我が家には、今年もう一つの卒業がありました。

前話でも触れた、次女さんです。

 

 

636gという、うそみたいに極小で出生してきた女の子。

強度弱視と狭い視野で盲学校かもと言われていたけれど、幸いに0.05度の弱視で、2歳から特殊コンタクトをつけて必死で頑張ってきました(本ブログの636gの卒業生

 

身体もとても小さく、背を少しでも伸ばすために、長年成長ホルモンの注射をして、やっと148cmになりましたが、何せ、飛んでくるものは見えないので、体育は難しいし、自転車は乗れないし、色々制限の多い生活です。

 

当然、体育が低評価で、今の高校受験は内申点システム。

このシステムでは、どんなに頑張っても高みは目指せない、矛盾を感じます。

 

診療所で見ている患者さんにも、体に不自由があって、手足が自由に使えない女性、下肢の麻痺や筋肉の病気で車椅子でないと生活できない男性達など、どんなに頑張っても、体育がネックとなって、希望の学校へ行けないシステム。個人の劣っていることが制限にならない様にと、ユニバーサルデザイン、ボーダーレスなどが注目されている現代になっても、やっぱり我慢するしかないのか…。

ハンディよりもその個人の最も得意なところが、一番に評価される世の中になって欲しいと思います。

 

次女さんは、そんな体のハンディとともに、未熟児さんに多い、コミュニケーションの独特さ、集中力の維持が苦手、いろんなことを計画的に、まんべんなくそつなく行動するのが苦手なADHDなど、発達に偏りもあり、なかなかユニークさんです。

 

同様の経過の多くの子ども達と同様、

 

・集中力が続かない(ADHD薬の内服が不可欠)

・毎日のルーティンがなかなかできない(習慣の定着しにくさ)

・自己体験的な理解が難しい(親に言われて、従うだけ)

・適当な答え(何回騙されたか!)

・結果、何度言っても同じ失敗を繰り返す(いい加減にして欲しい)

・時間配分が苦手(間に合わない、時間切れ)

・力の配分も苦手(得意なことは過集中、マニアックに食らいつく、それ以外には、興味なし)

・出来る事と、出来ない事に差が大きい(どっちが本当なの?)

・爪噛みなどチック症状が全くなくならない(………)

 

などなど、多くの「やりにくさ」がありました。

 

多くのお母様はこれらをネガティブに捉えがち、この毎日の「とってもルーズに見える」子の言動に、まさに「鶏冠に来る」日々で、フラストレーションが爆発して相談に来られます。

 

何を隠そう、日々分かった様に患者さんやその家族に悟りを得たかの様にアドバイスをしている当の小生も、

やっぱり毎日の様に感情的になって叱ってしまいましたけど。

 

それでも、ADHDの薬のおかげもあり、年齢とともに随分かなりやりやすくなったし、さすがに高校生くらいになると自分でもかっこ悪くなるんでしょうね、少々自覚もでき、変化してきました。周囲との関係も程よく上手く付き合える様になり、ある意味シビアな女子校ライフを、マイペースで過ごせた様です。

 

前述のブログ「636gの卒業生」にエールを送った様に、次女なりに「自分らしく生きて行って欲しい」

そう願う私たち両親の期待通りに「マニアック」に進んでいましたね。

 

女子特有の、群れをなすことも好まず、一時は人間関係大丈夫か?仲間はずれになってないか?

などの心配は全くの稀有に終わりました。

 

時の流行りには左右されず、自分が興味あるものにしか力を発揮できない特性も、歴史、特に幕末や刀剣に関するマニアックに掘り下げることに「プラス」に作用して、限定項目的には大人が驚くほどの博士ちゃんでした。古文書に興味があり、高校の古い図書館から、おそらく誰も手に取ったことのない書籍を借り出してきて、図書館のおじさんと仲良くなり「良いのが入ったよ」とまるで常連さんかの様に声をかけてもらい、家ではこんな本を買って欲しいというので見ると「吾妻鏡」だったり、古文書の辞典だったり、学校の勉強そっちのけの凝りようで、やっぱりこの子は、オーソドックには生きるのは勿体ない、卒業後も「マニアックな道に」進んで欲しいなと改めて思いましたこれも予想通り、数学は興味なしで欠点ラインを1点クリアーで「ガッツポーズ」、私立文系コースを堂々と選択、歴史と古文が半端なくとんがっていて、まさに「凸凹」さん。

 

 

趣味でも、かつてKポップ好き高じて、ハングルを独学で学び文章読め、将来はソウル大学へ留学したいとまで言っていたのが、今度は幕末〜刀剣高じて、刀剣ファンから刀剣乱舞ミュージカルにハマると、DVD見まくりと、ハマると異常なくらい深く掘り下げる過集中さん。(おかげで、父も刀剣乱舞に精通!)

