年賀状でつながっていた大切なもの☆古き良き慣習が終わるとき☆クリスマスカード&年賀状 | 笑顔里美☆世界中の子供達に夢と笑顔を!さとみ先生前向きパワー全開!愛♡と笑顔^^で人と人をつなぐ旅♡

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冒険と学びと愛と平和を愛する人。世界50ヵ国以上を歩く。ペルーの孤児院にて自分の天職を知る。多くの素晴らしき出会いを通し、幸せ探し自分探しの旅は南米でピリオドを打つ。今度は愛と笑顔で私が世界に恩返しをする番だ!

それまでは 
 
家族みんなの仲良し写真と子供の成長記録のご報告みたいなのを兼ねて
 
毎年毎年、百数十枚単位で年賀状を出していた我が家。
 
 
出した数とほぼほぼ同じくらいの枚数の年賀状が
 
我が家にも届けられていました。
 
 
そして
 
2024年の今年。
 
我が家に届いた年賀状は 
 
全部で5枚。
 
 
 
 
その内の1枚は 
 
「年賀状でのご挨拶は今年で最後とさせていただきます。」
 
なる、脱年賀状宣言がされていて。
 
 
 
かくいう我が家も
 
年賀状を出さなくなって もう既に6〜7年ほどの歳月が流れていて。
 
 
 
ちなみに 海外組からは
 
年賀状ではなく(年賀状は日本の慣習)
 
クリスマスカードが届けられていたのだけど、
 
そのクリスマスカードも年賀状同様に
 
年々 数を減らし、
 
ついに今年(去年の暮)は ゼロ枚!
 
 
海外の友人たちとは
 
基本、みんなSNSでつながっているので
 
季節の挨拶はもちろん、
 
全ての連絡事はnet上でやり取りできるわけで。
 
 
 
 
私が年賀状を作らなくなったきっかけは
 
シングルマザーになったことが一番大きかったかなぁ。
 
プラス
 
1月1日の元旦に年賀状がつくようにするために
 
師走の超絶忙しい時に、
 
年賀状作成に費やす時間と手間は 
 
正直、
 
かなり心の負担になっていた部分もあった。
 
 
年賀状を出すのをすっぱりやめたら
 
心の負担も物理的、金銭的負担もかなり楽になったのは確か。
 
 
ただ、
 
年賀状のいいところも
 
もちろんあって。
 
 
SNSでつながっていない、
 
祖父母の親族のみなさんとか。
 
祖父母世代は もうほとんどの方達が亡くなってしまっているとは思うけれど。
 
祖父母の兄弟姉妹の子供達、いわゆる遠い親戚の人たちで
 
高齢組の方達との連絡も
 
年賀状でのやりとりだけであった部分もあり。
 
年賀状を出さなくなってから、
 
そう言った 高齢の遠い親戚の方達とのやりとりは
 
全く無くなってしまったのが残念なところ。
 
 
 
私が小学校、中学校、高校のときぐらいまでは
 
祖母の実家がある宮城県から
 
祖母の親族のみなさんが 毎年か2年に一度は 泊まりで足利市に来ていたもので。
 
その後私は アメリカに渡り、
 
帰国し、結婚し、宮城のおじさんやおばさん達と会う機会はめっきり減ってしまいます。
 
更に 祖母が他界した後は、
 
祖母のお葬式を最後に 宮城県の親戚の人たちとは会うことがなくなってしまっていました。
 
 
それでも
 
年賀状のやり取りだけは続けていた私。
 
 
そして
 
2011年3月11日。
 
東日本大震災が起きます。
 
 
宮城県の遠い親戚のみなさんは 海沿いに住んでいなかったので
 
津波の被害からは逃れられたけれど、
 
地震の被害、電気の供給が途絶え、食糧の入手が非常に困難となり、様々な物資も不足していました。
 
 
 
祖母が他界してしまっていたにも関わらず、
 
私は宮城県のみなさんと年賀状でつながり続けることができていたので、
 
東日本大震災のとき、
 
宮城県のおじさんやおばさんのお家へ 直接 
 
救援物資(主に食糧、乾電池、カイロ等々)を送ることができたのでした。
 
 
 
 
年賀状の良さがあったのは
 
確かではあります。
 
 
 
 
時代の変化。
 

 

 

私たちは 

 

変化し続ける時代の流れの中で

 

自らも変化し続けながら

 

新しい何かに出会い、適応し、

 

そしてまた 新たなるものへ変化していくのだと思います。

 

 

それが

 

ゆっくりであれ急激なものであれ。