【桐壺202-②】古文常識~元服、童姿とは?
おはようございますあいです。
ふ~;
【桐壺】の巻も、ようやく終盤に入ってきましたよ^^;
【古文】
この君の御童姿、いと変へまうく思せど、十二にて御元服したまふ。
・・・・・・・・・・・・・・
【これまでのあらすじ】
どの帝の御代でしたか、それほど高い身分ではないのに帝(桐壺帝)から大変な寵愛を受けた方(桐壺更衣)がいました。二人の間には、輝くように美しい皇子(光源氏)が生まれましたが、周囲の嫉妬や嫌がらせが原因か、心身共に衰弱した桐壺更衣は病死してしまいます。月日は流れ、亡き更衣に生きうつしの先帝の四の宮(藤壺女御)が入内し、新たな寵愛を得たのでした。帝のもとで育てられた光源氏も、藤壺を慕うようになります。彼は「光る君」と、藤壺は「かかやく日の宮」と呼ばれるようになります。
今日は、「元服」「童姿」についてです。
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みなさんご存じですか?
平安時代の「元服」って、「げんぷく」じゃなく、
「げんぶく」って読むんですって!
(`・д´・ ;)
私、いま気づきましたぁ;;
(;゚;∀;゚;)
「げんぷく」という読みは、明治以降の用法だそうです。
(※『全訳古語例解辞典(小学館)』 より)
(→o←)ゞ
…入試問題に、「元服」の読みが出題されても、
「げんぷく」と書いて×にはならないと思いますが…
(※異論があれば、教えてください;)
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さて。
【元服】とは、昔の成人式のことです。
「元」には、もと、始め、頭部などの意味があります。
「服」は、着用を表すので、
「頭に冠を着ける」というのが、もとの意です。
冠をつけて、成人となることを、「元服」といいます。
(※ちなみに、平安時代の元服の年齢は、いまの20歳とは違い、10代半ばでした;)
元服するまで、子どもの姿で髪をおろしていたのが、
成人すると、冠をかぶるため、髪を結い上げるのです。
なので、「元服」のことを、「初冠(ういこうぶり)」などとも言います。
(※「伊勢物語」にも出てきますよね^^)
実は、平安時代の子どもの元服前の姿(童姿)は、
角髪(みずら)という髪型で、童直衣(わらわのうし)姿です。
みずらとは、よく弥生・飛鳥時代の絵にあるような、
髪を二つに分け、耳の横でそれぞれ括って垂らすやつ☆
こんな感じです;;
ですが、このイラストでは、なんかあんまり、「美しい」っていう印象なくて…
(私の絵心の無さなんですが…><;)
で、当ブログでは、現代人の感覚で、
櫻井翔くん風~光る君~にしています♪
(●´エ`●)
あっそうそう!
それでも、髪を結い上げたりする表現が、今後も出てきたりするので、
急きょ、髪を垂らしちゃいましたぁ;
(;゚;∀;゚;)
今後、「童姿」や「角髪」などという言葉が出てきても、
再度ご説明しますが、あまり気にしないでくださいねー^^;
元服後の光源氏は…というと、
本来は、髻(もとどり、チョンマゲのこと)をきちんと結って、冠で覆ってしまうのですが、これでは今の感覚では愛着が湧きませんよね~;;
(すみません、絵心のなさです><)
なので、
元服後も、櫻井くん風~光源氏~を、よろピク☆
(o^-')b
あいでした