「敦盛」(あつもり)は、幸若舞の演目のひとつ。作者と製作年は不詳。
 
ただし、能の「敦盛」には、この下りはなく、幸若舞[重要無形民俗文化財:
 
1976年指定]の民俗芸能。700年以上もの伝統を持つ能や歌舞伎の原型)の演題の一つにあるという。


以下、Wikipediaなどから。

 

「敦盛」(あつもり)は、幸若舞の演目のひとつ。作者と製作年は不詳。

 

直実が出家して世をはかなむ中段後半の一節に、

 

思へばこの世は常の住み家にあらず

草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし

金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる

南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

 

という詞章があり、織田信長がこの節を特に好んで演じたと伝えられている。

 

「人間(じんかん、又は、にんげん)五十年」は、人の世の意。「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳。

 

信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。

 

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」は、「人の世の50年の歳月は、下天(一昼夜は人間界の50年)の一日にしかあたらない。一度、生命を与えられたもので、死ぬことのないものがあるだろうか。」という意味になる。

 

特に、桶狭間の戦い前夜、今川義元軍の尾張侵攻を聞き、清洲城の信長は、まず「敦盛」のこの一節を謡い舞い、陣貝を吹かせた上で具足を着け、立ったまま湯漬を食したあと甲冑を着けて出陣したという伝記がある。

 

それにしても、能などの芸能を保護し、世界に誇れる哲学を持ったサムライが日本にいたおかげで、今の日本があると思う。

 

日本は、近年、小学校から英語を教え初め、「和魂洋才」教育を盛んにしているが、「和魂和才」教育も徹底しておかないと、欧米的な頭の日本を理解しない人間ばかりになる。