みそ汁の具

明治朝廷をぶった切る 蹴散らし 叩き潰し ぺちゃんこにする為 強記する!!『たまに更新します』

未来の活力!日本に明かりを灯すぞ!!みたいな実ーどっとこむ

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第二次安倍内閣閣僚名簿が発表されて日本中の成り済まし共が歓喜し勇みはしゃいでいる模様ですが、こやつら成り済まし共は声はデカイですが実数は少ないのでそこら辺りは善く認識をし騙されないよう日本人は気を引き締めて行きましょう、少ないといっても少数民族が国家を侵略し支配する事は人類史において多々ある事でもあります。今日本はその最悪の状態に入ったであろうと杞憂する現象が起きてしまった事もまた事実です。そう安倍内閣り閣僚名簿を見てみたら、おぞましい程の親韓内閣が結成それようとしているではないか、まさしく戦後最悪の成り済まし内閣が発足しようとしている。


西南人によって暗殺された孝明天皇の命日である12月25日(慶応二年)、日本人に忘れ去られてしまった誰も知らない孝明天皇の命日のその翌日12月26日(平成24年)今現在、苦しくもその孝明天皇殺しの西南人の子孫が主体となる内閣閣僚名簿が発表された。ヌケヌケと孝明天皇を暗殺した日本有史以来最悪売国奴の子孫がまたもや主権を担う事となってしまっている。奇遇か、新内閣閣僚名簿の発表が孝明天皇暗殺日の次の日とは、まるで幕末の頃の悲劇を思いだされてしまう。孝明天皇が暗殺された次の日から西南人が主権を握ると日本は地獄に陥れられた。その不幸を再び再現し味あわせられるようなハメになろうとは、歴史は繰り返すと言われるが、またもや日本は売国バーゲンセールの餌食となるのであろうか、日本人として甚だ気分が悪いものである、その売国バーゲンセールの準備を着々と勧める第二次安部内閣の閣僚名簿人事が以下です。とてもではないが人間の集まりには見えないので昆虫内閣とでも命名しようか。
 
総理 安倍晋三(自民党所属・2012年衆議院、公明党1次推薦)


副総理・財務・金融 麻生太郎(自民党所属・2012年衆議院)


総務 新藤義孝(自民党所属・2012年衆議院、公明党1次推薦)


法務 谷垣禎一(自民党所属・2012年衆議院、公明党1次推薦)


外務 岸田文雄(自民党所属・2012年衆議院、公明党4次推薦)


文部科学・教育再生 下村博文(自民党所属・2012年衆議院、公明党2次推薦)


厚生労働 田村憲久(自民党所属・2012年衆議院、公明党2次推薦)


農林水産 林芳正(自民党所属・2007年参議院、公明党推薦)


経済産業 茂木敏充(自民党所属・2012衆議院、公明党2次推薦)


国土交通 太田昭宏(公明党所属・2012年衆議院、自民党推薦


環境・原子力防災 石原伸晃(自民党所属・2012年衆議院、公明党1次推薦)


防衛 小野寺五典(自民党所属・2012年衆議院、公明党1次推薦)


官房 菅義偉(自民党所属・2012年衆議院、公明党1次推薦)


復興・原発事故再生 根本匠(自民党所属・2012年衆議院、公明党2次推薦)


国家公安・拉致問題・防災 古屋圭司(自民党所属・2012年衆議院、公明党2次推薦)


沖縄・北方・科学技術 山本一太(自民党所属・2007年参議院、公明党推薦)


消費者・少子化 森雅子(自民党所属・2007年参議院、公明党推薦)


経済再生・経済財政 甘利明(自民党所属・2012年衆議院、公明党1次推薦)


行政改革・公務員改革 稲田朋美(自民党所属・2012年衆議院、公明党2次推薦)


以上、御覧の通り自民党議院は麻生太郎一匹を抜かして全員創価公明党からの推薦議員となっています(それと公明党議員の大田は自民党からの推薦)。まさに戦前の国柱会(日蓮カルト)と同様の動きとなっているのが創価学会(日蓮カルト)を支持母体にもつ公明党の影響力の強さになって顕れた選挙であった事が今回の衆議院選挙及び、内閣閣僚名簿の発表によって明らかとなったものであるが、この事に関して大手マスコミは無論の事ながらネット言論界も右から左まで触れないでいるのは一体どう言う事なのか、それだけ創価勢力に侵食されているのが日本の現状なのであろう、戦前も国柱会に対しては誰も批判を出来なかった社会であった事は今更言うまでもないが、創価学会がこうして戦前の国柱会同様の力へと日々近づいていっているこの不気味な現状に警笛を鳴らす為にも、かなり重い腰を挙げ創価学会による総体革命(ありとあらゆる分野への侵食)のこの見事なまでの成功ぶりを拙ブログで取り上げてみた。完敗と言っても良いほど日本はやられている実情がこの閣僚名簿からハッキリした。さぞや創価学会執行部は御満悦な事であろう。


