訃報:梶田達二 | アディクトリポート

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新エディタ最悪!
改行めちゃくちゃですみません。
今後しばらく使いませんので、ご了承ください。

このニュースより。






……情報量少なっ!

なので、ここから私の補足。

梶田氏と言えば、なんといってもウルトラシリーズのイラストで、『ウルトラQ』と『ウルトラマン』では、ショウワノートのスケッチブックやノートの表紙絵を皮切りに、

これも?


ウルトラQ』の怪獣と戦っている、ごく初期の梶田版ウルトラマンは、




おーい


Aタイプのゴム製でボコボコのマスクを、果たしてそのまま忠実に描いていいものかと、




あれも


体型やウェットスーツの皮膚感共々、そうとうに迷った様子が見て取れる。


同じ絵柄が、マルサンのソフビの台紙だとか、朝日ソノラマのレコードジャケットに使い回されたそうだ。



詳細は有名なヤマダマサミ氏の、このページ参照


梶田氏の、こってり不透明描法の画風が確立され、世間に定着したウルトラマンや怪獣との相性がしっくり来たのはしかし、1971年の『帰ってきたウルトラマン』だったと思う。


たいとる




以前からの流れで、ショウワノートの文房具の表紙絵を続投し、

第2期怪獣ブームに合わせて、初放映当時はいくぶんぎこちなかった、


ふぇす


↑「セブン」40周年の、ウルフェス2007で展示されたもの。



初代マンやセブンも描き直している。



ぴりみど


ぴりぴん


ぴりき


ぴりぴり


梶田氏は同時期の「帰ってきたウルトラマン」のプラモの箱絵も担当。



有名かつ出来が良く、何度も再版された名作、



1ごう


マルイのマットアローや


2ごう


マットジャイロの箱絵は、


じゃいろ


↑スケール表示が追加された、再版時の箱。




最初はメカと怪獣だけが描かれていて、後からウルトラマンが加筆された可能性が高い。


梶田氏はなんと、同じ時期にマルイと競合するブルマァクの、

1ごう


同一機種のプラモの箱絵まで手がけていた。


きょうじん


ブルマァクといえば、梶田氏は『ウルトラマン』で宇宙ビートル(ただし再販版)、


bitoru




『ウルトラセブンではマグマライザー等



ikeruze


の箱絵を手がけているが、



同社では、絵柄もタッチも似た、もう一人の名ウルトラ画家の、




pegassa


前村教綱(まえむら・のりつな)氏にも、多くのパッケージアートを手がけてもらっている。




子供の頃は、梶田氏と前村氏の絵の違いは、


とらんぷ


↑これってショウワノート製品なのに、梶田氏ではなく、前村氏のイラストなんだよね。(ですよね?) 発注の基準がわからん。


サインを見ないとわからなかった。


さいん


↑梶田達二氏のサイン


前村氏はブルマァクのソフビタグや台紙等で、タロウまで続投を確認したが、

taro


なぜか梶田氏が描いた、エースもタロウも、ほとんど見覚えがない。

梶田氏は、「帰ってきたウルトラマン」と同時期の「スペクトルマン」のショウワノート商品も手がけ、







へんこう

これがショボくてB級っぽかった番組本編よりも、極彩色の一流画風が際だって、めちゃめちゃカッコよく、帰りマンと比べても遜色なかった。




その他の梶田・前村両氏が手がけたノートやぬりえの表紙アートは、
こちらのページでご覧ください。





梶田氏はこの後、アオシマのプラモの箱絵の仕事が増え、



aporo


↑2010年の静岡模型ホビーショーでの展示では、サインがないので作者不詳とされてたけど、どう見ても梶田氏の画。



昭和ロマン館(現在休館中)の開館時(小松崎茂先生が存命中だったから、2001年より数年前)にお見かけした時には、洋上帆船などの油絵画家に転じていて、キャラクター画家は引退といったご様子だった。

はくぶつかん


↑となると、2003年のこの表紙絵が、梶田氏の手がけた、最後のウルトラマンの絵と言うことになる。





こういう画家は、もう出てこないと思います。





安らかに。