遅ればせながら、4/28にようやく鑑賞。
ちなみに私は、テレビの「仮面ライダー」シリーズは、昔から流し見程度で、平成版も全く見ておらず、もっぱら劇場版を、それもところどころ抜かし気味で観てるんですが、ブログを調べてみたところ、どうやら2009年5月の
『劇場版 超・仮面ライダー電王&ディケイド NEOジェネレーションズ 鬼ヶ島の戦艦』と、
同年8月の
『劇場版 仮面ライダーディケイドオールライダー対大ショッカー』
以降は、本作まで観てないようです。
「どうやら~ようです」と書いたのは、後述するように何本か観てはいるんだろうけど、とにかく劇場版ライダーは、テレビで見ていることが前提のファンサービス篇ばかりなので、「何本あるねん!」な「電王もの」とか、観ててもさっぱり面白くなくて印象も薄く、記憶に残らず、ここでのレビューにも値しないから。
もちろん今回も、「電王」はタイトルどおり、
大きな要素を占めてはいるが、
まずはとりあえず、
↓「こいつ誰?」感は拭えず。
※記事作成のためにパンフを買ったら、今回で同じ役の4回目らしい。そのうち1回ぐらいは観てるはずなのに、この印象の薄さと、愛着の湧かなさは何?
だけど今回は、最近のライダーを知らなくても、「一応こういうことになってますよ」的な配慮が感じられるので、
途中まではアクビも出ずに、「今回はいいんじゃないの?」と思ってました。
だけどこの筋立てだと、最新ライダーの「オーズ」周りと、
21世紀版では人気ダントツの「電王」の顔ぶれと、
初代の1号・2号までは出番があっても、
それ以外のライダーには、出番のない展開。
あれえ、ヘンだなあ。
たしか「オールライダー」って、銘打ってなかったっけ?
と思っていたら、
唐突な精神論と共に、全員登場!
人手が足りずに、プロポーションの良いスーツアクターを揃えられず、
スカイライダーは下腹が出ていたし、
それらしきお膳立てが整えられておきながら、
仮面ライダーJが巨大化するシーンも無し。
ライダー以外の4人の石ノ森ヒーローの登場に、
「何の必然性もない」と怒りを表明してる人もいるみたいだが、
それを言ったら、そもそもV3から、
Wまでの歴代ライダーだって、
ストーリー上の必然は何もないんだしさ。
私がことさら頭に来ないのは、
「しょせんライダーなんて、そんなもんじゃん」という前提認識があるから。
理詰めじゃなくて、精神論とか根性論とか、正義と悪の位置づけだとかは、あくまでも建前で、
結局最後は、ヒーローショーとしてのカッコ良さだけが優先されるのが、仮面ライダーなんだから!
今回を目くじら立てるんなら、本作以前の「一見さんお断り」続きだった一連の作品群の方が、もっと始末が悪いよ。
ということで、震災の影響で、延期された公開日が6月11日に決定した、
より低年齢層に対象が絞られる、
スーパー戦隊ものの集大成映画
『ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦』も、
同じ意味で楽しみにしています。
つづく