つい先日、会心の一撃記事を製作したばかりなので当分新しい記事は製作したく無かったのですが、まあ仕方なし、執筆王子 メラメラではないので文章を書くのは得意ぢゃねーが頑張って話を進めるが、この内閣閣僚人事は自民党安倍晋三総裁と公明党山口那津男代表の話し合いにより決定されたといった報道をされているがそれはいつものマスコミによる虚報であろう、見ての通りだ、公明党山口代表による人選であるといった事は明確である、ちなみにこの公明党による推薦の1次や2次と言ったものであるが、数字の若い順に公明党、すなわち創価学会に対する忠誠心の高さを表しているものであるといった事もわざわざ言うまでもない事であろう、数字が若ければ若い程早い時期に推薦が決まっている。閣僚に名を連ねる1次や2次で推薦を賜ってる者などは顔パス同然であろう事は、何時もの如くの常連さん達のこの顔ぶれを見れば十分伺える事だ。中でも安倍晋三なる者が特に公明党からの信頼の高さが飛びぬけている事も、もう今更といった事で、お花畑以外の方ならば故意に日本を陥れようとする者ら以外には既に周知の事実である。自民党員は皆この公明党からの推薦を賜る為に日々必死に政治活動と言う名のカルト信仰に余念が無い事も、日本のあらゆる事象が常に自民党の許可を得てカルト・成り済まし等によって中国や韓国といったこれまたカルト国家と言ったものの為に安く売られ続けてきた現実を見てみれば判る通りであり、その事は今回のこの選挙、閣僚名簿発表によって更に証明されたといっても過言ではない。後は戦前の国柱会同様に国教化(国立戒壇)を目論みでもするか、皇室に忍びこみ、皇室の影響力を利用し、カルト天皇教を磨きあげ、大アジア主義よろしく韓国と同化し朝鮮半島の平和の為、且つ朝鮮半島の生活水準底上げの為といってはそれと同時にカルトらの金儲けの為に日本人の生命財産を好き放題搾取して行くであろう事は判り切った話だ。それとももうすでに創価勢力によって皇室は影響力が及ぼされているであろうか、拙のようなこの西南カースト制度においての最低身分の立場の人間にとっては詮索すら憚られる事であろう。あな、恐ろしや。


ところでこの昆虫内閣の中に一匹だけ創価公明党と関わりが無いように見えるのがいる。そう麻生太郎、なにかの罰が当っているのであろうか、この不可解にも口の極度にひん曲がった男だけは創価公明党からの推薦を今まで一度も賜った事の無い存在だが、そのタチの悪さは他とは比べ物にはならない事はその最悪の出自に隠されていると言っても過言ではない。麻生の先祖には薩摩の大久保利通が存在する。この大久保利通と言う者が最低最悪の昆虫である事は言うに及ばず、孝明天皇殺しの主犯です。孝明天皇暗殺説は他にもあり、よく噂される事に伊藤博文暗殺説と言うのがありますが、つまり伊藤博文を暗殺した安重根の有名な15の動機の証言の内の一つがありますね、「現日本皇帝(明治天皇)の御父君(孝明天皇)を暗殺したのは伊藤博文だ」といったこの安重根の言い分は有名ですが、これではいまいち納得し難い、無論孝明天皇が暗殺された当時は薩長同盟が締結されているので長州人である伊藤が暗殺犯であると言ってもあながち嘘ではなく、気持ちとしたら善く判るが、感情的な部分が先行してはいないか、少なくとも伊藤は黒幕ではない。


