引っ越しという名の踏み絵 | アディクトリポート

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さて、3回にもわたって、しつこくギャラクティカ訴訟について述べてきたが、途中から話題が逸れて、
そもそもどうしてジョン・ダイクストラがILMから離脱したかが、不明なままになっている。

それを書かないと尻切れトンボだし、SDKさんからもご示唆いただいたので、今回はそれについて。

もともとルーカスは、SWには自社の特撮工房が必要と判断。
超えるべき当面の目標が『2001年宇宙の旅』(1968)だったので、その特撮担当だったダグラス・トランブルに声をかけたが、スケジュールが合わないと断られ、かわり?にダイクストラを紹介される。

↓トランブルは自分の監督した『サイレント・ランニング』(1972)で、ダイクストラと組んだことがあった。
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-トランブル

ダイクストラはルーカスの要望を実現するため、モーションコントロールカメラ(ダイクストラフレックス)を開発、
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-フレックス

合成は35ミリフイルムの面積を2倍使えるビスタビジョンを、パラマウント社でスクラップ同然の状態から再利用する等々、アイデア満載でがんばった。

↓パラマウントお家芸のビスタビジョン(ヴィスタヴィジョン=くどい!)は通常4穴(パーフォ)使って縦に送る35ミリフィルムを、8穴使って横に送ることで大画面と画質向上を両立させた。何度も重ね焼きする合成画面作りに最適で、ILMのオプティカルプリンターに改造された。
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ビスタ


一番中核のメンバーも、ダイクストラの以前からの仕事仲間、ディック・アレキサンダーだとか、グラント・マッキューン、ロビー・バララック、つまり今ではほとんど聞かない名前ばかりだった。

とはいえ、大半が一から機材を開発しなくちゃならないんで、出来上がるまでには時間がかかり、完成までは1カットも撮影できないことになる。

だからILMが最初に撮影したのは、脱出ポッドの射出シーンで、ベルベット地の布を敷いたマットに、塗料用の紙バケツを外型にしたポッドの模型をポトンと落とし、それを上から撮影するという、なんともローテクなシーンだった。

オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ポッド

ルーカスは設備が整えば特撮ショットも順調に数が揃うなどとは楽観できず、イギリスでの本編撮影から戻ってきて、あまりの完成ショットの少なさにショック、心痛からの心臓発作で病院に担ぎ込まれた。

週ごとの上がりのチェックでも、大半のショットにダメだし。
クルーはこのチェック日を「魔の月曜」と呼んだ。

退院後のルーカスは、とてもダイクストラに任せきれずに、ILMの指揮を自分で執ることにした。

この時期にトップ連中ではなく、その下の職人気質のデニス・ミューレンとは、気心が知れている。
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ミューレン

当時のルーカスの拠点(自宅)は、サンフランシスコ北にあるマリン郡サンアンセルモ。
ILMはロス郊外のヴァンナイズ。
飛行機で1時間ぐらいだから、東京と北海道ぐらい離れてる。
不便を感じないわけがない。

で、SWの成功後も、ILMはヴァンナイズにそのまま。
これがロス郊外にあるユニバーサル、つまり今はテーマパークのユニバーサルスタジオのスパイ侵入を許した。

それに、映画興行以外の営業をあつかうスター・ウォーズ・コーポレーションの事務所は、同じロスでもフォックスにはなくて、なんとユニバーサル社の敷地内にあった。

↓カーミット・ブライス・エラーという巨漢が、1作目の撮影用ベイダーコスチュームをプロモーションに着て回る発端も、ユ社敷地内のスター・ウォーズ・コーポレーション(背景のれんが作りの建物)での出来事。
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ベイダー

ルーカス本人の生活は成功後でもつつましやかな一方で、ロスにいる関連会社の社員の豪遊ぶりには、目に余るものがあり、高級外車を乗り回す有様。

これではロスに会社を置くメリットよりも、デメリットの方が多すぎる。

というわけで、ルーカスは自社関連の施設の一切をサンフランシスコ近辺に移転することを決め、『帝国』以降もルーカスと一緒に仕事をするつもりなら、ロスから引っ越すことが第一条件となった。

いわば踏み絵であり、あくまでもILMのボスは、ルーカスであることを示すものだった。

ダイクストラを軸に集まった創立時のメンバーにとってしかし、ILMの主任はダイクストラ、拠点は倉庫を改造したここ、ヴァンナイズに決まってる。

ということで、ルーカスを慕って(ルーカスに従って)サンフランシスコに引っ越す移転組と、ダイクストラにしたがってロスにとどまる居残り組に別れることになった。

↓マクォーリーの描いた、引っ越しのお知らせハガキ
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-引っ越し


居残り組みは施設と社名をアポジーに改称。
劇場映画は1992年の That Night まで。
その後解散した。

で、ルーカスと袂を分かった人達が、ことごとくビジネス的に失敗や破綻したため、ますますルーカスの一人勝ち傾向が強まり、「ルーカスは正しく、それ以外は間違っている」という図式が定着してしまった。

時は過ぎ、2002年。
ようやくジョン・ダイクストラが、ルーカスに勝利する時がやってきた。

まずは、同年、同時期(5月公開)の
『スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-クローン
より、ダイクストラの手がけた
『スパイダーマン』の方が、1.5倍ほどの興行収入を稼ぎ、その年のナンバーワンヒットに!
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-スマイディ

また2004年には、『フォレスト・ガンプ』(1994)以来、オスカーから遠ざかり続けているILMを尻目に、『スパイダーマン2』で、ダイクストラが久々のアカデミー特別視覚効果賞に返り咲いた。
オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-スパイディ2