この発表には、第5回コンサルアカデミー 優秀賞での提言
「テロへの抜本的対策」: 【「小さな会議」と言う新しい社会制度】
が含まれます。(2015年1月31日 埼玉総研主催
 
Award of Excellence by 5th Consulting Academy at Saitama Research Institute  
 


勝抜き熟議選挙
詳しくは、以下をご参照ください。

 
2.このプレゼンテーション - A winning strategy for the world
 「【カイゼン】と【ケンゼン】の「熟議」で変わる!」は、埼玉総研において、コンサルアカデミー優秀賞を取った発表の一部です。
 
3.これは、カイゼンとケンゼンの両概念です。Kaizenと英語で検索エンジンに入れますと、世界で2億件の文書にヒットします。そのことが示しているように、Kaizenは、世界中で高い評価を得ており、組織だけでなく、個人へのカウンセリング、医療などにも適用する哲学となっています。
 
組織経営でKaizenを適用しますと、お金を生みます。しかし、金への過度な欲望が「良い社会」や「幸せな人々」を生むと言う本来の私たちの活動目的を破壊する場合があります。そのため、Kenzenという概念で、常に「その行動や決定は、組織や社会をKenzenにしますか?」と問うことが必要になります。
 
4.これらは、コンサルティングで良好な結果が出た事例ですが、いづれもKaizen とKenzen、日本的な経営哲学を活用しています。日本的な経営哲学とは、「長期的な視点」で「人を大切に」し「雇用を維持し発展する」ということです。
 
5.良い概念をイメージで示すことは、非常に大切で、このスライドは、Kaizenという哲学を示しています。横軸は、時間軸というだけでなく、組織を平面的にとらえ、全員が協力することでポジティブな連鎖反応が起こり、組織全体の成果が上がる可能性を示します。
 
6.これは、「人基準」と「仕事基準」の比較です。「人基準」と「仕事基準」は、反対の概念ではなく、「仕事基準」に「人基準」の要素も入っています。なぜなら、人材の採用・育成や営業には、人をよく見ること、人間関係が必要であり、それにより、顧客にとっての仕事の価値(つまり、「仕事基準」での結果)を出すことができるからです。
 
「人基準」とは、年齢、性別、地位、学歴、出身など「人の属性」という変えられない要素に注目する思考方法で、「坊主、憎けりゃ、袈裟まで憎い」は、「人基準」で、その人に関するすべてを良しとか、ダメとする考え方です。この考え方ですと、抜本的な問題解決ができません。
 
顧客という概念が弱い旧ソ連など、共産主義的なところでは、従業員が怪我をすると、「あの人は、ダメだ。」という結論にして、抜本的な解決策をとらない傾向があります。
 
「仕事基準」は、顧客にとっての「仕事の価値」に重点をおく思考方法で、「罪を憎んで人を憎まず。」は、仕事の失策は課題とするが、担当者を憎むわけではない。

その意味では、「仕事基準」は「愛の経営」です。「仕事基準」の良いところは、問題が起こる度に、抜本的な解決策がとれることです。

7.「仕事基準」の考え方で監査法人の問題事例を議論します。
左下に企業がありますが、企業が作成する財務諸表は、過去のものです。終わった不正を訂正するのは、簡単ではありません。

監査法人は、監査業務の中で問題を容認することで、顧客を維持したいという互恵取引への誘惑が常にあります。エンロンのような問題を「人基準」で評価しますと、「あの監査法人が悪い。」となりますが、仕事基準で議論すれば、顧客と監査法人の間に、中間組織を入れ、そこが監査法人を雇用すると言う形へのカイゼンが提案できます。

現状のままでは、日本だけでなく世界中で、問題が繰り返されます。
 
8.「仕事基準」であれば、5Whys が可能で、根本問題を解決することができます。
5Whys とは、「なぜ」を五回繰り返すことで根本原因を特定する方法です。
 
これは、運転手が、現場で怪我をした場合ですが、"Why did it happen?" どうしてそんなことが?と聞かれて "Because he was in a hurry." 慌てててね。