当時の歴史を簡単に陳べよう、当時長州人は京都に居ない、正確に言うと他藩人に成り済まして潜伏してはいる。孝明天皇が暗殺された当時は、禁門の変によって孝明天皇に弓をひいたテロリスト集団である長州人及び長州勢力の公家は全て孝明天皇の怒りを買い京都から放逐されている。なので長州人が京都で上手いこと暗躍するにはなかなか難しいと思われる。孝明天皇の怒りを買った長州藩は更に孝明天皇の勅が下された幕府によって第一次、第二次と征伐をされるべく攻撃をされますが、不幸にも第二次征討中に幕府、すなわち官軍は孝明天皇の義弟でもあられる将軍徳川家茂が死去(薩摩による暗殺の可能性有)をしてしまいます。で結果官軍である幕府側が敗けてしまうのですが、まあ実際としてここで負ける事自体は幕府や朝廷にとってのダメージはさほど無く、事実として負けた側の幕府が長州藩を許す形で講和がなされている。そうつまり幕府軍は皇軍である、負けたからと言って長州藩にどうのこうのと言われるほど落ちぶれちゃあ居ない、ただ隙は生じた、その隙を衝かれ孝明天皇は暗殺された。当時幕府中の最大の実力者の一人に大藩ではないが会津藩松平容保がいる、この会津藩松平容保は当時孝明天皇と将軍徳川家茂からの信任を一身に受けていた人物であり、その職務京都守護職において京都中にいるテロリストに睨みを効かせてた事は勿論、薩摩藩のように藩是は親幕府のふりをしてるくせに実際はテロ集団である長州藩と軍事同盟を成しているような二枚舌民族達の動向も見透かしては睨みを利かせ眼光一発で黙らせ続けていましたが、転機が訪れたのが将軍家茂の死、つまり次の将軍となる徳川慶喜(一橋慶喜)の登場となります。徳川慶喜(一橋慶喜)と松平容保、この二人は折合いが悪い、そもそも会津藩は井伊直弼の彦根藩とは家格も主義主張も同じであり昵懇の中である、ということはつまり開国派でもある、がここでは長くなるので話はそこまで広げない、井伊直弼といったら皆さんご存じの通り将軍継嗣問題で有名ですね、つまり14代将軍徳川家茂を擁立した人が、この当時最大実力者井伊直弼です。でここで井伊直弼と争ったのが後に15代将軍となる徳川慶喜(一橋慶喜)です。井伊直弼は残念ながらこの事に不満を持たれて暗殺されてしまう、この井伊直弼の事を思想の支柱としてた会津藩松平容保にとってみたら井伊直弼暗殺にしろ死去後最大の幕府実力者となった一橋慶喜勢力による彦根藩に対する待遇の悪さも腹に据えかねてた事もあるであろう、彦根藩は後に幕府を裏切り官軍の先兵となるがそれもまた武士としての誠の姿であったであろう、ただ問題は同和体制と言ってもよい西南軍の先兵となっただけあって未だ濃厚に同和県を地で歩いてる無様なその様だが、なにかしら呪いにかかっているのであろうなとしか言いようがなく、その呪いを解くには改めるべきその何かしらがあるのではないであろうか。まあ、日本全土がそれを縮図ともしている。つまり歴史認識だ。ま、それは置いといて、話がそれたので戻すのと同時にいい加減に長くなりすぎてしまったのでまとめる。


慶応二年七月に14代将軍家茂が死去する、すると徳川宗家は後の15第将軍徳川慶喜(一橋慶喜)が継ぐ事となる、つまり宗家との折り合いの悪くなった会津松平容保は京都守護職の辞任申請を同年十月に出す事となる。結局この辞任申請は、年が明けてからの慶応三年三月に請け入れられるのだが、ここまで何とか京都の平穏を保ってきた幕府と皇室の最大の頼みの綱である会津松平容保が京都守護職と言う要職を辞任申請する位となっているので14代将軍家茂亡き後の幕府や皇室はかなり混乱の一途をたどっている事が判る。この混乱している状態でいたからこそ孝明天皇が暗殺されてしまう隙が生じてしまったのであろう、これは会津松平容保にとっては生涯悔やまれた事であろうと思う、その心情を慮る。


