるのかもしれません。ハイテクでカンニング、という部分で、どこかネットを使ってる自分とつながってる感じがするのかなあ?でも、やってることは今も昔もおんなじですよね。

あともうひとつ、何かことが起こるたびに、「制度が悪い」とか、「根幹を揺るがす」とか、そういう風に論じるのって、最近の流行ですよね。湾岸戦争ぐらいから?9.11テロのときには、「現実が虚構を越えた。もう文学なんて古いんだ」みたいなことを言ってた人もいました。(原爆ができたときにも、「大量殺戮が簡単になった時代に、もはや芸術は不可能である」なんてことを言った人がいましたから、それの焼き直しなんでしょう。)社会問題を考える時に、その問題の根っこを社会の仕組みに求めるという発想自体は正当なものだと思いますが、個々の事象はあくまで個々の事象です。(マスメディアの騒ぎは大きいけれど)こんな瑣末な事件を論じて「そもそも制度上の問題が」と論じるのは、私にはとんちんかんな態度に思えます。目の前の大火事を見て、「そもそも街区の整理がこの火事を引き起こした」とか大声で叫んでも、火を消したり人命を助けたりはできません。ついでに言えば、文学だっていっこうに消滅する気配はありませんぜ。

容疑を受けた受験生の扱いについては——試験がある限り不正を考える者は必ずいるもので、今回だってそのケースのひとつに過ぎません。ハイテクだろうがローテクだろうが、マスメディアは騒ぎ過ぎ。しかるべく処罰を受けて、また来年堂々と受験したらよろしい。


うう、〆切りをたくさんかかえているのに、こんなことをしてていいのか?それでは。

今月のレコ芸について(11年3月号)

「インターネット配信音源ガイド」、連載も3回目となりました。このページはわりと好き勝手に書かせていただいているのですが、今月は読んだ方から「マニアックだ」とのご指摘が(^_^;)。うーん、まあソレールの鍵盤曲とか、それだけとれば「そこそこマイナー」ぐらいなんでしょうが、そのソレールで始めてファリャの《スペインの庭の夜》で終わると思いきりマニアックなイメージかもしれませんなあ。

ソレールのアルバムで採り上げたマギー・コール、最近は名前を聞きませんねえ。かつてVirginにあった彼女の弾いたバッハの《ゴールドベルク変奏曲》はとてもよい演奏だったのですが、私の持っているディスクは原盤のエラーなのか、20番台の変奏で音飛び(というのだろうか、音がぶつぶつと途切れるやつ)が延々と続いていて、ちょっと聴くのが辛いものでした。廉価盤でのリイシューもあったようですけれど、直ってるのかなあ?無理っぽいなあ。

実はコールの《ゴールドベルク》は実演を聴いたことがあります。90年代初めに、パリのグレヴァン館でのサロン・コンサートでした。グレヴァン館はふだんはロンドンの「マダム・タッソー」のような蝋人形館で、いったい何故そこで演奏会を開いたのかもよく分かりませんが(2年半の留学中、そこでの演奏会に行ったのはその一度きりでした)、瀟洒な絵が反響板に描かれた、たいへん美しいチェンバロを弾いてました。

そういえばあの時も、残り4、5変奏というところで小さい子が泣き出して、かなりざわついた雰囲気になったっけ。CDのノイズといい、マギー・コールはひょっとして何かに祟られていたのでしょうか(^_^;)?もっとも、本人は子供の泣き声にも全く動ぜず、堂々と最後まで弾き切りましたよ。

マギー・コールの弾いた伝ソレールの《ファンダンゴ》がYou Tubeにありましたので、引いておきます。そういえばこの曲、最近はあまり話題になりませんねえ。以前はあの悪名高きパニアグワまで録音してましたが。(アルバムの邦題は『花よりファンダンゴ』という実にふざけたものでありました(^o^)。)



さて、今回の特集記事などで、「仏EMIから出た『稀覯録音集』シリーズ」云々という言及をしています。これは仏語タイトルをLes Introuvables de...というボックスもののシリーズのことです。このタイトルを「類い稀なる~」と訳されている方がおられるようですが、残念ながら誤訳です。Les Introuvables de...というのは、直訳すれば「もはや見つけることのできない~のものども」という意味です。日本語では「稀覯」が最適な訳語と思います。

ハイパーバス・フルートの画像を貼ります。

えっと、先日出た『レコード芸術』誌への記事のせいか、「ハイパーバス・フルート」で検索してこのブログを訪問される方が多いようなので、手許の写真を貼っておきます。

googleでhyperbass fluteで検索すると、ロベルト・ファブリチアーニがハイパーバス・フルートを演奏している写真はいくつかあるのですが、以下の2点は私が原稿執筆時に検索した範囲ではネット上で見つからなかったものです。(今はあるかどうかちょっと調べてません。)

$書き散らしの日々-ハイパーバス・フルート1

上は楽器のほぼ全体像。上下左右に曲がりくねってる様子がお分かりかと思います。

$書き散らしの日々-ハイパーバス・フルート2

お次は演奏してるところ。ファブリチアーニは、他の写真ですと手袋をはめて吹いているのですけれど(トーン・ホールを塞ぐのに大切らしい)、ここでは素手のようですね。

以上の写真は、昨年の新譜"Winds of the Heart"から。ファブリチアーニがハンガリーの民族楽器タロガト(シングル・リードで円錐管の管楽器といいますから、サクソフォンに近い楽器のようです)を演奏するエステル・ラムネックEsther Lamneckと共演したクロスオーバー風のアルバムです。

Winds of the Heart/Lamneck

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まあこれもかなりキテますので、その手のものがお好きな方にはお薦めです(^o^)。