アメンバー記事を一つ解放します。
霊性のネガティブキャンペーンもあるので、解放して、自らの考えの一旦を知って貰った方がいいのかなと思いました。
『霊能力と悟りについて書かれているブログを読んで、自分の意見を書こうかなぁと思いました。
そのブログは、大変参考になり、面白いブログなので、なるほどと思いつつ、この件に関しては多少意見は異なるのかなと思います。
まぁ、霊能力と悟りは、比例するかということですが、何をもって悟りにするかで異なるでしょうね。
悟りを仏陀の八正道に照らすとなると、う~ん、厳密には比例しないのかなぁと思います。
私の感じでは、認識力と霊能力が多少比例しているのかなと思います。
悟っていない私が述べても仕方ないように思いますけど・・・。
でも、こう言う議論は意味のないものかなとも思いますね。
八正道を行じて、悟りを深めたからといって、霊的な能力が開発されるかというとそうでもないような気がします。
それはあくまで、悟りのベクトルであって、霊的能力とは違うものだからです。
その人の使命にあった現れ方があるとしか言えません。
また、時期も大切です。
面白いブログの意見はここまでで、後は、一般論を述べようかなと思います。
一般論として、大事なことを言いますが、霊的能力を否定するというか危険なものとして敬遠してるような人には一生かかっても、そのような能力は身に付かないことは真実です。
それは、適正そのものがないのだからと諦めるしかありませんし、そもそも、深層心理で否定してるのだから身に付くはずがありません。
そういう人は、教学に適正があるのだから、それを身に付ければいいと思いますね。
教学をしっかりと身に付けて、霊的能力が教学に応じて開発されればというような、虫のいいことを考えてるのであれば、それは間違いでしょうな。
また、最初から霊的能力から心が逃げてると思いますし、必要ないと思ってるのでしょう?
思ってないにしても、深層心理で避けてますから。
霊的能力をことさら危険だ危険性があるとして、教学を身に付ければ安心だと思うなら、それはそれで良いことだと思いますけど。
何にしても、あるものを危険なものとして、あるものを抑制しなければいけないものとして捉えてる人に、神様だって、あるものをそのように捉えてる人に与えることは不可能です。
少し、考えれば分かることですよね。
基本的なことを言いますが、人には長所や短所があります。
それだけ、認識することができればいいと思いますけどね。
その長所をけなすというかマイナスに見て、
短所をやたらと是正しろ、
と言う人の言を聞くはずがありません。
まず、その事を理解するべきです。
それが分からなければ、教学でさえ、無理ということかなぁ?
長所は認めて、短所はあくまでこうすればいいよとアドバイスする形が必要です。
長所をより伸ばし、短所を努力して直そうとするのが、一般的な普通の姿だと思いますけどね。
だから、長所を誉めるのが先決だと思います。
まぁ、それが一般的には、普通な方の対応です。
悟りが上がるのと比例して、霊的能力が身に付くようになれば、それは理想です。
困ったことに、そのバランスが難しく、うまくいかないのが世の常です。
それにしても、悟りや教学の程度について、相手より自分の方が高いものと見るのもどうかと思いますね。
そういう人は、ブログ等でしたり顔して、何度もヘンテコな筋のない駄文を繰り返し投稿するものです。
分からなければ、分かりません、理解できませんと素直になれば良いのにと思います。
理解できないのに、理解しようとしないのに否定に走る人のことが世の中になんて多いことか。
実は、自らの理想像を批判してることが多いのにとも思いますね。
それなのに否定して遠ざかってる状況があります。
なんとも、不思議ですね。』