孝明天皇は慶応二年十二月に暗殺される。つまり会津松平容保が京都守護職の辞任申請をした二カ月後の混乱期最中だ、黒幕は薩摩藩、主犯は求心力の無くなった島津一族に代わり事実上の薩摩の王様となっていた西郷隆盛とその相方の大久保利通である。孝明天皇暗殺後に行われた事を見てみれば判りやすいものがある。孝明天皇暗殺後に長州藩と長州勢力の公家に対する恩赦が早速と出されました。そう西郷、大久保が幼帝明治天皇を脅して長州藩恩赦の勅を出させたんです(もしくは偽勅)。つまり京都で思うがままに暗躍出来ない長州藩の代わりに当時政権与党の一端であった薩摩藩が政府の目を盗んで最大のテロ行為(孝明天皇暗殺)を執行する為に薩長同盟が締結されていたのです。つまり薩摩藩による長州藩の京都政界への復帰の為に行われたのが孝明天皇暗殺の理由である。100%孝明天皇暗殺の黒幕は薩摩の西郷と大久保である。他には見当たらない。この暗殺者の子孫がカルトに囲まれてはホクホク顔でコンクリートを売りながらにして政治家だといってはふんぞり返っていられる国が明治以降の日本の現状である。


明治天皇は先帝の霊に対し後悔の念で一杯であったろう、その叡慮を慮る。


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先づご紹介、あるかどさん(有門大輔)の何時もの流行病いが始まったので皆さんにご報告!!新しいブログを立ち上げました(正確には復活させた)クラッカー新風連(新しい風を求めてNET連合)BLOG http://shinpuren.jugem.jp/ 皆さん宜しくどうぞ御贔屓に!!


孝明天皇は慶応二年十二月二十五日にその波乱の人生の幕が閉じます。孝明天皇の死は西南人(薩長を中心とする)による暗殺であるとされた見方が有力とされてますが、まあ間違いないでしょう、その主犯は、一に西郷隆盛(薩摩人)、二に大久保利通(薩摩人)、三四がなくて五に西南人といったところでしょう。この腐れ外道である西南民族共が主権を握る西南政府(明治時代)が日本を牛耳る時代となると、孝明天皇は屍となってからも鞭を打たれ続けています。嘘吐き西南体制によって孝明天皇は幕末随一の愚鈍者扱いを受け、偏見丸出しのレッテルを張られる事、明治以降留まる事を知らず未だ百五十年間も続く。果たして西南政府の洗脳を受けているにせよ、我々多くの日本人も誠の天皇であられる孝明天皇の真の姿を如何ほどの理解をしていると言うであろうか、日本人の多くは本当の処その人格を何一つ知らないでいて西南政府や西南流メディアが垂れ流す嘘や口車に安易に乗せられてしまっては単純に騙され続けては愚かにも西南人と一緒となって孝明天皇を陥れてはいやしないであろうか?それでは何時までたっても孝明天皇が浮かばれる時は来ない!!そろそろ日本人は西南流による執拗な洗脳を振りほどきては確固たる日本人である事を思い出そうではないかパンチ!愚かにも何時までも西南人といった朝鮮半島から渡来してきた帰化人共とじゃれ合ってる場合ではない。その腐れ外道共の垂れ流す洗脳を振りほどく為にも誠の天皇である確証を持つ最後の天皇である孝明天皇の御言葉に耳を傾けてみようではないか!!


という事で以下は、文久四年正月二十一日、時の征夷大将軍徳川家茂がその義兄であられる孝明天皇から下された勅です。価値ある内容ですのでお読みください。これにより誠の天皇と言う存在が如何に国民の安寧を憂いていた存在であったかと言う事が理解をできるはずです。お馴染み『いがぐり史料館』http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/ の中から『京都守護職始末2』山川浩著を引用します。


