正伝ルパン3世/黄金のルパン帝国〈その1〉 | アディクトリポート

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第一章 準備

空港に舞い降りた男

 1970年3月16日の月曜日。羽田空港の国際線の到着ロビーは、パリからの乗客でごったがえしていた。
 その乗客たちを、備え付けのベンチに座って新聞を読むふりをしながら、じっと観察し続ける三十代半ばの男がいた。
 黒っぽいスーツの上下に、頭にはやはり黒の山高帽を深々と前のめりにかぶっているため、その目は周囲に居合わせた他の人達からはのぞけない。もっとも男はつとめて自分の気配を消しているから、ようやく日本の地に降り立った国際線の乗客や、あるいはその出迎えに空港を訪れた人たちの中に、彼に注目する者などほとんどいなかった。
 身長178センチのその男は、当時の日本人男性としてはかなり背の高い方で、敏捷そうな細身の体が、その背の高さをさらに際だたせている。シャープな顎のラインを強調するように短く刈り込んだ顎髭(あごひげ)をはやし、頭髪は当時若者に流行り始めた、ちょうど後ろ髪が首の真ん中あたりまで伸びた長髪だ。
 細身の男はしかし、ロビーに続々となだれ込んで来る乗客たちの中に、自分が目当ての人物をなかなか捜し当てられない様子で、わずかとはいえ焦りの色を見せ始め、新聞をせわしなくめくるペースがいたずらに上がり始めた。
 すると彼の前に、ちょうど同じぐらいか、かろうじて1センチばかり背が高い、同じく痩せ形のもう一人の男が立って、丁寧な口調でこう話しかけてきた。
「すみません、火を貸していただけますか?」
 誰かから話しかけられるなどとは思いもよらなかった黒ずくめの男は、一瞬戸惑った様子だった。目の前の男に対応している間に、自分が会うことになっている肝心の到着客を見逃したくないといった雰囲気がありありだが、同時に、なんだそれぐらいのことかと安心したようでもあるらしく、戸惑いながらもこう応じた。
「あ……ああ、かまいませんよ。どうぞどうぞ」
 黒ずくめの男はそう言ってライターに火を点け、相手の口元にかざすと、あらためて男の出で立ちを確認し、安堵したようにこう言った。
「なんでえ、お前(めえ)か、ルパン!」
 黒服の男に見抜かれ、ルパンと名指しされた方の男性は、半ば呆れたようにこう言い放った。
「次元、目印のつもりで、こうやっていつもの格好で来てやったってぇのに、まるで気づいてくれねえってのは、どういうこったい?」
 若干抗議めいたセリフだが、その顔はニタついていて、本気で腹を立てているのではないとわかる。彼が自分で目印だと宣言した服装は、黒のワイシャツに黄金色のネクタイ、ジャケットは青緑色で、上着とコーディネートされた濃紺のスラックスともども細身の体に良くフィットしており、その体つきは胴長短足が多い日本人風ではなく、顔の小ささと相まって、いかにもの西欧人風だ。
 ところがなぜか、その顔つきだけは思い切り日本人で、肌の色も黒服の相方、今しがた次元と呼ばれた男と変わらぬ、黄色人種のそれだった。
 ルパンからこう問いかけられた次元が、あわてて言い訳する。
「いや……だって、まさか日本人に変装してくるなんて、思っちゃいないからさ。到着してくる客の顔ばっかり眺めてたし、フランス人の顔だけを追っかけてたから、格好の方になんか、まるで目がいかなかったんだよ」
 ルパンは次元の失態を気にも留めない様子で、とりあえずの礼を述べた。
「ま、とにかくわざわざお迎え、ご苦労ご苦労」
 ところがこれを聞いた次元の方は、急に不機嫌そうな口調と態度になった。
「フン、気安く言ってくれやがる。まったく……ご苦労もヘッタクレもねえもんだ」
 ルパンは次元の不機嫌な様子が、どうにも解せないらしい。
「おや、ゴキゲンナナメかい? いつもクールな、次元大介(じげんだいすけ)様らしくないじゃないか」
 2人は話しながら、空港脇の駐車場へと歩き出した。ルパンのスーツケースをカートに載せて自分のクルマへと向かう次元が、いかにも当然といった口調で言い放つ。
「あったりめえだろ! お前さん、カリオストロ公国のニセ札事件の一件以来、プイッと行方をくらませたと思ったら、そのまま何の音沙汰もないまま、かれこれ2年も経っちまった。オレはもう、お前はくたばったのかと思ったぜ!」
 ルパンは相変わらずの薄笑いのまま、これに応じる。
「いや悪い悪い、それは心配かけちまったな。こっちはこっちで、いろいろバタバタしてたんだ。で、それがお前さんの不機嫌の理由ってわけかい?」
「それだけじゃねえよ。そういう2年の後で、今度はいきなり日本に立ち寄るぞなんて、気安く連絡してきやがったじゃねえか」