次のWhy?, で、"Because the site manager was angry." 現場主任が怒っててね。再び、Why?と聞かれて  "Because the blocks were not delivered・・" 昨日、ブロックが運搬されなかったんだ。

また、Why not?  で「どうして、そんなことが。」、"Because the delivery schedule sheet had a mistake." 予定表に間違えがあったんだ。

そして、最後の Why? で、Project Managerから運輸課への情報がきちんとチェックされていなかったことが原因だ、となります。このように「仕事基準」の考え方を持っておれば、運転手の怪我を運転手だけの勢にせず、組織全体の経営改善、効率向上につなげるのです。
 
9.これは、「大きな会議」と「小さな会議」の比較です。
「大きな会議」には、大企業の役員会、多数の専門家が参加する政府の戦略会議、TV討論、デモ行進、選挙制度などがあります。TV討論では、出演者は数人ですが、視聴者を入れると、「大きな会議」と同じ性質を持っています。

「大きな会議」は、仮に一時間に20人が出ておれば、一人が話せる時間は、2~3分だけになり、殆ど質問もできません。また、政治家が出演するTV討論では、互いに自分の主張ばかりの印象で、視聴者には質問の機会がなく、空しい感覚が残ります。
 
「表現の自由」を掲げて、多数でデモ行進をして「テロ反対」と叫んでも、それだけで抜本的な問題解決はできません。長い歴史、複雑な背景のある問題を解決するには、異なった意見の人々が集まり、「小さな会議」で「熟議」をする以外にないのです。
 
現在、世界で標準的な選挙制度もそうですが、「分からない点を質問できない」、「自分も主張できない」という状態が続くと、互いに誤解や憎悪が蓄積し、過激派が育つ遠因となります。
 
一方、「小さな会議」は、一対一の対話、家族の対話、数名の会議などとなりますが、意見が違っても、その場を共有し、質問もできるので、同意できなくとも、学びがあります。

大切なことは、人は、知識や経験、立場が違えば、感じ方も意見も異なってくることを、皆が理解することです。
 
私たち皆が、認識すべきことは、「大きな会議」があったとしても、全人口の中での参加割合は、意外に少ないこと。また、「大きな会議」に出たとしても、時間制限のために、事実上、個々人にとっては「表現の自由」がないことです。
 
10.これは、「小さな会議」と「大きな会議」の両者があって初めて、問題解決できることを示すスライドです。

「互いに学ぶことのないデモ行進や「表現の自由」のない【大きな会議】だけではなく、熟議のできる【小さな会議】が必要」です。

つまり、異なった知識・経験を持つ小さな個々人の意見に耳を傾け、互いに学ぶための「社会制度」が、先進国・開発途上国に係らず、世界には新たに必要だと思います。
 
11.世界では、民族・部族間衝突、テロ、戦争、圧政、飢饉、貧困などの問題が絶えません。開発途上の国々には、日本を初め、多くの先進諸国が援助を継続していますが、なぜだろうか、と考えたことがあるでしょうか。先進諸国でも経済危機、差別、格差の拡大・貧困、教育の機会の不平等、医療など、政治的課題は、山積しているように見えます。
 
そこで、「良い政治」を「豊かで強い経済と、楽しい文化的生活を約束するもの」と定義します。私は、多くの先進諸国や開発途上国のケースを見て、長期的に政治経済が良くなるためには、ただ、一つ条件がそろっておれば良いと考えるようになりました。

それは、【優れたリーダー】がおり、「リーダーシップ」と「統治機構」が働くということです。
 
優れたリーダーは、正しい戦略を立案して、戦略を効率よく実施します。
 
戦略実施では、「産業やセクターへの選択と集中」がありますから、中には、勉強し直すとか、補助金を失うような人々も出ます。つまり、環境の変化に適応すべく新しい戦略が実施されると、必ず、国民は、困難に耐え、努力する必要があります。

国家経済をカイゼンする場合、超大国でも、小さな国、シンガポールやアイルランドなどでも同じように、長期に10年以上かかってやっとより強い経済を手にするようになります。
 