【引用開始】嗚呼、汝、方今の形勢を如何と顧(かえりみ)る。内はすなわち、紀綱廃弛し、上下は解体し、百姓は泥炭に苦しむ。ほとんど瓦解土崩の色をあらわし、外はすなわち驕虜五大州の凌侮を受く。正に併呑の禍にからんとす。その危きこと、じつに累卵のごとく、また焦眉のごとし。朕これを思いて、夜も眠るあたわず、食も咽(のど)を下らず。
嗚呼、それ、これを如何と顧る。これ、すなわち汝の罪にあらず。朕が不徳の致すところ、その罪は朕が身にあり。天地鬼神、朕を何とか言わん。なにをもって、祖宗に地下に見(まみ)ゆることを得んや。よって思えらく、汝は朕が赤子、朕が汝を愛すること、子のごとし。汝も朕に親しむこと、父のごとくせよ。その親睦の厚き薄きが、天下挽回の成否に関係す。あに重きにあらずや。
嗚呼、汝、夙夜(しゅくや)心を尽し、思いを焦がし、勉めて征夷府の職掌をつくし、天下の人心の企望に対答せよ。それ醜夷征服は国家の大典なれば、遂に鷹懲(ようちょう)の師を興さずんばあるべからず。然りといえども、無謀の征夷は、じつに朕が好むところにあらず。然るゆえんの策略を議して、もって朕に奏せよ。朕その可否を論ずること詳悉、もって一定不抜の国是を定むべし。
朕また思えらく、古(いにしえ)より中興の大業をなさんとするや、その人を得ずんばあるべからず。朕凡百の部将を見るに、いやしくもその人ありといえども、当時、会津中将、越前中将、伊達前侍従、土佐前侍従、島津少将等のごときは、すこぶる忠実、純厚、思慮宏遠、もって国家の枢機を任ずるに足る。朕これを愛すること、子のごとし。汝もこれを愛し、これを親しみ、ともに計れよ。
嗚呼、朕と汝、誓って衰運を挽回し、上は先皇の霊に報じ、下は万民の急を救わんと欲す。もし怠慢にして成功なくんば、殊にこれ朕と汝の罪なり。天地鬼神もこれを殛(つみ)すべし。汝、旃(これ)を勉めよ、旃を勉めよ。【引用終了】


 以上、どうでしょう、これが誠の天皇と言うものの叡慮(天皇の気持ち・考えの事)と言うものである、それとは違い今をご覧ください、危機意識の欠片もなく反日的な隣国(韓国)に対し不気味なる叡慮を平成十一年十一月二十日、今上天皇(母親薩摩人)が在位十年記念式典にて次のように発言しています。「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」以上が今上天皇の叡慮ですが、日本人として全く理解出来ない叡慮であるが、なるほど明治以降日本は不幸にも一体何の因果があると言うのであろうか、朝鮮との同化政策の犠牲を強いられては挙げ句に朝鮮の経済、インフラの為に日本民族の財産を、また朝鮮半島の防衛の為に日本民族はその生命を好き散々搾取されてきました。なるほどつまり日本の明治以降の近代史は、この今上天皇の叡慮ある発言に凝縮されているといっても過言ではなく、まさしく朝鮮との因果を、上は天皇から下は万民にまで至るといった範囲に及び強制、強要、脅迫、懐柔、教育、道徳、神話に刷り込ませられては、あらゆる角度から日本は明治以降留まる事を知らず工作を受けてきた事が判明出来る。その事はこの今上天皇の青く浅い叡慮を御拝聴をしてみれば一目瞭然である。やはり西南人と言う者は朝鮮半島に対し特別な親しみを覚える因果と言うものが、その出自のアイデンティティの中に含まれているものなのであろうか、その事は西南人となってみなければ誰にも判らない事であろう。


果たしてその叡慮の質の違いから孝明天皇と今上天皇とは随分とその思考回路に隔たりがあると言う事が伺えるものだが、本当に血の繋がりがあるのであろうか、甚だ疑問だ(まあ、ある事はあるにしろ今上天皇は西南人(薩摩)の血が濃厚だからと言う事であろうか)。どちらにせよ、このように誠の天皇であられる孝明天皇の日本国民に対しての温かく、且つ優しく、且つ心強い叡慮と言うものに対しては涙を流さずには読めないものである(まあ、逆の意味で今上天皇の叡慮にも涙が出ちゃうものだが)。


せっかくなのでもう一つ引用(滅多に更新しないし)、我らが日本民族を代表する史上最高の天皇であられた聖上孝明は同じく同年同月二十七日にも将軍家茂に勅を下してます。こちらも大変に価値があるので全文引用します。多少長いですが、大変在り難いその御言葉の数々は、まるで冷え切ったその身体を温めてくれるぽかぽかのお風呂に浸かっては優しく篤いぬくもりに包まれるかの如くものであり、日本人であるのならば誰でも骨身にしみるはずです。ではどうぞお読み下さい!!