 こう切り返されたルパンは質問を重ねてくる。「ほぅ、それのいったいどこが気に入らないんだい? くだばったのかもって心配してた俺が、元気だってわかったって言うのに」
 次元は説明するのも腹が立つといった雰囲気だ。
「俺がとっくに日本に舞い戻って、こうしてしっかりお前さんをお出迎えするって見込まれてんのが、なんだかシャクに障るんだよ。お前さんとの連絡が途絶えないように、前に伝えておいた住所だとか電話番号をそのまま残しておいた自分の律儀さにまで、なんだか腹が立ってくる」
「ふうん、そいつは悪うござんしたぁ」
 不機嫌な次元大介と、悪びれないルパン3世というちぐはぐな二人組は、ほどなく駐車場に行き着いた。そこで次元の指し示すクルマを見た途端に、ルパンは思わずこんな声を上げた。
「なんだ、まだこいつに乗ってんのかい? もう少し大(おっ)きいクルマでお出迎えしてくれると思ったぜ」
 ルパンが〈こいつ〉と言い放った次元の愛車は、チンクチェントと言う愛称で呼ばれる、イタリア製のフィアット500Rという小型車だった。
 先ほど次元が口にしたカリオストロ公国での一件でも、二人はこのフィアットで幾多の危機を乗り越えていたのだが、とはいえたしかにこのイタリア車のサイズは、一般に外車と言えばアメ車を連想し、図体がデカイに決まっていると思いこんでいた当時の日本人の感覚からすれば、予想外の小ささだった。
 大の大人が2人乗り込めば、それだけで前方座席は一杯で、けっこうな大荷物のルパンのケースやバッグを、たたでさえ狭い後部座席にどうにか押し込むと、もはやギュウギュウ詰めと言った感じだった。
 次元は車に乗り込みながら、自分がどうして未だにこの小型車に乗り続けているのかを、ルパンに向かって説き始めた。
「けっ! ぜいたくいうもんじゃねえよ。いいかルパン、これから町に出りゃわかっけどな、日本じゃまだまだクルマなんて少ねえし、世間はクルマのことに詳しくねえ人たちが大半なんだ。だからこのフィアット500なら、国産車のスバル360って軽自動車と間違われて目立たねえから、俺たちみたいなドロボー稼業には、もってこいって寸法なのさ」
 こうして2人を乗せたフィアット500は、空港の駐車場を出て都心に向かう高速道路に乗った。
 車内ではルパンがシガーライターでジタンというフランス銘柄のタバコに火を点け、大きく煙を吐き出しながら、まだこのクルマの狭さに文句を言っている。
「だけどもっと景気よく、豪勢なクルマでパーッと行きてえもんだな。せっかく世界を股にかける大泥棒、名高きアルセーヌ・ルパンの孫のオレ様、ルパン3世の、めでたい来日記念なんだしさ」
 次元は相変わらずのルパンの身勝手な言動に、不機嫌な様子を崩さない。ついでに何かしら思い出した別件まであるようだ。
「何抜かしてやがる! 来日記念っていやあほら、パリにあったお前の、世界中の乗物のコレクションだっけか……。あの博物館も顔負けで、ムダにかさばる自動車だとかボートだとか飛行機だとかのガラクタ一切合切を、いさぎよく処分して身軽になる、これが良い機会ってことにもなるんじゃねえのか?」
 ところがこれに対するルパンの返答は、全く次元の予期せぬものだった。
「ほほっ、だぁれも処分するなんて言ってねえぜ。それにあれはガラクタなんかじゃねえ、俺の大事な大事なお宝さ。日本にいる間も、ちゃあんと手元においておくことに決めたよ」
 次元は心底驚いて思わず大声を上げ、ハンドルを握る手が小刻みに震え出した。
「……えっ! ななな……なんだって?」
 ルパンは悪びれる様子もなく、平然とこう言ってのけた。
「そういうこと。今ぜぇんぶまとめて、船でこっちに向かってるとこさ」
 次元はいかにもあきれ果てたと言った口調で、ようやくこう返した。
「おいおい、輸送費だけで、いったいいくらかかると思ってるんだい? この小さなフィアット1台だって、ヨーロッパから持ってくんのに、けっこう高くついたっていうのに! お前さん、どうしてよりによって、そんなムダなことを……」
 ルパンはこれを遮って持論の展開を続ける。
「ムダなもんか。到着した中から、俺が一番気に入ってるベンツSSKに乗り換えりゃあ、お前だって、こんなチンクチェントに無理矢理体を押し込んで、窮屈(きゅうくつ)な思いなんかしなくって済むようになるんだぜ。速さだって段違い。1920年代に市販されたのに、無改造で最高時速192キロも出せるクルマなんざあ、めったにあるもんじゃない」
 しかし次元は、この話にはまるで乗ってこない。
「いや、俺は遠慮しとくよ。だいたいベンツSSKって言ったら、あのヒトラーの愛車じゃないか」
 ルパンはたちまち情報の修正にかかる。