どこの国にもリーダーとして卓越した人材がおります。

彼ら優れたリーダーこそが、国家や地域経済における長所を活用できるのです。

しかし、優れたリーダーも長期に同じポジションで仕事をしていると、周囲で「人基準」性が高まります。それは、リーダーの人間性の問題ではなく、権力者を中心にグルーピングする人の本質、不可避で非可逆的なものです。

そのため、国家や地域が、優れたリーダーを維持するためには、定期的に「適切な選挙」が、必要となります。
 
ここで言う「適切な選挙」とは、多額をかけ派手なお祭りのような選挙でも、投票率が高い選挙でもなく、「優れたリーダーが選ばれる選挙」です。
 
12. 世界の選挙について「仕事基準」で議論してみます。
現在の選挙の仕組みの基礎は、一世紀以上も前に欧米諸国が開発し、世界中で実施されるようになったものですが、現在、その性質は、「大きな会議」だけです。しかし、選挙制度が開始された頃は、有力な男子だけとか、限られた有権者だけでしたから、各地域で「小さな会議」があることも前提であったと考えられます。
 
ところが、現在、有権者の殆どは、個人的に立候補者の「人となり」を知らず、一方的なメッセージとメディア情報を得ているだけです。大半のものは議論もなく、ただ名前を投票用紙に記入します。つまり、「選挙」=「投票」行為だけとなっています。

日本では、国政選挙でも5、6割、地方自治体で4、5割の有権者しか投票しないのは、有権者にとって政治参加した気がする制度ではないからではないでしょうか。
 
手の暖かさと政治家としての力量は、無関係だと思いますが、立候補者は、握手の数で競争とか・・。

チラシでメッセージを伝えますが、立候補者が、「私は、教師の出身なので、教育を・・」などと動機を語ったりします。しかし、政治家は、一職業だけの代表であってはならず、医療・福祉、経済産業、外交、安全など、全課題をカバーし、バランスある見識が必要です。

つまり、マニフェストやチラシ情報だけでは、政治家を選ぶに、全く不十分なのです。
 
投票率を上げるべきと言いますが、投票所で立候補者の主張、業績、履歴を再確認する仕組みも、有権者の意見を託する制度もなく、一票の影響が小さいので、皆が「社会的手抜き」をしています。

2010年、日本では政治家の数に対して、立候補者数が、1.2倍、150以上の市町村で立候補者全員が当選しました。多くの首長選挙で選挙が成立しなかったのです。

法律家は、一票の格差(選挙権の格差)を裁判にかけていますが、立候補の機会における格差、「被選挙権の格差」が遥かに大きな問題です。

立候補者が少ないため、家業政治家が増えます。
 
私が、国際機関の奨学金制度で、日本への外国人留学生を選抜する制度を考えた時、千倍を目標にしましたが、高い倍率で選ぶと、来日後、大学や大学院でも優秀で手がかからないのです。経営者は、事務員を採用するにも最低3人程度は、候補者が欲しいと思うわけですが、政治家は1.2倍しかないのです。
 
途上国、先進国に限らず、不適切なリーダーの場合、非効率な行政、腐敗、プロパガンダによる内紛・戦争、危機・災害への不適切な対応、国家経済の破綻もあり得、とにかく国民は、不幸になります。
 
適切なアドバイスを取り入れるにも、最低限の見識と理解力が、リーダーには、必要です。
 
日本に限らず、特に国政選挙では、合法的に応援ができる大組織をバックに有権者に見えないところで「互恵取引」があり政治が暗くなります。メディアの影響で言えば、TVは、視聴率、新聞雑誌は、部数を目標にするため、候補者が、政治と無関係な問題でつぶされることもあります。

テロを受けたフランスの風刺漫画雑誌(シャルリー・エブド)も、私の常識からは、異教徒・異民族に対し侮蔑的だと思われますが、売上部数が百倍以上となり、経済的成功を収めています。(彼らは、売上部数の維持・増加のため、センセーショナルな内容にします。)
 