【引用開始】朕、不肖の身をもって、夙(つと)に天位を践(ふ)み、かたじけなくも万世無欠の金甌(きんおう)を受け、つねに寡徳の先皇と百姓とに背かんことを恐る。なかんずく嘉永六年以来、洋夷しきりに猖獗(しょうけつ)来港し、国体ほとんど言うべからず。諸価沸騰し、生民泥炭に苦しむ。天地鬼神、それ朕を何とか言わん。嗚呼、これ誰の過(あやまち)ぞや、夙夜(しゅくや)、これを思いて、止むことあたらわず。
かつて列卿、武将とこれを議せしむ。如何せん、昇平二百有余年、威武のもって外寇を制圧するに足らざることを。もしみだりに鷹懲の典をあげんとせば、かえって国家不測の禍に陥らんことを恐る。幕府は断然朕が意(こころ)を拡充し、十余世の旧典を改め、外には諸大名の参勤を弛め、妻子を国へ帰し、各藩に武備充実の令をつたえ、内には諸役の冗員をはぶき、入費をへらし、大いに砲艦の備えを設く。じつにこれ朕が幸のみにあらず。宗廟、生民の幸なり。且つ、去年上洛の廃典を再興せしことは、もっとも嘉賞すべし。あにはからんや、藤原(三条)実美等、鄙野の匹夫の妄説を信用し、宇内の形勢を察せず、国家の危殆を思わず、朕が命を矯(た)めて軽率に攘夷の令を布告し、みだりに討幕の師を興さんとし、長門宰相の暴臣のごときは、その主を愚弄し、故なきに夷舶を砲撃し、幕使を暗殺し【注三】、ひそかに実美らを本国に誘引す。かくのごとき狂暴の輩は、必ず罰せずんばあるべからず。然りといえども、みなこれ朕が不徳の致すところにして、じつに悔慙にたえず。朕また思えらく、我のいわゆる砲艦は、彼のいわゆる砲艦に比すれば、いまだ慢夷の胆を呑むに足らず、国威を海外に顕(あらわ)すに足らず、かえって洋夷の軽侮を受けんか。ゆえにしきりに願う。入っては天下の全力をもって摂海の要津に備え、上は山陵を安んじ奉り、下は生民をたもち、また列藩の力をもっておのおのその要港に備え、出でては数艘の軍艦を整え、無砲の醜夷を征討し、先皇の鷹懲の典を大にせよ。
それ、去年は将軍久しく在京し、今春もまた上洛せり。諸大名もまた東西に奔走し、あるいは妻子を国に帰らしむ。宣(むべ)なり、その費用の武備にまで及ばざること。今よりは、決して然るべからず。つとめて太平循の雑費を減じ、力を同じうし、心を専らにして征討の備えを精鋭にし、武臣の職掌をつくし、永く家名を辱(はず)かしむることなかれ。
嗚呼、汝、将軍および各国の大小名、皆朕が赤子なり。いまは天下の事を朕とともに一新せんことを欲す。民の財を耗(ついや)すことなく、姑息の奢りをなすことなく、鷹懲の備えをきびしくし、祖先の家業をつくせよ。もし怠惰せば、特に朕が意(こころ)にそむくのみあらず、皇神の霊に叛くなり。祖先の心に違(たが)うなり。天地鬼神もまた汝らを何と言わんか。
 文久四年甲子正月二十七日【引用終了】


 以上、あぁ、いとあはれなり、言葉が見つからない、またこれに対する将軍家茂からの奉答書が同年二月十四日に奉ぜられてるのですが、これがまた素晴らしく、日本の執政者の心情は斯くあるべしごとく見本の御言葉となっている!!があまり記事が長くなるのもなんなので涙を飲んで割愛。


孝明天皇は慶応二年十二月二十五日に暗殺されました。そうです戦国時代からゴキブリの如くこそこそと隠れ生き延び、日本に対し逆恨みを抱き続ける隠れキリシタンの巣窟である西南地方の民族共によって孝明天皇はキリスト世界に生贄として捧げられてしまいました。明治以降の日本を見てみれば西南人の手によって日本が売られた事は一目瞭然ですね、それなのにあまりにもその事に対する日本人の認識は無知でありすぎます。日本人は何時までもこの事に対し見ないふりをして目をつぶっててはいけない、こうして現実から目をそらす限り日本人は生贄として常に西南人によって金儲けの餌としては売られ続けてしまう事となるであろう。このままでは日本を守る為、日本の未来を築く為に必死となって苦しみもがき悩み、戦い犠牲となって死んでいった孝明天皇や先人達に申し訳が立たない、そろそろ目だけでなく脳みそをも覚醒させ、しっかりと敵を見据えようではないかパンチ!敵は直ぐそこに居るメラメラ


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こんにちわ。前回、何かの陰謀によって削除されてしまったかと思われていた当ブログの記事をなんと、ありがたい事に『みそ汁の具』ふぁんくらぶ会員の方が、大事に保存してていましていたた合格

ありがとうございました!!それを頂戴しまして再度掲載!!お礼の代わりに孝明天皇の叡慮(天皇の考え)ある宸襟を一つ付け足して引用し、更に完璧に仕上げましたので尚更に必見の記事となって甦りました。でわ、御堪能ください!!