「そいつはちょっとばかし違うんだな。あっちは同じベンツでも特注の特注で、770ってやつさ。当時のダイムラーベンツはヒトラーの要求に応えて、社運を賭けてグローサーメルセデス770Kを完成させた。グローサーってのは、ドイツ語で特大って意味だ。そんでもってその770Kは、ヒトラー自身の愛車になっただけじゃなく、当時三国同盟を結んでた日本の昭和天皇だとか、国家元首の東條英機(とうじょうひでき)たちに、併せて4台がプレゼントされたんだぜ」
「だから何だよ。特注だろうが市販車だろうが、基本は同じベンツなんだろ。縁起が悪いことには変わりがねえや」
 ルパンは相手を憐れむような口調に変わった。
「次元、お前はわかっちゃいないなあ。俺は独裁者でもなけりゃ、国家元首や皇帝様でもなくて、いわば庶民の代表だ。だからこそ、わざわざ政府要人のために設計された豪勢なリムジンで4人乗りの770じゃなくて、オープンで気楽に乗りこなせる、2シーターのSSKに乗ってるんだよ」
ルパンのクルマに関する蘊蓄(うんちく)には、次第に脂がのってきた。「もっとも40年以上前のクルマそっくりそのままじゃ能がないから、エンジンだけはフェラーリの……おっと、日本ではたしかフェラリーって呼んでるんだっけか……とにかくそのV 型12気筒に載せ替えて、最高出力500馬力、最高時速300キロ以上っていうモンスターマシンに改造しちゃあいるけどな」
 ところがここまで聞いて、次元が出し抜けにこう切り替えしてきた。
「フンッ! だからお前さんはバカだって言うんだよ」
「はぁ? 今の完璧な説明のどこらへんが、バカなんだよ」と、納得いかない口調のルパン。これに対して次元はたしなめるような口調で切り返す。
「いいかルパン、ここは日本なんだぜ」
「いまさら何をわかりきったことを言ってるんだよ。それぐらいわかりすぎるぐらいわかってるさ」
「いや、わかっちゃいねえさ。あのな、日本ってえのはな、ヨーロッパと違って、とにかく雨がジャンジャンドカドカ降るんだよ。幌(ほろ)も付けてないオープンカーじゃ、走れない日が年の1/3ぐらいあるんだぜ」
「だったら追加で幌をつけりゃいいだけのことだろ。それだけで俺をバカ呼ばわりすんのかい?」
「それだけじゃねえよ。さっきお前、このチンクと比べて、ベンツの方がゆったりできるって言ったよな?」
「ああ、だから?」
「このチンクなら小さくても4人乗り。だからお前さんの大荷物だって、後ろにどうにか詰め込めた。だけど2人乗りのベンツじゃあ、満足に荷物だって積めねえだろうってえの!」
 ルパンは何か反論しかけたが、旅行者の自分が大荷物を抱えている今日に限っては、次元の言い分の方がもっともだと悟って、この件での言い合いはさっさと撤回することに決めたらしい。それでも言い訳がましく、たくみに論点をずらしてこう続けた。
「とにかく、ヒトラーの愛車770だったらナチス第三帝国の象徴だけど、俺の車SSKは、言ってみりゃ我が偉大なる庶民代表、ルパン帝国を象徴するってことになるんだしな」
 クルマは北池袋で高速を下りて、板橋区の一般市道に入り始めた。運転手をつとめる次元は、ルパンが論点ずらしに持ち出してきたもっともらしい理屈にも、さらさらつきあう気は持ち合わせていないようだ。
「ほらまた、お前さんの大ボラ話が始まった」
 心外そうにルパンが応じる。「ホラ話? ウソなんてついちゃいねえぜ」
 次元は少し間をおいてから、ざっくばらんに打ち明けるような口調でこう言った。「なあルパン、俺とコンビを組んで、いったい何年になると思ってるんだよ」
「さあ……何年だっけ?」
「またそうやってとぼける! とにかくお前さんと一番長いつきあいの俺でさえ、かのルパン帝国とやらの実態を、さっきのガラクタ博物館以外には、一度だって見せてもらったことがない。どうせそんなもん単なるハッタリで、ホントは影も形もありゃしないんだろ?」
 ルパンはいかにも、自分よりも相棒の思慮が足りないかのように、まるで諭すような口ぶりになってこう答えた。
「次元、たしかにお前さんは、俺の相棒としちゃあ一番長いつきあいだし、腕は買ってる。それにさっきのベンツの一件でもわかるが、簡単に言いくるめられたりしないところも、逆の意味で頼もしい限りだしな」そうおだてながらルパンは、運転中の相方の表情をちらりと見取り、まんざらでもなさそうな様子を察して、すかさずこう続けた。「だけどそれだけで、どうして俺の全てを知ってるってことになるんだい? 俺にはいくつも顔があるんだぜ。ルパン帝国って言ったら、かの名高き……」
 次元はもうこれ以上、ルパンの並べるご託を聴き続ける気がないことを示すため、ここで勢いよく相手の言葉を遮った。
「ああ、わかったわかった。その話はもういいったら!」