【帚木124-2】女性の出家と尼削ぎについて
おはようございますあいです。
この【イラスト解釈】は、古文常識や識別問題などを書いています。
毎日読んで、基礎知識を定着させてくださいね♪
↓今日の源氏物語はコレ↓
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「…みづから額髪をかきさぐりて、あへなく心細ければ、うちひそみぬかし。…」
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【源氏物語~これまでのあらすじ】
桐壺帝の御子である光源氏は、臣下に降格してからも継母である藤壺宮を忘れられないでいました。ある五月雨の降る夏の夜、宮中の宿直所で、光源氏は頭中将(源氏の義兄)と、女性論の話になり、そこに友人の左馬頭、藤式部丞が加わって、さらに話は盛り上がります。「品定め」とは、身分を定めるという意味。頭中将は、女性の身分を3つに分けます。それを受け、左馬頭は具体的な女性論を展開していきます。
今日の古文常識は、「尼削ぎ」について☆
では行ってみよぉ~♪
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愛情いっぱいのダンナを振り切って、
勝手に出家した女の話でしたねー!
出家した女性のことを、
・尼(あま)
・尼僧(にそう)
・比丘尼(びくに)
などと呼びます。
平安当時、貴族の女性は、
垂髪(すいはつ)、大垂髪(おおすべらかし)などにしていました。
ちょっと絵が下手クソで申し訳ありませんが…
(;゚;∀;゚;)
垂髪というのは、
平安のお姫様として、よくイメージされるもので、
大垂髪というのは、
藤原紀香や皇族の方々が、結婚式に結われた、
おひなさまのような、アレですね^^
フサフサと長い、豊かな髪…☆
※シャンプーもないので、シラミが湧いてたかもしれませんが(;゚;∀;゚;)
平安貴族の女性たちは、この長い髪を、命よりも大切にしていました。
今は、写真や画像が発達しているため、
目鼻立ちというビジュアルのほうが重要ですが、
平安時代は、髪の毛の豊かさが、
最も大きな美人の条件だったんです!
その髪を…
こーんなふうにするのは、すっごく勇気がいります;;
(;゚;∀;゚;)
実は…!
日本最初の尼の記録が残っているのは飛鳥時代なのですが、
その頃には、上のイラストのように、剃髪されていたようです。
(ノ゚ο゚)ノ
それが…平安時代に入って、
※先日の「平安女性の出家について 」でも触れましたが、
天台宗・真言宗という宗派が、日本に伝来してきた中で、
女性は、穢れ(けがれ)があるために、仏教に帰依することを厭われるようになっていきます!
(`・д´・ ;)
※今でも、東大寺の「修二会(しゅにえ=お水取り)」が、女人禁制なのは有名ですね^^;
しかし、先にもお話したように、
男尊女卑の世の中、女性が最後にすがるものは、「仏」だったんです!
尼に対する授戒は、疎んじられてはいるものの、
多くの貴族女性たちが、出家したいと願っている…
そこで…
正式な尼というわけではないけれど、
命より大事な髪の毛を削ぐという、
かたちだけの「尼」となりました。
バーチャル・出家!
(`・д´・ ;)
その後、鎌倉時代に剃髪が許可されるまで、
このような「尼そぎ」というヘアスタイルが、
平安時代の貴族女性の一般的な出家の髪型になっていきます♪
(o^-')b
【尼削ぎ(尼剃・あまそぎ)】
…垂髪を切って、肩のあたりでそろえる髪型
つまり、
おかっぱ、セミロング、ショートボブといった髪型が、
平安女性の尼スタイルだったんです。
これが、当時の出家作法☆
てか、現代女性は、みんな尼削ぎ~(;゚;∀;゚;)
平安時代も、まだ少女の頃は、
伸ばしかけのセミロングですよね。
そうした、子どものおかっぱ頭のことも、
「尼そぎ」と呼んでいました。
あるいは、「髫(うない)」「振り分け髪(ふりわけがみ)」とも。
源氏物語の中でも、しょっちゅう出てきますので、
また随時紹介しますね♪
ちなみに。
「尼姿(あますがた)」の代表的な法衣(ほうえ)は、
墨染(すみぞめ=グレー)や、青鈍色(あおにびいろ=ブルーグレー)の袿(うちぎ)の上に、袈裟(けさ)を重ねます。
光源氏は、そんな清楚で美しい尼姿に、
めっちゃ惹かれたりもするんですよ♪
(o^-')b
あいでした
※夕方5時ごろに、【本日の重要古語】を更新しますね♪