明治維新の英雄とされる輩共は全員国賊です。
その中でも三条実美は国賊の中の国賊です。
その訳は…、孝明天皇の叡慮書と言っても過言ではない京都守護職始末を読めば一目瞭全です。というわけで『いがぐり史料館』
http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/ の中の京都守護職始末1 二十八章  「七堂上の西奔」から引用、孝明天皇が、中川宮、二条斉敬、近衛忠熙に連名で与えた叡慮(天皇の考え)ある宸翰 を全文引用しますので是非お読みください。

[引用開始]
元来、攘夷は皇国の一大事にて、なんとも苦心に堪え難く候。
さりながら、三条はじめ暴烈の所置は深く痛心の次第。
いささかも朕の了簡を採用せず、そのうえに言上もなく浪士輩と申し合せ、勝手次第の所置多端、表には朝威を相立て候などと申し候えども、真実の朕の趣意相立たず、誠に我儘(わがまま)、下より出る叡慮のみ、いささかも朕の存意は貫徹せず、じつに取退けたき段、かねがね各々へ申し聞かせおり候ところ、去る十八日に至り、望み通りに忌むべき輩を取退け深く深く悦び入り候事に候。
官位を解くの事も、急速に取計らい候よう、過日より度々申し聞かせ候ところ、ようやく承知いたしくれ、喜悦の事に候。
重々不埒の国賊の三条はじめ取退け、じつに国家のための幸福。
このうえは朕の趣意の相立ち候事と深く悦び入り候事。
和州浮浪の一件も【注三】、容易ならざる事、右はどこまでも追討申しつけ候。
すみやかに下知これあり候よう、浮浪も真実の朕の意を相立て候わば、依頼にも存じ候えども、三条はじめ暴烈に随従し、じつに罰すべき者に候。早々追討のよう分けて存じ候。
長州父子は温純の人ながら、藩士の暴烈おびただしく、右は厳重に罰したきことに候。
各々精勤を頼み入り候。
これまで度々、暴烈を取退けたき段、各々へ申し聞かせ候えども、
一向応ぜず、深く朕の身に迫り難渋のところ、今日の姿に相成り、安心の事に候。
今度召し候諸藩の上着のうえは、朕の趣意貫徹を祈り入り、とかく末の見留なく暴烈にては、後患これあるべく、深く深く心配の事に候也。
 右大臣
 尹 宮
 前関白
[引用終了]


ご覧の通り孝明天皇は、公家の三条実美以下長州藩士やその周辺の浪人共を国賊扱いしています。
つまりこの後、明治の元老と云われるようになる連中を、孝明天皇は、幕末の時点で反日売国奴として認定し、切り捨ててます。中でも三条実美に対しては名指しで国賊としています。

もう一つ同じく『いがぐり史料館』京都守護職始末1から孝明天皇が島津久光(島津家は建前は孝明天皇の叡慮である公武合体推進派でした。なのでその建前を信じてしまっていた孝明天皇は島津家を信用していました。)に与えた叡慮ある宸翰も一部ご覧ください。これによっても孝明天皇が、三条実美以下暴徒らの事を激しく嫌っていた事がうかがえます。
二十九章 「御宸翰ならびに御製賜う」から一部引用(長いので一部引用。全文興味ある方は『いがぐり史料館』
http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/ でお読みください。


[引用開始] 
去る八月十八日、脱走の実美以下七人は、じつもって暴激、私情のみの人体、往来苦心し候ところ、すでに脱走後も種々の姦策をめぐらし、じつもって害の基に候えば、急度(きっと)厳重の処置に致したく存じ候。
これによって、まず帰洛致させ候上、厳重に後禍にならざるようの手段を内談じ依頼し候。
なにぶんこの姿にては、じつにせんかたよろしからずと内心心配し候。
なにぶん大胆の輩故、厳重になくてはいかがかと深く存じ候。
復職などの沙汰もこれあるやながら、決してなるまじく候間、猶、美策これまた頼み候事。
[引用終了]