 

(刀剣博物館 倉敷)

 

ADHDの特性を持つ子ども達の親が皆心配する、「将来、やっていけるのだろうか?」という心配も、考えようによっては、その子の「いいところをどんどん大事に伸ばし、苦手なことはギリギリでもいいので何とかクリアーして」作戦でいけば、特定の分野で、とっても大きな力を発揮する可能性があるのです。親は、「オーソドックに」「全ての勉強を満遍なく」「少しでもいい学校に」などと現実的に考えるので、この様な偏りのある我が子を冷静に受け止められないのです。

 

そもそも、人には得意不得意があるし、自分達大人でも好き嫌いに合わせて都合よく、したりしなかったりスル訳ですから、子供に「満遍なく頑張る」を余り強要し過ぎない、子供の得意なものを生かして生きる事を認めてあげられる、そんな教育スタイルが通用する社会になって欲しいものです。

 

次女は、周囲、学校、親などが思う様な世間一般の基準はお構いなし、自分のやりたいことを一生やりたいとの思いが益々募り、自ら探してきて、歴史に特化した奈良にある大学を選んできました。

これまで自分で決めることができず、あらゆることに人の助けを待っているADHD児の特性ばかりの彼女が「初めて自分で選んだ」決定でした。オープンキャンパスと模擬授業に父も参加し、実生活には直接役に立つ分野ではないが、マニアックに事象を追求し、学問をしていく面白い分野でした。

推薦での面接でも、親でもがびっくりするくらい堂々と(マニアックに)受け答えできる姿を見て、この子達も、力を生かす形はあるんだと、多くのADHD児のお母さん達に説いてきた考え方が間違ってないなと、納得しました。

 

 

人には、出来ることと出来ないことがあります。

出来ない事はほどほどに、出来ることを突き詰める、これも選択の形です。

 

奈良の大学は、変わらず世の進学基準の中心に居座る、「偏差値」で言えば、そんなにメジャーじゃないし、選ぶ学生も多くないですが、やってることを見ると、何とマニアックな内容ばかりで、娘もやっぱり自分で選んで「文化財保存学科」入学を掴み取りました。

 

形ではない、ネームバリューでもない、親の見栄でも(勿論)ない、

本人がやりたい、本人が得意なものを色々な所から選べる、

選びやすく、そして入口が厳し過ぎない、

そんな多様でセレクタブルな社会であって欲しいですね。

 

次女は、これまで、家で家族に甘えて生活し、正直何もしてこなかった(親がさせてこなかった?、反省)ので、

到底一人暮らし出来るとは思えない実績でしたが、

 

・いずれどこかで独り立ちしないといけない、

・自分で決められないまま大人になるのは絶対よくない、

・そのためには、いろいろ失敗をしないといけない、

・自分で本当に困って何とか乗り切る経験が必要、

・自分の力で達成を経験しないといけない、

 

両親で話し合い、思い切って遠く離れた地へ放り出すことに決めました。

祖父母達は、「そんなん無理や」「何で女の子にそこまでするの」と、案の定の反応。

化石の様な古典的な発想と、いつまでも子ども扱いですね。

 

「何かあっても何とかなる」「やらせて見ないと分からん」と、外野の意見に逆らって、押し出すことになりました。

 

正直、最初はいろいろ失敗たくさんするでしょう、なくし物も多いでしょう。

火事や事故や事件だけはないよう、IHコンロ、駅近、静かな住宅地、

これらだけは確保して(この時点で既に手伝ってる!!!)応援することにしました。

 

典型的な不注意型ADHDの子どもを突き放したら、どうやってサバイバルしていくのか、一つのモデルテストとして

観察してみようと思います。(診療の中で、笑い話として報告できればいいのですが…)

 

 エピソード1の長女の話は、不登校の復活の事例、

 エピソード2の次女の話は、発達に偏りのある児童の進路の事例、

 

多分、これらは、実体験として、父の診療の幅を広げてくれています。

本当に、心配させてくれて「ありがとう」でも、正直「もうこれ以上心配かけずに、ちゃんとしてね!」

 

親にとっても、特殊な進路の選択は勇気がいりますよね。

でも、子どものためには、大人の発想の転換も必要です。

ずっと我が子の「いい所」を中心に見ていきたいものですね。

 

次女さんは、これからは、歴史ばかり、特に幕末、侍、刀剣、古文書など、好きな分野を好きなだけ勉強できると、

目を輝かせて、とうとう奈良へ向かいました。

もっとも、それを見送る父は、一度に盛岡と奈良へと2人の娘が旅立ち、涙で目を潤ませます。

 

これって、時間と共にもっとボディブローの様に効いてくるだろうなあ。

 

娘さん達はと言えば、まああっけらかんとしていて、それぞれ早く新しい地で生活したいらしく、

ラインをくれました

 

「父さん、いつまでも、ピーピー泣いとったらあかんで」だって!?

 

「どの口が言うとんや」!!

 

傷心の父は、仕方なく、診療で多くの可愛い「他人の」子供達と触れ合うことで気持ちを和ませながら、

これからも頑張ろうと思います(ぐすん)

 

M.A.