カズオ イシグロ わたしを離さないで

前々から気になっていたカズオ・イシグロ。1954年長崎で生まれ、5歳の時父親の仕事の関係でイギリスに渡り、現在に至る。長編3作目の「日の名残り」はアンソニー・ホプキンス主演で映画化されているけど、まだ観ていなかった。本も映画もぜひこれからみたいもの。「わたしたちが孤児だったころ」を、先に読みたかったのだけど、都合で本作が先になった。「わたしたち・・・」は今読書中、どちらも大変面白い。ただ、今まで読んで来た小説とは「面白さ」の種類が違うように思う。「変わってる」というのが第一印象。


「わたしを離さないで」について、感想を書きたいと思うけれども、この本は絶対ネタバレはイケナイと思うのである。ネタバレ平気な自分なのに(笑) でも、書く(爆) だから、もうこの本を読んだ人だけ、スクロールして下さいね。未読の方は(ちょっとでも、後で読んでみようかな、と思う人は)、絶対この先に進まないように。OK?



佐藤錦  佐藤錦だけど、意味はナイの(^_^;




31才のキャシー・Hという女性が、誰かに向かって語りかけているような一人称の文体で、全編書かれている。この記事のテーマを「ミステリー」にしているが、いわゆるミステリーにくくられる小説では無いと思う。けれど、自分にとってはとてもミステリアスな物語ということで便宜上、ミステリーに。分類が良く分からないものは、「現代小説」に入れてしまうことも、ままあるがこれは「現代」でもない。いうなれば「SF」?


最初に事件なり、謎が提示されるなり、といった事もなく、キャシーは淡々と現在のことや過去のことを行ったり来たりしながら、こと細かく語っていく。キャシーが語っている相手は、キャシーの背景を承知しているらしい。キャシーが幼い頃の事を語る時、そこはある施設で親のいない子どもたちがたくさん共同生活をしているという事が読者の自分にも分かるが、その施設が何のための施設なのかは、なかなか分かって来ない。


キャシーを含めた子どもたちの境遇はスゴイ謎ではあるのだが、それはキャシーの語る言葉からチラリとのぞいたりしつつ、だいぶ読み進んだあたりで、何気なくあっさりと語られてしまう。ハリウッド映画ならば、観客を煽り、引っ張り、その謎はドッカーンという感じで明かされて、登場人物の大げさな表情とともにアッと驚く、というような展開だろう。でも、これは全く正反対の静かな静かな、あまりにもさりげなくて、というか、この本の中では語り手も聞き手もそんな事はあらかじめ分かっているコトなんだから、改めて説明するコトでもない、という感じだ。知らないのは読者の自分だけだったんだし。自分も、ここまで来る間に、もしや?もしや、コレはアレなのか?と、うすうす気づき始めているので、え、やっぱりそうなのーと、ある種独特の静かな(?)驚きを感じざるを得ず、この辺りも変わってるー、けどなんて面白い。という感想を持つのだ。



いよいよネタバレ注意!




しばらく前にSF映画の「アイランド」というのがあった。臓器移植のために、製造されたクローン人間が、そのことを知り自分達の運命を変えるために行動し、戦い、自分の人生を手に入れるというストーリー。人口的に作られたクローンが考えを持ち、心を持つ、人間とは何をもって人間となるのかというようなコトを考えさせられるようなテーマ。また、自分が生きるためにクローンの臓器を使ったり、また心を持つクローンが生きるためには、他の人間を犠牲にしなければならなかったり、生きるコトは利己的なコトなのかと思わされたり、そんなストーリーだった。


さて、本書のクローンたちも紛れも無く魂を持っている。特にキャシー達が育った施設は、クローンも人間と同じだから、生きている間は人間らしく、教育を受けて、恋愛もして心地よく暮らしていく権利がある、という考えの経営者の元、運営されていた。特に絵画や工芸、詩作などの情緒教育に力が入れられて、子どもたちは、たくさんの「作品」を作る。なんのためにそんなに多くの「作品」を作るのか、その謎も後に分かるが、それはとても悲しくて、むなしいようなもの。けれども、多くの優れた「作品」を生み出した子ども達の魂がちゃんとそこにある、ということが大事だ。


本作のクローンたちは「アイランド」のクローンのような戦いはしない。みな自分の義務を引き受けて、穏やかに運命を全うしていく。それは、幼い頃からの自分達の運命に対する教育の結果でもあるのだろう。スポーツや芸術の教育に比べてクローンとしての役目に関する教育は、ほのめかす程度にしか語られてはいないけれど、それは徹底的になされていたはずだ。


それでも、どうして逃げないのか、自分の人生を持ちたくないのか(この望みはもちろん、ある。モダンなオフィスで会社員になりたいというささやかな夢も切ない)、と読み進めつつ自分は思う。けれど、小説中では、過酷な運命を生き抜くこの人たちに、気持ちは静かに寄り添っていくのだ。