先日(9/9)、たまたまテレビをつけたら、「相棒」の再放送をやっていた。
だけど、またこの回ですか!
荻野目慶子が推理作家のエピソード。
私が「相棒」の再放送に出くわすと、必ずこれ!
Season6の
![$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-相棒6](https://stat.ameba.jp/user_images/20090910/14/addicto/52/bd/j/t02200322_0300043910250666890.jpg?caw=800)
第3話 「蟷螂(とうろう)たちの幸福」か、
Season 1で
![$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-相棒1](https://stat.ameba.jp/user_images/20090910/14/addicto/92/57/j/t02200312_0353050010250668206.jpg?caw=800)
山本圭が大学教授役の第2話「教授夫人とその愛人」
のどっちかなんですよ。
昔からこういうことがよくあって、
NHKの少年ドラマシリーズの「タイム・トラベラー」も、
↓これはサントラCD
![$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-CD](https://stat.ameba.jp/user_images/20090910/14/addicto/be/da/j/t02200220_0240024010250671013.jpg?caw=800)
見るたびに必ず、最終回の、それも半分以上進んだ後の、もはやエンディング近く。
「やまとなでしこ」(押尾の逮捕で、しばらく再放送できないね)だったら、
![$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-なでしこ](https://stat.ameba.jp/user_images/20090910/14/addicto/32/07/j/t02200162_0313023010250673169.jpg?caw=800)
ボロアパートからカメレオン(のブリキのおもちゃ)を堤真一が「救出」するエピソードばっかりなんだよね。
映画でも、同じ映画ばっかり何度も観る一方で、名作と呼ばれているものをたくさん見逃している。
黒澤明も大してみてないし、『用心棒』や『椿三十郎』をここ2~3年ほどでようやく観ても、
![オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-????](https://stat.ameba.jp/user_images/20090911/00/addicto/77/d2/j/t02200099_0800036110251058001.jpg?caw=800)
![オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-?](https://stat.ameba.jp/user_images/20090911/00/addicto/b4/73/j/t02200160_0350025410251051607.jpg?caw=800)
「そんなにいいかなあ?」という気がする。
そんなこんなで、ある時期を境に、観てない映画を追いかけることをやめた。
誤解のないように言っておくと、趣味として「未見の映画つぶし」をコツコツやっている映画マニアは、その行為自体に意味があるんで、それはそれでかまわないけど、私の場合はそういう行為に意味がないと言うこと。
「すれ違う」映画、「縁のない」映画は、自分には素通りする運命だし、反対に「縁がある映画」は、上に挙げたテレビドラマの特定のエピソードのように、必要な時に、くりかえし自分の前に突きつけられて、観ないではいられなくなる。
自分にとってのそういう「運命の映画」は、「アラビアのロレンス」(1962)なんだと思う。
![$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ロレンス](https://stat.ameba.jp/user_images/20090910/14/addicto/e6/1d/j/t02200101_0500023010250686287.jpg?caw=800)
なぜか人生の転機に、これを観る。
最初は日テレの水曜ロードショーで、高校生の時で、しょうじき良さがわからなかった。
![オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-??](https://stat.ameba.jp/user_images/20090911/00/addicto/f9/f5/j/t02200151_0370025410251058000.jpg?caw=800)
評論家の意見で、「(両端をカットした四角い画面の)テレビで観てはいけない映画」というのがあった。
次がビデオ・LD全盛の1988年に、デビッド・リーン監督が一部を復元した「完全版」が登場して、あらためて再見。
![オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-?????](https://stat.ameba.jp/user_images/20090911/00/addicto/dc/c9/j/t02200203_0390035910251057998.jpg?caw=800)
ワイド比率、ノートリはこれが初めて。
なるほど。子供には、こりゃわからんわな。
ロレンスの栄光と挫折は、自分なりに何かしらの成功や挫折を味わった人でないと、ピンと来ないと思う。
後で実在のロレンスもちょっと調べてわかったのは、彼は学生時代からアラビアとかアラブオタクで、教授(映画ではクロード・レインズの演ずるドライデンという架空のキャラ)も一目置く存在だった。
そしたら第一次大戦になって、イギリスは、「どうする? アラブも取っとくか、一応」ってことになった。オスマントルコの占領から抜け出すって名目で遊牧民達を戦わせ、英軍が武力で支援する。
だけどイギリス人にはあんまり興味がない土地だったので(石油の価値に気づくのはもっと後)、アラブの専門家もいない。
で、大学教授に相談したら、「おあつらえ向きのがいますよ!」ってことで、ロレンスが推薦された。
他の兵隊にとって、アラビア送りは左遷同然なのに、ロレンスだけは違ってた。
水を得た魚のように、ロレンスは張り切った。
彼の考えた作戦は型破りで、英軍の誰にも思いつかないどころか、アラブ遊牧民でさえ、そんなのムリだと思うものだった。
だけど、誰もやらなかっただけで、やってみたらできちゃった!
↓侵攻されるアカバの町は、海岸近くに建設されたセットです!
