先週は、私のテーマである地域経済振興についての戦略研究と言うことで、島根県の出雲に出張し、出雲大社を含め日御碕灯台や島根県立古代出雲歴史博物館の見学もした。
同行してくれたのは、JHK-IPと言う東京に本部を置く、3名の専門家である。
彼らは、30年以上もの経験をもつ観光ホテル経営についての専門家であるが、ハワイなどの国際的な観光地でのホテル経営をしてきているので、今回は、国際的なレベルからも非常に有用なアドバイスをしてくれている。
また、現地では、出雲市役所の観光交流課の職員の方々が、実に丁寧に説明をしてくれた。(この場をお借りして、深く御礼申し上げます。)
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現地では、2泊だけの短い出張ではあったが、あちらで考えたことがある。
キリスト教やイスラム教などの一神教が、世界で強くなってから、もう何世紀が経過したのだろうか。
私が、世界のあちこちで仕事をしてきて気になるのは、一神教は、どうも他の宗教とその信者を認めないと言う狭量な考えに、陥りがちではないかと言うことだ。
多くの神々が登場するギリシャ神話も、実は、宗教であったと言う説を読んだことがある。一神教の人々から見ると、ギリシャ神話は、単に子供に聞かせる昔話なのだろう。
逆にギリシャ神話に示される多神教を宗教と認めずに、単なる神話にしてしまったのは、一神教の人々の明確な意思によるものだという説もあるようだ。
そう言えば、一神教の考え方からすると、神道も仏教もメッセージがはっきりしない。
新道にしても、そもそも神が多すぎて、その話から何を学べば良いのだろうと言うことになるし、仏教は、絶対神を存在させず、信者自ら、精神修養をせよとかで、短期間で結果を求めようとする現代人には、何かまどろっこしい。
狂信性があったりする新興の宗派はともかく、伝統的な仏教も神道も、現在の教えでは、それに従わなければ、死後救われないとか、今に不幸がやって来るという恐怖感を与えることもないのだから、迫力がないとも言えよう。(だからこそ、逆に人々の幸福を静かに願う伝統的で寛容な宗教の意義を私は、強く感じるのであるが・・。)
少しかじったところによると、世界の宗教は多神教が、圧倒的に多く、8割を占めていると言う。
多神教が、古代の無力で不安な人間が抱き始めた信仰の始まりの原型ではないか。
ヨーロッパでも昔話には、多くの妖精が登場する。巨大な熊や狼が生息する深く黒いヨーロッパの森は、見るだけでもいかにも恐ろしく、やさしい妖精達にもいて欲しいような気にさせるのである。
島根県の出雲では、10月になると、日本全国から神々が集合して会議を開催するのだそうだ。
10月のことを、あちらでは、神無月(カンナヅキ)でなく、神在月(カミアリヅキ)と言うが、どれほどの現代日本人がその意味を考えたことがあるだろうか。
朝鮮半島と近く、出雲の神様「ヤツカミヅオミヅヌノミコト」の国引きによって誕生したとされる「島根半島」。
そして、海に突出していながらも、入江があり港に適した地形は、大陸からの文化導入と外国人との交易に使用され、当時としては盛んな経済活動が行われたのではないかと考えるのは、極く自然のことに思える。
ましてや、16世紀から20世紀前半にかけて操業されていた島根県の石見銀山は、スペインが、世界を股にかけていた17世紀前半においては、銀の産出量が、年間約1万貫(約38t)と推定され、世界の産出銀の約3分の1を占めていたといわれる。
当時世界で最も強大であったスペインは、植民地のメキシコから銀を得て、国際通貨として利用して国際交易をしていたのであるが、島根県の石見地方は、その産出量よりも多い銀を世界市場に提供していたのである。
まして、日本は、金産出量に至っては、当時、断トツの世界一であったと言うから、Japan as No. 1と言う有名な本がなくとも、経済規模:NO.1の当時の日本の存在を大きく支えていたことになる。(ただし、日本と言う概念を当時の日本人が、持っていたかどうかと言うのも事実だろうが。)
その意味で、島根県地方は、比較的に狭い面積であったとしても、日本で最初に開発され発展した地域の一つであることに、間違いはないだろう。
平成12年4月、出雲大社で、巨大な柱根が発見された。平安時代末(12世紀ごろ)のもので、3本組で直径3mもある。
平成13年9月には、さらにその周辺で、心御柱と側柱が発見された。柱の周辺からは巨大な鉄釘やかすがい、帯状の鉄板も出土。天高くそびえる空中巨大神殿が現実のものとなった。
私も今回、島根県立古代出雲歴史博物館で大林組が、研究発表した模型を見せてもらった。
平安時代の書物「口遊」には、日本一の高層建築物だと書かれていると言う。
言い伝えでは、実際に約48mの神殿だった可能性があるのだ。これは、なんと近隣にある日御碕灯台(日本一の灯塔の高さを誇る石造灯台)の高さ:43.65mを超えるものなのである。
ちなみに、現在の本殿は国宝で、高さは約24m。やはり、神社の中では郡を抜いて、日本一だと言う。
昔の日本の発見とともに、我国の歴史文化を示す大らかな多神教の世界が、世界中で認められるようになれば、良いと思う。
宗教の世界と経済の世界を混同してはいけないと叱られそうであるが、グローバル経済の中で重要な役割を演じている規制としては、独占禁止法がある。
これは、一つの巨大企業だけが、市場を支配するようになると、弊害が大きく、消費者が長期には損失を被るために、市場の支配力を分散させ、公正な競争を担保することを目的とした規制である。
宗教の自由を認めることは、現代の多くの国々の法律によって、一般的であるが、国全体としてみると、複数の宗教、即ち、複数の神の存在を認めようということに他ならない。
また、忘れてならないのは、どのような宗教にも、大なり小なり経済的側面があるということだ。京都や奈良では、その歴史的建造物の多くが宗教に関連するものであり、世界中から多くの観光客も集まり、それ故に、莫大な観光収入が地域経済にもたらされる。
以前、私は、西アフリカで日本のオーディオ機器がよく売れている理由を調査したところ、殆どキリスト教会が購入していることが分かって驚いたことがある。
元々陽気なアフリカの人々が、日曜日毎に、教会に集まる。そして、教会は、精神を高揚させる説教と高い音楽効果で、できるだけ多額の寄付を集めるのである。そのために、日本の品質の良いオーディオ機器が最も効果があると、選ばれていたのである。
そのことを世界銀行の職員に話したら、宗教こそが、アフリカにおける最大の経済活動の一つであり、教育活動でもあると説明された。
歴史も宗教も異なる様々な人種が混在するのが、実際のこの世界である。
その全体としても、それぞれの地域でも、平和と言う状態を実現しようとするならば、多神教の持つ要素、
「人々がすべてにおいて、合意する必要はない。肝心なのは、オープンな対話を続けることだ。」
というManagment of Diversity が大いに意味をもつのではないかと思うのである。