アラビアのロレンス/クリエイティビティ(1) | アディクトリポート

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あれ? またか!
先日(9/9)、たまたまテレビをつけたら、「相棒」の再放送をやっていた。
だけど、またこの回ですか!
荻野目慶子が推理作家のエピソード。
私が「相棒」の再放送に出くわすと、必ずこれ!
Season6の
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-相棒6
第3話 「蟷螂(とうろう)たちの幸福」か、
Season 1で
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-相棒1
山本圭が大学教授役の第2話「教授夫人とその愛人」
のどっちかなんですよ。

昔からこういうことがよくあって、
NHKの少年ドラマシリーズの「タイム・トラベラー」も、
↓これはサントラCD
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-CD
見るたびに必ず、最終回の、それも半分以上進んだ後の、もはやエンディング近く。

「やまとなでしこ」(押尾の逮捕で、しばらく再放送できないね)だったら、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-なでしこ
ボロアパートからカメレオン(のブリキのおもちゃ)を堤真一が「救出」するエピソードばっかりなんだよね。

映画でも、同じ映画ばっかり何度も観る一方で、名作と呼ばれているものをたくさん見逃している。
黒澤明も大してみてないし、『用心棒』や『椿三十郎』をここ2~3年ほどでようやく観ても、
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-????
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-?
「そんなにいいかなあ?」という気がする。

そんなこんなで、ある時期を境に、観てない映画を追いかけることをやめた。

誤解のないように言っておくと、趣味として「未見の映画つぶし」をコツコツやっている映画マニアは、その行為自体に意味があるんで、それはそれでかまわないけど、私の場合はそういう行為に意味がないと言うこと。

「すれ違う」映画、「縁のない」映画は、自分には素通りする運命だし、反対に「縁がある映画」は、上に挙げたテレビドラマの特定のエピソードのように、必要な時に、くりかえし自分の前に突きつけられて、観ないではいられなくなる。

自分にとってのそういう「運命の映画」は、「アラビアのロレンス」(1962)なんだと思う。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ロレンス

なぜか人生の転機に、これを観る。

最初は日テレの水曜ロードショーで、高校生の時で、しょうじき良さがわからなかった。
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-??
評論家の意見で、「(両端をカットした四角い画面の)テレビで観てはいけない映画」というのがあった。

次がビデオ・LD全盛の1988年に、デビッド・リーン監督が一部を復元した「完全版」が登場して、あらためて再見。
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-?????
ワイド比率、ノートリはこれが初めて。

なるほど。子供には、こりゃわからんわな。
ロレンスの栄光と挫折は、自分なりに何かしらの成功や挫折を味わった人でないと、ピンと来ないと思う。

後で実在のロレンスもちょっと調べてわかったのは、彼は学生時代からアラビアとかアラブオタクで、教授(映画ではクロード・レインズの演ずるドライデンという架空のキャラ)も一目置く存在だった。

そしたら第一次大戦になって、イギリスは、「どうする? アラブも取っとくか、一応」ってことになった。オスマントルコの占領から抜け出すって名目で遊牧民達を戦わせ、英軍が武力で支援する。
だけどイギリス人にはあんまり興味がない土地だったので(石油の価値に気づくのはもっと後)、アラブの専門家もいない。
で、大学教授に相談したら、「おあつらえ向きのがいますよ!」ってことで、ロレンスが推薦された。

他の兵隊にとって、アラビア送りは左遷同然なのに、ロレンスだけは違ってた。
水を得た魚のように、ロレンスは張り切った。
彼の考えた作戦は型破りで、英軍の誰にも思いつかないどころか、アラブ遊牧民でさえ、そんなのムリだと思うものだった。
だけど、誰もやらなかっただけで、やってみたらできちゃった!
↓侵攻されるアカバの町は、海岸近くに建設されたセットです!
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-???

こうしてロレンスは次第に神がかって、どんどん極端な人間になっていき、彼に心酔していたアラブの仲間も次第に離れていく。

失意のどん底にあるロレンスは、食わせ物のアレンビー将軍(ジャック・ホーキンス)に、「天啓を授かったものは少ない」とまんまと乗せられ、湯水のように無駄金使って、またもや極端な戦いを展開するが、それで手に入れたダマスカスの支配権は、遊牧民には猫に小判。

結局サイクス=ピコ条約という、イギリスとフランスの役人の取り決めで、イギリスはアラブから手を引くことに。
つまりロレンスが夢中で必死で取り組んできたことには、なあーんの意味もなかったわけ。
天啓がどうたらこうたらってのも、終わってみれば方便でしかなかった。

だけどこういう紛争だとか戦争においてのみ、生き生き輝ける人っていうのもたしかにいて、第二次大戦でその代表はパットンだったんだと思う。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-????
こういう人たちは、終戦後は居場所がなくなっちゃうの。

ロレンスは映画の冒頭でオートバイ事故で亡くなるが、
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-??????
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-????
「本当の彼」(=彼自身の本質)は、とうの昔に亡くなっていたわけ。

で、それのどこが自分と重なるかというと、
1988年当時は、別のことで胸に迫る映画だったけど、
↓個人的に思い出の駅……
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-????

この映画をなぞらえるような、その後の10年間を過ごすことになった。

1992年に、埼玉の公立中学校の美術教員をやめ、
↓この競馬場の近くです。
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-??
同じ年の11月には千葉県私立高校の英語講師をしながら、
↓当時は男子校だった。
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-??
最初の翻訳書を世に出した。


カルトQのSF映画の回で、優勝だってした。

イベント番宣の手伝いなんかも、ちょっとだけやった。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-??

で、いつのまにかSWの専門家になって、それをやるのは、あんたが当然といった雰囲気になる。
だけど〈特別篇〉(1997)あたりから、自分にとってのサイクス=ピコ条約=ルーカスフィルムの社内綱領も変わり、日本でも「今の人たちが仕切る体制」から、次第に全てのプロジェクトから遠ざけられるようになる。

『アラビアのロレンス』の最後は、引き揚げが決まって、ジープにゆられているロレンスが、ラクダに乗った隊商と出くわすシーンで終わる。
彼は思わず身を乗り出す。もしかして、このラクダに乗っている中に、アラビアの冒険の数々を共にした仲間がいるのではないかと。
しかし当然、そんなに都合の良い偶然があるわけがない。

このシーンがわかるには、(SWに限らずとも)同じような体験が必要なんだと思う。
別件で似たようなことがあったので、「ああ、こういうシーンなんだ」と合点がいった。

それから数年余、まだ自分はバイク事故にも遭わず、かといって本当の自分がとうに死んでいて、抜け殻だけが生きながらえているという実感もない。

人の作品に寄生したり依存するのはやめて、自分の作品を生み出すことに決めながら、世間はそんなの知ったこっちゃないから、まるでまともに扱われず、「いないこと」にされてしまっている。

ではあるが、光明のきざしかなと思ったのは、今年の初めに、この前閉館した新宿タカシマヤの(元来がIMAX感だった名残の)最大級のスクリーンで、つまり本当の大画面で、はじめて、ようやく、この『アラビアのロレンス』を観たことだった。

あらためてわかった、自分はいかにこの映画をわかっていなかったのか、ということを!

観るたびに印象が異なったり、新たな発見ができる映画は少ない。
そういう映画って、「これはどこどこの引用」だとか、「これはアレが元ネタ」っていう次元で語ったり分析しても意味がない孤高の存在で、それはつまり、もしもパクリ禁止令が発令されたとしても、オリジナルで作品を生み出すことが、難なくできる人によって生み出されているのだと思う。

クリエイティビティについては、また時折書きます。

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