![$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-???](https://stat.ameba.jp/user_images/20090911/00/addicto/3c/ea/j/t02200124_0320018010251045738.jpg?caw=800)
こうしてロレンスは次第に神がかって、どんどん極端な人間になっていき、彼に心酔していたアラブの仲間も次第に離れていく。
失意のどん底にあるロレンスは、食わせ物のアレンビー将軍(ジャック・ホーキンス)に、「天啓を授かったものは少ない」とまんまと乗せられ、湯水のように無駄金使って、またもや極端な戦いを展開するが、それで手に入れたダマスカスの支配権は、遊牧民には猫に小判。
結局サイクス=ピコ条約という、イギリスとフランスの役人の取り決めで、イギリスはアラブから手を引くことに。
つまりロレンスが夢中で必死で取り組んできたことには、なあーんの意味もなかったわけ。
天啓がどうたらこうたらってのも、終わってみれば方便でしかなかった。
だけどこういう紛争だとか戦争においてのみ、生き生き輝ける人っていうのもたしかにいて、第二次大戦でその代表はパットンだったんだと思う。
![$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-????](https://stat.ameba.jp/user_images/20090910/23/addicto/a1/d5/j/t02200240_0377041110251039982.jpg?caw=800)
こういう人たちは、終戦後は居場所がなくなっちゃうの。
ロレンスは映画の冒頭でオートバイ事故で亡くなるが、
![オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-??????](https://stat.ameba.jp/user_images/20090911/00/addicto/bc/25/j/t02200097_0677030010251051604.jpg?caw=800)
![オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-????](https://stat.ameba.jp/user_images/20090911/00/addicto/af/53/j/t02200097_0677030010251051606.jpg?caw=800)
「本当の彼」(=彼自身の本質)は、とうの昔に亡くなっていたわけ。
で、それのどこが自分と重なるかというと、
1988年当時は、別のことで胸に迫る映画だったけど、
↓個人的に思い出の駅……
![$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-????](https://stat.ameba.jp/user_images/20090911/00/addicto/44/7b/j/t02200165_0640048010251063628.jpg?caw=800)
この映画をなぞらえるような、その後の10年間を過ごすことになった。
1992年に、埼玉の公立中学校の美術教員をやめ、
↓この競馬場の近くです。
![オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-??](https://stat.ameba.jp/user_images/20090911/00/addicto/d0/88/j/t02200122_0432024010251075010.jpg?caw=800)
同じ年の11月には千葉県私立高校の英語講師をしながら、
↓当時は男子校だった。
![オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-??](https://stat.ameba.jp/user_images/20090911/00/addicto/ad/85/j/t02200131_0360021510251075011.jpg?caw=800)
最初の翻訳書を世に出した。
カルトQのSF映画の回で、優勝だってした。
イベント番宣の手伝いなんかも、ちょっとだけやった。
![$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-??](https://stat.ameba.jp/user_images/20090911/01/addicto/90/f4/j/t02200290_0464061210251097064.jpg?caw=800)
で、いつのまにかSWの専門家になって、それをやるのは、あんたが当然といった雰囲気になる。
だけど〈特別篇〉(1997)あたりから、自分にとってのサイクス=ピコ条約=ルーカスフィルムの社内綱領も変わり、日本でも「今の人たちが仕切る体制」から、次第に全てのプロジェクトから遠ざけられるようになる。
『アラビアのロレンス』の最後は、引き揚げが決まって、ジープにゆられているロレンスが、ラクダに乗った隊商と出くわすシーンで終わる。
彼は思わず身を乗り出す。もしかして、このラクダに乗っている中に、アラビアの冒険の数々を共にした仲間がいるのではないかと。
しかし当然、そんなに都合の良い偶然があるわけがない。
このシーンがわかるには、(SWに限らずとも)同じような体験が必要なんだと思う。
別件で似たようなことがあったので、「ああ、こういうシーンなんだ」と合点がいった。
それから数年余、まだ自分はバイク事故にも遭わず、かといって本当の自分がとうに死んでいて、抜け殻だけが生きながらえているという実感もない。
人の作品に寄生したり依存するのはやめて、自分の作品を生み出すことに決めながら、世間はそんなの知ったこっちゃないから、まるでまともに扱われず、「いないこと」にされてしまっている。
ではあるが、光明のきざしかなと思ったのは、今年の初めに、この前閉館した新宿タカシマヤの(元来がIMAX感だった名残の)最大級のスクリーンで、つまり本当の大画面で、はじめて、ようやく、この『アラビアのロレンス』を観たことだった。
あらためてわかった、自分はいかにこの映画をわかっていなかったのか、ということを!
観るたびに印象が異なったり、新たな発見ができる映画は少ない。
そういう映画って、「これはどこどこの引用」だとか、「これはアレが元ネタ」っていう次元で語ったり分析しても意味がない孤高の存在で、それはつまり、もしもパクリ禁止令が発令されたとしても、オリジナルで作品を生み出すことが、難なくできる人によって生み出されているのだと思う。
クリエイティビティについては、また時折書きます。
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