旦那が出ていくといって2年近くたった頃、私はそろそろ耐えられなくなっていた。

 

なんでまだいるねん!

 

もちろん、パリ市内でアパートを買うのが安易でなかったのは分かるが、もう買えたんやん。

 

私、あんたが出ていくっていうの、受け入れるのほんまに辛かってんえーん

 

家族4人でやってくと思ってたから、その理想像を諦めるの、ほんま辛かってんえーん

 

それでも受け入れて、なんとか離婚は避けるように自分を圧し殺し、別居婚でもうまくやっていけるはずとなるべく前向きに考えるようにしていたのだが。

 

 

 

 

あんたが出て行かな何も始まらへん!!!

 

私は早く新しい生活をスタートさせたいねん!!!!!

 

 

 

 

とうとう、旦那にやんわりと現状が辛い事を伝える。

 

それが影響したか分からないが、先週、ようやく子供用の二段ベッドの組み立ても終わり

 

「今週末子供達とPのアパートで過ごそうと思うねん」

 

と言ってくる。

 

(ちなみに「パパ/ママのアパート」ではなく、Pのアパート、Cのアパート(それぞれ通り名や近くの広場の名前)と子供達には言うことにしーひん?と旦那に提案すると、僕もそれがいいと思うと答えてくれた。嬉しい…)

 

 

 

幸いにも?相変わらず、6歳の長男も「なんで?」とは聞いてこない。

 

 

 

 

2年前、旦那が

 

「僕は子供の心理学の本とか、色々読んで調べた。」

 

「子供には正直に話すのが一番や」

 

「だから、『パパとママはもう愛し合っていません。別れます。でも、子供たちの責任ではないよ。子供達の事はずっと好きだよ』と伝えてから僕が出ていくのが正しいと思います」

 

と言ってきて、私は頭がくらっとしたのを覚えている。

 

私も色々調べたつもりだが、

 

それ、絶対あかんやろゲロー

 

 

そんなん、え、僕のせいなん?って思わせる効果しかないやろ。

 

(児童精神科医の親戚にも相談したが、親の事情を説明するにはまだ幼すぎると言われている。親の勝手な事情の理解を求められる年齢じゃないって。当時4歳やでチーン)

 

 

 

でも、その時旦那は

 

ムキー「僕は僕の意思で動く!あんたにはもう流されへん!」

 

という表明をしていたから、反論はせず、半年ほどかけて、旦那に対し仏になるのと同時に、少しずつ、

 

「別にうちらがお互い好きではなくなったとか言わなくてよくない?」

 

と、方向性を修正していった。


(しかも結局その後離婚はしなくていいとか言い出したし・・・)

 

 

 

最終的に子供達に伝えたのは、

 

「パパが近所にアパートを買いましたーイェーイ!!」

 

長男「なんで?」

 

「大人はな、自分の家もつのが夢やねん!」(半分ほんと)

 

「それにほら、パパとママ、お互いお家でお仕事する事あるやん。そういう時、それぞれ違う所にいたほうが便利やし」(これも完全に嘘ではない)

 

「子供部屋ふたつになるで~おもちゃとかどうやってわける~??」

 

と言う内容。

 

 

 

旦那も、急に出ていくのではなく、たまに自分のアパートに泊り、少しずつその頻度を増やしていく感じにすることで同意した。

 

 

 

 

と、言う事で、新しい二段ベッドで泊まれるという事で子供達は大喜び。

 

金曜日の夕方、みんなで旦那のアパートに行き、宿題をしたり遊んだり。

 

晩御飯前あたりになると、子供達は段ボールの山で遊ぶのに必死。

 

「ほな、私、Cのアパートで片付けとかあるし、いったん戻るわ。子供達、また明日の朝会おうね~」

 

と言うと、こっちを見向きもせず

 

「はーい」

 

と答える長男。

 

娘は無視笑い泣き

 

 

 

 

 

いいやんいいやん。

 

これくらいでいいねん。

 

あっさりと自然に。

 

別居が決まってから目指してた事やん。

 

 

 

 

 

そう思うが。

 

 

 

 

思わず涙がじわっと来る。

 

 

 

あぁ、私、子供達ここにおいていくんや。

 

別居が始まって、子供達といない日が増えていくんや。

 

 

 

 

そう思うと・・・

 

 

涙が・・・

 

 

 

 

 

いや。


正直に言えば涙はこらえられた真顔

 

じわっと来たのは本当で、無性に悲しくなったのも本当だが。

 

 

 

こらえられる程度の涙をこらえなかったのは

 

 

旦那が見てたから。

 

 

 

どや!旦那!えーん私はあんたの言う事を受け入れてしおらしく独りで過ごすんやで!


私の意思に反するけど、あんたの希望通りにしてやってるで!えーん

 

と、分からせる機会やととっさに判断してしまった。


 

 

 

 

 

自分でもあほらし、と思わなくはないが。


クリスマスを独りで過ごすはめになった時


「実はちょっと楽しみやったりもするけど旦那にはめっちゃ悲しんでるふりしてん」


日本の母に言うと、めっちゃ笑ってくれた事を思い出す。





そうや、これくらいは!

 


私なりに、強いられた状況を無理やりポジティブに見ようとしてるのだ。


ポジティブな面を見つけられたからって旦那に


「結局こいつ楽しんでるやん」


なんて思われてたまるもんか。




 

子供達に背を向け涙を拭く私を見て、悲しそうな申し訳なさそうな顔をする旦那。


それに笑顔で「ほな、また明日」と言って去る私。



 

 


我ながら過剰な演出やったと旦那のアパートを出ながら苦笑いしたが、


それでも歩きながら胸がキューっと痛むのを感じた。



 


ごめんよ旦那。


でも、自分の決断の招く結果に最低限の自覚は持ってほしい。


1%でも、ちょっとかわいそうやなぁと思ってほしい。


じゃないと私がやってられへん。