『ハンディキャップヒーローズ』武田想土・著
プロローグ
ヒーロー不在の時代
21世紀も早くも最初の10年を終えつつあるが、世の中は20世紀と、どれほど変わっただろうか。
まだ新世紀が遠い未来だった30~40年前には、とっくに解決されているだろうと楽観視されていた環境問題や医療問題、国際紛争なども依然としてしぶとく居座り、しかも事態はかえって深刻になっている。
現代人はだから、現代や未来に対して、漠然たる不安や言いようのない恐怖を抱くことはあっても、反対に明るい展望や希望を抱けなくなってしまっている。
いつの世にも社会不安があり、そうした民衆の不安に応える形で、その時代ごとのヒーローが存在した。
さっそうと登場し、絶体絶命の危機を救って、社会不安を一挙に解決してくれるヒーローを人々は待ち望み、その姿に自分たちの夢や希望を重ね合わせてきた。
ところが21世紀には、まだこの時代がみずから純粋に生み出した、いわば自前のヒーローというものが存在せず、現役で活躍しているのはことごとく、前世紀の遺物とも言うべき過去のヒーローの焼き直しばかりだ。
さしずめヒーローのカンブリア爆発とでもいうべき、新しいキャラクターが続々と生まれた1960年代後半から70年代の後期。もしもその頃の少年が、タイムマシンにでも乗って現代をかいま見たとしたら、社会の進歩に目を見張るよりも、きっといたく失望するに違いない。
なぜなら現代には新しいヒーローは不在で、ウルトラマンだとか仮面ライダーだとかドラえもんだとか、あるいはもっと以前から存在したゲゲゲの鬼太郎などが、スタイルが多少洗練されこそすれ、依然としてヒーローの座に君臨し続けている、いわゆる二次創作ばかりが氾濫しているからだ。
新しいヒーローキャラクターで最成功の部類に入るのは、日本ならば『新世紀エヴァンゲリオン』であり、海外では『ハリー・ポッター』だろうが、エヴァのテレビ初放映は1995年、ハリポタ第一巻のイギリスでの刊行は1997年であり、両方とも純然たる21世紀のキャラクターとは呼べない。
では、新しいヒーローが生まれにくくなってしまったのは、なぜだろう。
現在は情報が瞬時に伝わり、その内容は受け手が誰であろうと同じものだから、作品の送り出し側となるクリエーターと、受け手となる消費者の立場や条件にも、こと情報に関する限り、さしたる隔たりや差異がない。
その弊害だろうか、誰もが批評家気取りで作品をこき下ろし、容赦なく矛盾点にツッコミを入れるのが当たり前になってしまった一方で、あえてそうした批判やツッコミを覚悟で、送り出し側の方に名乗りを上げる勇ましい作家が見あたらなくなってしまった。
これに加えて、先に述べたように、あらゆるヒーローのパターンがすでに出尽くしてしまっていることもあって、とにかく新しいヒーローは、昨今おいそれとは誕生しにくくなってしまっている。
こうした状況をものともせずに、あえてヒーローが誕生するならば、当然21世紀にふさわしい存在、20世紀とは趣を異とするスタイルになるはずである。
もしもヒーローが実在したら、彼らに解決して欲しい問題というのもまた、時代によって異なっているし、国や地域によってもまたしかりであろう。つまり21世紀のヒーローは、21世紀につきものの問題を、登場した国の国情に応じて、真っ先に解決してくれるはずである。
これからあなたが読むのは、現代の日本に誕生した新しいヒーローの物語だが、その冒頭は、今からおよそ30年前のある事件にまでさかのぼる。