日々 | 日日是好日

日日是好日

毎日を、「いい日」にしたい。

自分の「これから」を考えて選んだ日々の中にうずもれて

慣れないことと人に少しずつ慣れ、形になってきたような今日このごろ。

生きていくということ

というか

自分で自分を養うということは

大変なことだなと思う。

どんな仕事をしていても、やっぱりそれは立派なことだな。


装苑がでてた。

コレクション特集だった。

飛びつくように買ってただろうその雑誌をそっと戻して

「天然生活」を買った。

くらしと物づくりの雑誌。

わたしのちっぽけな一年間が、そのまま現れてるみたいだなと思った。

コレクションのモデルや作品じゃなくて、普通の生活の中の美しいもの。

用の美を尊ぶ民芸運動に感銘を受けてしまったわたしの行き着いた先。


アトリエに行ってなくても、編み物はしています。

少しずつ少しずつ。

早く作ろうとはせずに、憑かれたようにゆっくり編んでいます。

形の不揃いな花。

そのときの手加減で微妙に変わる。

誰のためというわけではなく

厳密には自分の物欲のためでもなく

編むこと自体が目的みたいだ。

楽しい。

この楽しいという気持ちを一生持っていたい。

これはちっぽけなわたしの宝物。


話変わる。

司馬遼太郎さんの作品を読み続けていて、いい言葉に出会った。

作家と一般の読者の違いは指先にのったわずかな塩があるかないか、それだけだ

司馬さんらしく、当たり前の言葉をつないだ妙味あふれる表現。

塩、かぁ。

司馬遼太郎というペンネームは、昔の作家の司馬に「遼」かに及ばないとつけたんだそうです。

やっぱり本物は腰が低い。

ますます好きになりました。


明日仕事が終われば祖母の家に行く。

小さいころは楽しみで仕方なかった。

おじいちゃんとおばあちゃん。

たこあげ、お年玉、おせち、お雑煮。

いつの間にか大人になり、祖父は他界、祖母は老いた。

少し、気が重い。

老いという現実を目の当たりにするのがわかっているから。

祖母に孝行するつもりで、祖母のために帰る。

自分の楽しみのために帰り、なんでもしてもらっていた小さいころ。

いつの間にこんな遠くまで来たんだろうなぁ。

大人という現実にいまいちついていけないな。


うん でも

がんばる。

がんばるんだ。