改行めちゃくちゃですみません。
今後しばらく使いませんので、ご了承ください。
このニュースより。
……情報量少なっ!
梶田氏の、こってり不透明描法の画風が確立され、世間に定着したウルトラマンや怪獣との相性がしっくり来たのはしかし、1971年の『帰ってきたウルトラマン』だったと思う。第2期怪獣ブームに合わせて、初放映当時はいくぶんぎこちなかった、梶田氏は同時期の「帰ってきたウルトラマン」のプラモの箱絵も担当。梶田氏はなんと、同じ時期にマルイと競合するブルマァクの、ブルマァクといえば、梶田氏は『ウルトラマン』で宇宙ビートル(ただし再販版)、なぜか梶田氏が描いた、エースもタロウも、ほとんど見覚えがない。
……情報量少なっ!
なので、ここから私の補足。
梶田氏と言えば、なんといってもウルトラシリーズのイラストで、『ウルトラQ』と『ウルトラマン』では、ショウワノートのスケッチブックやノートの表紙絵を皮切りに、
『ウルトラQ』の怪獣と戦っている、ごく初期の梶田版ウルトラマンは、
Aタイプのゴム製でボコボコのマスクを、果たしてそのまま忠実に描いていいものかと、
体型やウェットスーツの皮膚感共々、そうとうに迷った様子が見て取れる。
同じ絵柄が、マルサンのソフビの台紙だとか、朝日ソノラマのレコードジャケットに使い回されたそうだ。
以前からの流れで、ショウワノートの文房具の表紙絵を続投し、
梶田氏は、「帰ってきたウルトラマン」と同時期の「スペクトルマン」のショウワノート商品も手がけ、
その他の梶田・前村両氏が手がけたノートやぬりえの表紙アートは、こちらのページでご覧ください。
昭和ロマン館(現在休館中)の開館時(小松崎茂先生が存命中だったから、2001年より数年前)にお見かけした時には、洋上帆船などの油絵画家に転じていて、キャラクター画家は引退といったご様子だった。