私が、福島原発の事故で非常に落胆したのは、大事故になった原因が、不適切な仕様のため外部電力の喪失とか、冷却ポンプの高さとか、中学校までの理科・数学の学力に加えて、発電設備の運転や、リスクマネジメントについて若干の実務経験があれば、完全に防げたものばかりだったということです。
(緊急時運転訓練もしていなかったため、冷却水の循環バルブが、閉じていることにも気が付きませんでした。これは、プラント運転では、初歩中の初歩、小学校低学年レベルの見落としです。)
 
本質的には、政府との原子力損害賠償補償契約(電力会社の賠償責任:1千億円の上限)に問題があったと思いますが、おそらく過去数十年の間に何百人という政治家が関与し、多数が現場見学もしてきたと思いますが、安全確保の面からは政治家は無意味な存在だったのです。
 
2014年8月、兵庫県で県会議員の不祥事が発覚しましたが、あれほどニュースになっても、有権者の誰が選んだのか分からず、支持者に反省の声もないのですから、今後も愚かな事件が繰り返されます。
 
メディアは、「人基準」で「問題議員だ。」とセンセーショナルに情報を流し、視聴率を稼いで終わりです。(報道が仕事ですから。)

つまり、政治制度は、硬直しており、カイゼンのために必須のPDCA(Plan, Do, Check, Act)が回らない制度なのです。
 
選挙で有権者の意見は聞いてもらえず、有権者から地方政治家へ、地方政治家から中央へと、国全体でボトムアップで情報の流れのない慣習です。原発事故対策予算では、後から、「なぜ、あんなに効率の悪い予算が回ってきたのか・・無駄が多くて・・。」という現場からの文句でしたが、国家全体で、有権者から提案、ボトムアップのない仕組みだからです。
 
民度も教育レベルも高い日本の有権者は、現在の選挙制度では、動機付けされないのです。
 
選挙期間中、有権者にとり、企業の戦略計画の立案のようにボトムアップの機会がないため、有権者間でコミュニティが形成されません。選挙制度が欧米などで確立したころは、限られた社会上層の有権者同士の選挙だったと思われますが、今は、産業技術の高度化の中、ばらばらの有権者が、個々に将来に漠然とした不安を覚えるばかりです。
 
日本の経済を強くするには、グローバルな優良大企業のようにボトムアップとトップダウンを組み合わせるのが、唯一の方策です。

各地域の工夫と知恵を生かせる形での仕組み”Japan Inc. 再び”が必要です。
 
13.これは、シンガポールの国家戦略の変遷を示すスライドです。
1965年独立当初は、農業、漁業、若干の商業、他に、まあ、麻薬貿易という状態でした。失業率も高く国民は、手持無沙汰でしたから、労働集約型産業として軽工業の繊維産業を始めて、雇用を創出したのです。経済成長が出てきてから、大投資の必要な製造業に向かいましたが、この分野は、現在ではハイテク製造業になっています。

やがて、観光で東南アジア一位を目指しましたが、これは、現在のシンガポール航空とか世界で最大級のハブ空港になっています。

90年代に入ると、世界の金融センターとなるべく、世界中から金融機関を呼び込み、その後、アジア一の巨大な国際会議場・国際展示場を建設しました。

90年代後半から高付加価値の高度医療に手を入れ始め、その後は、さらに学術研究都市をめざすようになっています。
 
シンガポールは、政治体制は一党独裁と言われてきましたが、リーダーが、何をすべきかを知っていたため、国民一人あたり収入でも、現在は、英国や日本をも抜いています。

かつて、西ヨーロッパで一番貧乏国であったアイルランドでも同様に英国や日本を超えています。

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黙々と実務において、質の良い立派な仕事をしている人たちの中から、私たちは、社会のリーダーを選ぶべきです。
 
演説がうまいだけ。選挙がうまいだけの人を選ぶことでは、日本の社会だけでなく、世界の将来を担えるリーダーを選ぶことにはならないのではないでしょうか。
 
1.この発表には、現在、世界中で増加している「テロへの抜本的な対策としての新しい社会制度【小さな会議】」の提言が含まれます。
 
"Change the world by Kaizen & Kenzen!"