記憶の絵画 | アトリエ・ポレポレのブログ

記憶の絵画

12/7、中野で美名子さんの展示を見た後、
Group Exhibition vol.2 HAKKAのパーティーがあったため、
横浜に向かいました。



横浜にはあまり行ったことがなかったのですが、
夜景を見に人が集うというのもわかる気がしました。





会場となったBankArt Studio NYKは、
昔銀行だった歴史的建造物を改装したギャラリーで、
横浜トリエンナーレでも使われています。

展示の際は、壁がコンクリートで、
電動ドリルでも穴がなかなか開けられず、
熱で貼り付けられるフックを使用しました。

私はそんな技術は持っていないので、
展覧会の事務局を担っている三熊さんたちに
ほとんど手伝っていただきました。
ありがとうございました。

この日、寄り道をしてしまったら、
パーティーの開始時間に間に合わず、
その間に太一くんは帰っていました。
申し訳ないことをしました。





会場の雰囲気はこんな感じでした。

三熊さんにパーティーの様子を聞いたところ、
太一くんは一番最初に自己紹介をしたそうで、
「村山太一です・・・・・・」と言うことができたそうです。
それだけもよかったなと思います。

前回のポレポレで、
「私が有名な村山太一です。センキュー、センキュー!」と
練習していた姿を目にしていたのですが、
その成果が出たようですね。



太一くんの作品はこのように展示されました。
それぞれ、「紅葉」「箱根の山」「深海」です。
右のほうにモニターが見えるかと思うのですが・・・・・・



このような形で、私も出展しました。
一見しただけでは想像もつかない、
「深海」の制作プロセスを上映しました。
その際使用していたパレットも展示しました。



今事務局を担当していて、
撮影する時間は準備の合間になってしまうのですが、
11/22はメンバーが少なめだったため、
このように撮影を行うことができました。

11/22のポレポレの様子を以前お伝えしましたが、
改めて記事にするといったのは、この青い作品でした。



この作品の制作プロセスを詳しく紹介します。

太一くんは、最初に身のまわりの出来事や
印象に残った人物の名前を鉛筆やペンで書きます。



よく見るとわかるのですが、この日は
亡くなられたばかりの高倉健さんの名前を書いていました。

その後は、大相撲の九州場所中だったこともあり、
逸ノ城関の名前を描いていました。

その後、太一くんが参加したこともある、
大森アート・ヴィレッジ・プロジェクトの方に
展覧会のお知らせをしたことを伝えると・・・・・・



ちょっと見づらいですが、運営母体の
まちづくりカフェ」という名前を書いていました。



先日チラシを持ってきてくれたということもあり、
展覧会の担当者である「カメラマン 三熊さん」と書きました。
そういう意味では、展覧会がなければ、
生まれなかった作品ということになりますね。

いろんな名前が出ていて、笑いながら見ていたのですが、
次の瞬間、私は言葉を失ってしまいました。



「セニモール 12月23日 長塚均」

3年前に亡くなられた長塚均さんの名前でした。

長塚さんの御通夜が行われたのが12月23日。
会場は取手セレモニーホールでした。
太一くんも参列していました。

「セニモール」=「セレモニーホール」だったんですね。
年末が近付いたこともあり、そのことをぱっと思ったのでしょうか?

茫然自失の私でした。



「12月20日 死去 長塚均」

12/20は、エイブル・アート・アワードのレセプションの日。
その後の忘年会で、本当に楽しそうだった長塚さんの姿は、
あれから3年近く経ってもまだ焼き付いています。
(このことは以前りかちゃんが書いた記事を読んでください。)

多くのメンバーはアワード1週間前のポレポレの忘年会で会ったのが
最後だったのですが、そのときもこんな感じでした。



長塚さんのブログによると、その日も予定通りの行動だったようですが、
いつものように酔っぱらった長塚さんをホテルに送り届けました。

結果的にそのまま旅立ったわけですが、
私は最後に送り届けた一人として、
やはりどこかでひっかかってはいます。

長塚さんと太一くんはそんなにかかわっている印象はなかったのですが、
「深海」の奥底には、長塚さんも姿も現していたんですね。

ポレポレってすごい場所だな・・・・・・と改めて思いました。
長くなってしまいごめんなさい。



長塚さんと同じくポレポレの仲間である美名子さんが
太一くんの後の場所で描いていたのですが・・・・・・



蜜蠟クレヨンで塗り始めてからも
近くで美名子さんが講評を受けていたので、
太一くんも何となく気にしていたようです。



蜜蠟クレヨンの後は、筆を使って青い色を塗り込み始めました。



先日出掛けた魚津水族館の記憶もあったようで、
「深海を描く!」と叫んでいました。



そういえば、思い出すと、この日は、
ペンでも青の時間が長かった気がしました。



筆で塗った後、ペインティングナイフで削っていたのですが・・・・・・



美名子さんのこの描き方に刺激を受けたのか・・・・・・



パレットをたたきつけたかと思ったら、
直接こすりつけて描き出しました。



そして、最後には手で描き出しました。
一言も発せず、夢中になって平泳ぎのように手を動かしていました。
サイモンさんに「気持ちよさそう~!」と声を掛けられていました。



この「深海」は、絵画という空間の中に、
さまざまな記憶が詰まっていて、
私にとっては忘れられない作品になりました。



この作品がどうやって制作されたか伝えることで、
深海の奥底には何が隠れているのか考えてもらえたら・・・・・・
そんなことを思い、映像を制作しました。

ちなみに、太一くんの右側にある作品は、
展覧会の事務局を担当している三熊さんの油絵です。
「深海」には三熊さんも登場しているので、
結果的に展示に反映されてよかったですね。



今回は太一くんしか取り上げられませんでしたが、
他のメンバーも多様な作品を生み出しています。

来年の世田谷美術館での展覧会では、
メンバーの作品を見てもらうと共に、
ポレポレという場所の意味についても考えてもらう機会にしたいと
決意をしながら会場を後にしたのでした。

今年のポレポレは12/13が最後です。
長塚さんも毎年楽しみにしていた忘年会の日です。