アチーバスの「国家」戦略は、哲人政治ってね♪
プラトン著「国家」
昨日初めて逢った2人の税理士の先生がアチーバスを聞いたことがあると言ってました。(^∇^)
ほぼfacebookのみの展開、トレーナー講座も非公開、クローズにも関わらず。
ゆっくりと歩んでいるワケですが、「国家」の中に以下のような議論があります。
ソクラテスに対して、ある人が問いかけます。
あなたは「正義」を以下の3つのうち、どれに値すると思うのか?
第1の立場
正義そのものを愛するものであり、結果を求めることはできないもの。
第2の立場
正義というのは、(ガマンしてそれに従うことで、)結果が得られる。
だから結果が大事なのであって、正義そのものを愛するか、どうかは関係無い。
第3の立場
正義はそれ自体を愛するものであるし、結果も伴うものである。
その人の主張は「正直者がバカを見ること」くらいみんな知っているから、どう考えても第2の立場としか思えない。
だから究極、「正義だと見られさえすればよい」だろう。
不正の極致が正義だと思われることだとするなら、「愛すべきは不正である」。
というように正義を陥れようとします。
ソクラテスは第3の立場から議論を展開し、国家の成り立ちと哲学者の政治の在り方を説いてゆきますが、
アチーバスも同じようでありたいな、と思ってます。
アチーバスという考え方を掘り下げ愛すること、そしてアチーバスを活用して実社会で結果を示してゆくこと。
哲学と応用のバランスの一貫性を保ちながら進んでゆきたいな、と。
ソクラテスが毒入りのお酒を飲まなければならなかったのは、きっとソクラテスにとってのダイアログ(対話)が、権力を持った人達にとってはディスカッション(議論)で打ち負かされた、としか思えなかったから。
人はどうしても目先の欲に負けて、結果だけを求めてしまいがち。
空虚な積み重ねは分かち合う喜びも無くなってしまう。
でも、そんな人間の本質も踏まえつつ、ACHIEVUSなら対話と議論を誤解することなく擬似協働体験で仲良くなって対話できるはずだから。
昨日は品川でファスティング明けの九州料理がめちゃくちゃ美味しかった。♪( ´▽`)
今年出逢った大切な友達と思わずビール2杯、日本酒3杯を頂いちゃいました。
佐賀県のお酒がマジでヤバかった。
幸せ過ぎて写真撮るの忘れましたが、お店の人とも仲良くなり、別れ際はお店の人とアチーバスを連呼してました。(^∇^)
食べれる幸せ。
語り合える喜び。
お酒がまだぐるぐる頭の中で回ってますが、、
今日も1日を最高に楽しみ尽くしましょう。\(^o^)/