ご覧の通りこれが天皇の叡慮です。


で、もう一つ、同じく『いがぐり史料館』http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/ 、今度は京都守護職始末2の 二章 「将軍家望外の恩遇」から文久四年一月二十七日、征夷大将軍徳川家茂が孝明天皇から下された宸翰を一部引用しますが、これも価値が高いので全文を是非『いがぐり史料館』でお読みください。


[引用開始]

あにはからんや、藤原(三条)実美等、鄙野の匹夫の妄説を信用し、宇内の形勢を察せず、国家の危殆を思わず、朕が命を矯(た)めて軽率に攘夷の令を布告し、みだりに討幕の師を興さんとし、長門宰相の暴臣のごときは、その主を愚弄し、故なきに夷舶を砲撃し、幕使を暗殺し【注三】、ひそかに実美らを本国に誘引す。かくのごとき狂暴の輩は、必ず罰せずんばあるべからず。

[引用終了]

以上、これが明治朝廷なる西南政府の馬鹿デカイ声によって心身ともに掻き消されてしまった聖上孝明天皇による本当の声なき声です。日本史上最悪の国賊と言ってもよいのが、この三条実美と、その周辺に生息していた猿に等しい輩共でしょう。

これら暴徒に暗殺された孝明天皇は、今、不幸にも平安神宮に祀られてます。京での最後の天皇と言う事で、平安京初の天皇である桓武天皇に付随された形でついでといった感じで祀られてます。しかも三条実美の子孫が、平安神宮の神主を勤めてるようですね。罰あたりにも程があります。
このままでは、日本国に神の御加護もあったものではないでしょう。明治以降の日本が常に反日売国奴の国賊共に支配され続ける起因の一つが、この事からも充分伺えます。
また三条実美は、明治政府の右大臣、太政大臣、内大臣、臨時に総理大臣等までをも歴任しました。大層なものです。


この三条実美の幕末当時の黒幕が誰かと言えば、武家七百年間を逆恨みし、武家日本を全否定して止むことのなかった久留米水天宮神官の老害真木和泉と、その手下の長州藩久坂玄瑞らです。これらが畏れ多くも天皇の言葉を偽り、偽勅を作り、日本を破壊する為の反日工作をしていました。これらは最終的に禁門の変で天皇に弓をひき日本を乗っ取ろうとする日本史上最悪の悪逆を起こすが失敗します。するとまるでその責任から逃れるかの如く自害します。
また、この三条実美の黒幕であるこの賊らを祀る為に創建されたのが、あの靖国神社です。…罰あたりにも程がある…。
この国賊神社が存在するかぎり孝明天皇はあの世で苦しみもがき続ける事であろう。その限り日本民族も孝明天皇と共に苦しみもがき続けては平穏が訪れる日は来ないであろう。
我々日本民族の心は、孝明天皇が西南人によって暗殺されたその日、孝明天皇と共に暗殺されたのである…。日本を覆い尽くす西南人による闇、この闇による反日売国国賊行為を綺麗さっぱりすっきりと取り除き排除しない限りは孝明天皇が成仏できる日は来ないであろう。

それにしても孝明天皇の素晴らしい先見性はどうであろうか。明治になるとこの国賊共は正体を現す。この賊らによって日本と朝鮮との同化をさせられてしまうと、日本民族の生命財産は好き勝手に奪われ、朝鮮半島等のインフラ作り、投資に利用されては、賊らの為の金儲けの道具とされてしまう運命となるとは…、挙げ句に更なる反日売国勢力を生産し続けられては、その勢力を日本の社会の隅々にばら撒きつくされてしまった、そして賊はそれらにマッチポンプ役(裏稼業や合法犯罪)を担わせると、恐怖で日本民族の心を縛り付け、永遠に日本人から生命財産をむしり取る為の仕組みを作り上げたときたもんだ。
孝明天皇の叡慮に従っていたらこんな事にはならなかったはずだが、残念ながら無残にも日本は国賊に乗っ取られてしまってる現状である。

日本民族よ!
そろそろ成り済まし体制である明治朝廷なる西南体制を打ち砕け!
そして孝明天皇の叡慮であった公武合体政策を速やかに実行し、日本民族による大同団結を貫徹し、日本に仇なし、日本民族の財産生命を略奪し続ける、この日鮮同祖体制を維持推進し続ける悪逆非道なる同和民族(西南人と朝鮮人)共を下関の海に叩き沈めるんだ!!


《同盟兄弟ぶろんぐ》


極右翼勢力


在特連


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