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見苦しい記事が続きましたので、今回は、「愛に向けての第一歩」と題しました。
愛は、難しい問題です。
愛を理解するには、本当に難しいことだと思います。
しかも、愛には、これで十分と言うのがありません。
瞑想しても、本当は分かっていないのです。
瞑想しながら、どこまでの人に感謝しているのでしようか?
百代前の先祖にまで?
動植物に感謝していますか?
海の水があることに、風があることに、空気があることに感謝しましたか?
そこまでは感謝していないでしょう。
してないにもかかわらず、自分では「百点だ」と思っていてるのです。
人間はそのようなものです。
狭い自己愛が自分を苦しめていると言うことを知らずに過ごしているのです。
そして、そんな人間にもかかわらず、周りを見たら、真実多くの人に愛されているのです。
多くの人に愛されているにもかかわらず、人間というものは、努力しなければ、自分が愛されていることが分からないのです。
自ら地獄に落ちていく人は、天使も救えないのです。
自由意思であるけれども、自己愛の塊になり、人が自分を攻撃していると錯覚し、必要以上に攻撃し、自分を愛しているのに、自ら地獄へ行こうとするのです。
本当に自己を愛してるなら、本当の利己主義者なら、人に親切にしましょう。
永遠なる視点を持ち、
何が自分を幸福にするのか?
何が自分を不幸にするのか?
真実、知るべきです。
この考えは、自分を不幸にすると思うなら、きっぱりと止めるべきでしょう。
反対に、この考えは、自分を幸福にすると思うなら、その考えは、きっと人を幸せにする考えと思いますから、それが、あなたの愛に向けての第一歩だと思うのです。
大勢の人の中で生きているのです。
人を傷付けることもあると思うのです。
しかし、真実を知ると言うことが大事です。
それは、正しい愛のことです。
正しい愛は、無償の愛です。
自分を棄てると言うことです。
自分を棄てることは、実は、自分を大きくするのです。
どうしても、この事が理解できないのが唯物的な人です。
何か言われたら、損をしたと思うのです。
それは、パイの取り合いの世界観です。
しかし、真実の愛は、広大です。
与えたら、与えられる世界です。
それは、人から与えられるのではありません。
神から与えられるのです。
真実の世界を知ったなら、
より多くの人を愛するということは、
自分を本当に愛し育てることなのだ。
ということが、だんだん、分かってきます。
人に愛を与えて、邪険にされても、その愛を止めてはいけません。
愛を与え、与え続けるのです。
愛を与える努力を止めてはなりません。
人は、死ぬときに何を後悔するのでしょうか?
それは、愛を与えなかったことを後悔をするのです。
人に優しく接しなかったことを後悔するのです。
そうであるならば、この言葉を信じて頂けるなら、人を愛してください。
それが、自己を本当の意味で成長させるのです。
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